廃屋廃人―崩壊後の世界における、或る日の長閑な昼下がり―

獅子堂まあと

これは、ある日見た自分の夢から作った物語

 「まあ、とどのつまり、人間なんてもんは…皆、似たような顔をしてるわけだよ。実際はね」

 そう言って、骸骨男が自分のしゃれこうべを叩いた。彼の名前は「教授」だ。いまの外見である白いカスカスした骨の上に、肉と皮が乗っかっていた頃は、大学教授をしていたという。専門は「形質人類学」、要するに猿と人の違いは何だの、人の骨格の特徴はどうだのいうことを研究していたらしい。

 教授は、今の境遇にすっかり満足している幸せ者だ。彼は申し分なく完璧に白骨化しており、こびりついた余計な筋肉を鍋で煮て落とす必要も無い。鏡を覗きこむたびに、自分という最も魅力的な研究材料を眺められるのだ。

 もっとも、ここに住んでいるのは、そんな幸せ者ばかりではないが。



 我々の住んでいる廃校舎は、かつて首都高と呼ばれたコンクリ柱のすぐ下に在る。

 車なんか、もう何十年も通ったことのない巨大道路の入り口には錆びた有刺鉄線が張られ、アスファルトは盛大なひび割れとともにひっくり返って、この世から石油というものが無くなった、最後の日の面影を留めている。

 あれから町はいつも真っ暗で、寂れた道には人っ子ひとり通らない。教授の嫌いな犬もいない。曰く、顔を見るとニコニコしながら擦り寄って来て、くだらない質問を投げかけてくる生徒と、骨の髄までむしゃぶり尽くそうとする野良犬とに、大した違いは無いらしい。

 「そんなわけで、私は女房を見つけられなかった。そりゃそうだ、人間の骨なんてものは、並べたところで大した違いは無いものなんだよ。僅かな個体差は、あるものだが。私は迷った、ドレニシヨウカナで女房の骨を決めるべきか、それとも、最も好ましく、美しい形状の骨を、女房だったことにするべきか。…だが、結局どちらの案も、やめにした。キリスト教徒じゃあるまいし、死が二人を別ったなら、それでお終い、でいいだろうと。」

 教授が骨を乾かしている職員室の窓際で、無口な灰色猫が骨休めをしていた。


 ここには、帰り道を忘れ、行き先も知らない人々が沢山暮らしている。

 数など知らない。誰にも分からない。ある日ふらりと誰かやって来たかと思えば、いつの間にかいなくなっていることもある。たとえば、ある時、男子便所に用を足そうと入ったら、便座の中にガングロ少女がすっぽり浸かっていた時には、驚いた。少女は真っ黒な顔でギロリと睨んで、開口一番、こう言った。

 「あたしの家にィー、勝手に入って来ないでくれるゥ?」

何が家なものか、タコがタコツボに住むのは良かろうが、人が便器に住むなんておかしいだろう。第一、ここは男子便所なのだ。


 するとガングロは、薄い眉毛を高飛車に跳ね上げて、さも当然のように、こう言った。

 「だってェ、女子トイレの(大)は、ひんぱんに使われるでしょォ? 男子の(大)は、滅多に使われないから、静かでキレイで、いいじゃないのォ」

 おお、確かにそうだが、納得するには何かが欠けていた。それにしても――、女というのは、どうして便所に溜まりたがるのか!

 呆れている目の前で、ガングロは器用に便器から片手を出してケータイで声高に話しを始めた。まったく理解できない。用を足すべき便所の中でナイショ話をしたがる女の習性が全く理解できない。彼女らが便器の前で晒すのは、臀部だけではなく黒い腹の中身であるらしい。

 事実、そのガングロは腹の皮をどこかのビルの下に置いてきぼりにしたために、便座から一歩出れば、真っ黒な内蔵が丸見えだったのだが。

 それ以来、私は女子便所を使っている。


 一年前にここに宿を構えてからというもの、数多くの住人が、入れ替わり、立ち代り住み着いた。

 教授は、いなくなった連中のことを、「新たなステップへ向けて卒業」したのだと表現する。確かにここは小学校で、いくら不出来な生徒でも、ある程度は卒業資格が与えられるはずなのだ。

 そうでもなければ、よっぽどの不良か、どこかで腐ってしまったに違いない。

 いつだったか、ゴミ捨て場へ続く講堂裏の溝で、スキマにはまったまま身動き取れなくなっている、赤いセーターの男を見たことがある。

 生憎と私に教員資格は無く、既に手遅れと思われたため、今でも男は放置されている。

 おんぼろ机をいくら並べて、無限の放課後を費やして個人面談したところで、拗ねた死人は、拗ねたまんまなのだ。(嗚呼、死んでも治らない!)




