第10話


 自分一人で、生きているつもりだった。

 自活しているつもりだった。

 

 生活の糧を、聡子に守って貰っていただなんて。


 聡子は、聡子の黄昏の中で戦い続けている。

 でも、俺が差し出した手を、握ってはくれないだろう。

 

 聡子を騙した父親も依然、健在だし、

 天下の大企業本社の下地は、聡子の父親から借り受けている状態だ。

 聡子の父親の裏には、お稲荷さんに依存するバネ達がいる。

 俺と結ばれれば、聡子は、不幸になってしまう。


 22歳の俺なら、何の躊躇いもなく、聡子の二の腕を掴みあげたろう。

 それが聡子を傷つけてしまうとも知らず、己の力量に自惚れていただろう。

 

 (貴方が立ち入らない人だから、

  貴方を選べたんだから。)

 

 人に無関心だったが故に、聡子と結ばれ得た。

 人に無関心だったが故に、聡子と別れるしかなかった。

 

 何が、正解なのか。

 どうすれば良かったのか。

 

 わからない。

 もう、聡子は、いない。


 ……部屋、戻ろ。

 冷えてきたし、な。

  

 立地は悪くないが、小高い丘の上にある古ぼけたホテル。

 柚葉を一緒に泊めてしまった俺は、

 社会人として、相当、ぼけてしまっているらしい。


 天ぷら屋の暖簾が、角に隠れながら佇んでいる。

 さっき駆け出たきたはずの青絨毯が、

 何もなかったように足音を消し込んでいる。

 無銭飲食と間違われても、聡子を、連れ戻すべきだったのだろうか。


 ……いや。

 連れ戻しても、また、離れてしまう。

 俊敏な動きだった。最初から、そう、考えていたような。

 

 だめだ、すっかり酔ってる。螺旋階段は無理だわ。

 大して呑んだわけでもないのに。酒、弱くなったなぁ……。

 エレベーターにするしかないか……。


 ……。

 502号室、か。

 間違ってない、よな。

 ライトあるの、ありがたいわ。



 がちゃっ


 

 どんっ

 

 「……ぇ。」

 

 ゆ、柚葉?

 

 「……よか、った。

  よかった、よかったよかった、

  よかったよかったよかったよかった

  よかったよかった……っ……。」

  

 あぁ。

 心配、だったんだ。

 

 俺が、聡子と一緒に行っちゃうと思ってたんだ。

 

 ……はは。

 また、捨てられたのにな、俺。

 悪いな柚葉、また酒臭いおっさんで。

 

 脂肪を包み込む弛んだ外皮の中に、

 少しだけ、引き締まった筋肉が潜む。

 

 「柚葉。」

 

 真ん丸で。横幅、広いままで。

 だけど、可憐で、若々しく、痛々しいほど澄んだつぶらな瞳で。

 

 法律上、成人で。

 でも、幼くて、儚く、壊れ掛けていた心で。

 

 柚葉の涙が、温かくて。

 柚葉の躯が、暖かくて。

 

 (……柚葉ちゃん、大事に、してあげて。)

 

 考えよう。

 どうせ、向こうからやって来る。

 東京ですることなんて、何も、ないんだから。

 

*

 

 「出不精だとは思っていたが…。」

 

 呆れてやがる。

 引きこもってホテルのジムに二日間いたことがそんなにフシギか。

 土日なんでどこも混んでるだろうが。だいたい、今更、東京のどこに行くんだよ。

 

 「有樹、何も見てないだろう。

  青山と水天宮前を往復してただけなんだから。」

 

 失礼な。

 営業先ならどこにでも行ってたぞ。

 

 「会社だけだろう。街なんか一つも寄らないで帰ってたろう。

  ロジックだけで勝つ営業って初めて見たんだよ、こっちは。」

 

 地均しのための貢ぎ物は結構配ったつもりだが。

 受付嬢と秘書相手のやつを。

 

 「はぁ。

  で、この娘が柚葉さんか。」

 

 いきなり下の名前かよ。

 あ、柚葉、俺の背中に隠れた。

 はは、ちょっとだけジャージの袖が出てるな。

 

 「お前の本性、見破られてるぞ、史郎。」

 

 「酷い言われようだな。

  で、聡子さんとは、話したのか。」

 

 「ああ。

  お前のお陰でな。」

 

 不自然な出張も、ホテルの場所を教えたのも、100%コイツだから。

 

 「……復縁、しないのか。」

 

 柚葉がここにいる時点で、察したんだろうな。

 

 考えた。

 二日間、ジムに籠もりながら、ずっと。

 

 「俺は、お前らと一緒に、影ながら支えるよ。

  いまの俺一人じゃ、とても無理だ。」

 

 敵が、大きすぎる。

 聡子の心が壁が、分厚すぎる。

 

 俺だけが、俺じゃなきゃ、聡子を支えられない、ってわけじゃない。

 ただ、味方でいてやりたい。打算を超えた味方で。

 

 「……そう、か。」

 

 「史郎と結婚すんのは嫌だってさ。

  地獄だろうって。」

 

 「……はは。

  流石、よくわかっていらっしゃる。」

 

 史郎の自嘲気味の台詞で、

 聡子の位置が分かってしまった。

 

 (遠山の娘だと、知らない貴方だから。)

 

 知ったって、何も変わらないぞ、聡子。

 40になっても、50になっても変わるもんか。

 

 「5年以内に、いい人、見つけてやんないと。

  子ども、産みたいだろうから。」

 

 「……そんなこと考えるの、

  お前くらいだぞ、有樹。」

 

 「古臭い人間なんでな。」

 

 史郎みたく、生まれながらに東京に、

 出生率1.1の世界にいたわけじゃない。

 

 「……そういう意味ではないが。

  ま、お前らしいよ。」

 

 アタマ、悪そうだってか。

 

 「……本当にいいのか、有樹。」

 

 「ああ。」

 

 これでいい。

 聡子には、幸せになって欲しい。

 

 「……可愛そうに。」

 

 ん?

 

 「いや、は分かった。

  こっちでも、考えるよ。」

  

 「助かる。」

 

 「どうせ分かることだからいま言うが、

  一昨日の話、動くから、そのつもりでいてくれ。」

 

 どっちだ?

 あぁ。あっちの件か。

 

 「拒否するなよ、有樹。」

 

 間違いなく、か。

 

 「それ絡みでひとつ、頼み事を送っとく。

  それ次第だな。」


 柚葉に聞かせるわけにはいかないからな、まだ。

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