 誰もが覚えている限り、ここの最古の住人は、禿げ男だった。

 その名の通りの禿げ頭には、いまだ頭皮がつやつやとして、申し訳なさそうに一房だけ、緑なす黒髪が、風にたなびいている。何でも昔、アデランスだかリーブだかいう増毛専門チェーンに通いつめていたそうだが、その涙ぐましいまでの努力によっても砂漠化は食い止められず、頭頂部が全てサハラと化そうかというところで資金と希望が潰え、校舎屋上から果てしなき死の海へダイヴを目論見る寸前に、あの、「大崩壊」が起きたのだという。

 「妄執」という言葉があるが、ここではまさしく、それこそが人の価値を決めている。

 彼は、その凄まじいまでのhairへの妄執によってhorrorな存在となった、稀有なる男なのだった。


 はじめて此処へやって来た時、白いふわふわした死霊男に、ずいぶん手ひどいイジメに遭った。いわゆる「死霊」というやつで、体はどこかに置き忘れて来たらしく、見えてはいるが、存在自体は無いも同然だった。こちらは殴り返しても手ごたえが無いのだから癪に障る。かなりの大男で、半透明な顔に、いつもへらへらした笑いを浮かべていた。永遠に刈り取れない不精ヒゲを見っとも無く伸ばした、ぐにゃぐにゃクラゲのくせに、本当に癪に障る奴だ。

 だが、禿げ男だけは最初から好意的だった。死霊男にヒネられて紫色に腫れた腕を冷やしながらブツブツ怒っていた新参者の私を、自らの棲家としている用務員室に呼んで、枯れた茶瓶に花まで活けてくれたものだ。

 「そのうち、皆が君を気に入るはずさ」

と、禿げ男は言った。

 「何しろここでは、怖い奴ほど一目置かれる。君は、生きているというだけで、この上なく恐ろしい人間だから。」

そうして、落ち窪んだ眼窩の奥に燃える燐光で、ウィンクして見せたのだった。


 禿げ男の予言は当たっていたわけで、それから数ヶ月も経たないうちに、もじゃもじゃクラゲは絡んで来なくなった。奴は昔、夜食にスパゲティ・ミートソースを食おうとしてトマトの缶を開けたところで、突然の死に見舞われた。死霊になって最初に見たものは、トマトソースで素敵に真っ赤に染まった自分の体だったのだ。

 そんなわけで、赤いもの、すなわち、血だとか赤ペンキだとかが、怖かった。始終赤いものを体の中にぐるぐる回していて、ちょっと殴っただけでもすぐに破ける、もろい血袋になんて、近寄らないほうが懸命だと気づいたのだった。




 「世界の終わりというものを、想像してみたことがあるかな?君」

教授は、破れカーテンの間から差してくる陽射しに目を細め、肩の骨をかりかり言わせながら両手を組んだ。

 「私の思うにそれは、世界に生きるすべてのものが、生きることを止めた瞬間だと思うのだよ。世界自身の死んだ時だ。だが、我々は生きている。これは、奇妙なことだとは思わないかね?」

さて、そんな哲学的なことは分からないが。という顔で、黙って眺めていると、教授は一人で勝手に喋りだした。

 「本当なら我々は、あのとき、キレイさっぱり死ぬべきだったのだよ。だが、それが出来なかった以上、生きるしかない。実に君が羨ましい、何しろ、まだ死ぬことを試してみられる立場にあるのだからね。自らを殺してみたまえ。その瞬間、何かが変わるかもしれないぞ」

 だが私は、何故か、死のうと思ったことが、無いのだった。それは願望を持ち、願望を果たせなかった者が選ぶ道なのだと思う。もとより希望が無ければ、絶望することも無いのだろう。


 給食室では、顔色の悪い定食屋のおやじが、今日も十二時三十分の四時間目終了時刻を目指して、いそいそと昼飯を作っている。奴には鼻が無いから、自分の作っている料理を嗅ぐことが出来ないんだろうが、あれはちょっと、筆舌しがたいまでの匂いする。給食室に住んでいたゴキブリどもは、「大崩壊」のせいではなく、あの、料理の匂いのせいで死んだに違いない。でなければ、あれほど図太い生命体が、一匹残らず居なくなるなんて在り得ない。


 校舎の周りには鉄筋があばら骨のように突き出したビルが立ち並び、雲が灰色に空を覆う。

 時計の針は十二時十五分三十五秒を差したまま、微動だにしない。





 長閑な、のどかな昼下がりは、何事も無かったかのように過ぎていった。

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