第2話


 風呂で身体を洗い、傷の手当てをした後くらいから、

 柚葉は、身の上を、ぽつりぽつりと話しはじめた。

 

 小学校時代から父親に暴力を振るわれていたこと。

 母親が親戚への面子を意識して外へ出さなかったこと。

 児童相談所への通報があってから、父親の暴力は酷くなったこと。

 聡子には、相談をしていたこと。聡子が、柚葉に優しくしてくれたこと。

 

 15歳から太り始めたこと。

 引っ越し先の高校で苛められて中退したこと。

 バイト先でのミスが目立つようになったこと。

 友達から住処を追い出されたこと。バイトを首になったこと。


 今日が、18歳の誕生日であること。

 

 18歳。

 改正民法下では、成人になる。

 

 酷い話だ。

 

 酷い顔幅だ。

 顎の弛みがゴルバチョフ氏のようだ。

 酷い吹き出物だ。

 掻き毟った陥没後が痛々しい。

 酷い横幅だ。

 まるっきりハンプティダンプティじゃないか。

 

 なにも、かもが。

 

 「お前が嫌じゃなければ、

  お前が自活していけるようになるまで置いてやる。」


 「……どう、して。」

 

 「気紛れだ。」

 

 本当に、他に理由がない。

 だけど。

 

 「俺がこの街にいるのは、あと九ヶ月くらいだ。

  それまでに身の振りを考えておけ。」

  

 もうちょっと、優しい言い方ができないもんか。

 こんなだから、東京から追い出されちまったんだろう。

 こんなだから、聡子も

 

 「……わかったよ、有樹、おじさん。」

 

 おじさん。

 前に聞いた時は笑ってやり過ごせたが、

 今は胸にぐさりと響く。

 

 「……もう、お前のおじさんじゃないぞ。」


 前妻と離婚してる以上、柚葉とは戸籍上の縁がない。

 成人していなければ、説明に困るところだった。

 今でも十分説明に困るが、今更だろう。


*


 「そうですか。

  それは、大変ですね。」

 

 親戚の子を、家庭の事情で一時的に引き取った。

 柏木部長には、そう告げた。

 嘘ではない。少なくとも、嘘には聞こえない。


 「扶養家族には致しません。

  九ヶ月弱のことですから。」

 

 柏木部長が、真黒甲のフレームを、少し揺らした。

 そのほうが得なのに、と訝しむ顔だ。


 次の瞬間。

 

 「わかりました。」

 

 察しが良くて助かる。

 見てくれだけ良かった前の上司も、中身がこういう人だったら良かったのに。

 静かに一礼した時には、柏木部長の目線は、もうPCの側にあった。


*


 柏木部長に気に留めて貰ったせいか、以前よりも定時帰宅率が高くなっている。

 本当に退職前のような気分になる。


 「……おかえりなさい、有樹おじさん。」

 

 あれ以来、柚葉は、ずっと、家にいる。

 友達と連絡を取るそぶりも、アルバイトに出るつもりもない。


 別に、それで構わない。


 間食を止めて夜を控えただけで、体重は2ヶ月で15キロ減った。

 夏時期だったというのもあるだろうが。

 夜眠って朝起きる生活に切り替えただけで、吹き出物は大分減っている。

 もう少ししたら、女性社員のアドバイス通りに基礎化粧ができそうだ。


 そうはいっても、人前に出せるようなものではとてもない。

 BMI値30近いレベルだから、この姿で高校にいったら、苛められるだけだろう。

 高卒認定試験は思いのほか簡単に取れそうだから、

 わざわざ高校に入り直すメリットが思いつかない。

 

 ただ、いまの柚葉の状態で、短大や大学に行くことができるか、

 それがメリットになるかも分からない。

 行くとすれば奨学金申請を要するが、その時に親の所得を必ず聞かれる。

 親と接点を持ちたくはないだろうから。

 

 それにしても。

 柚葉の父親も、継母も、全然、接触してこない。

 接触してきたら改正民法の刀を抜こうと待ち構えているのだが。


 18時半。

 とっぷりと暮れる黄昏を、無駄に広い部屋の中で呆然と眺める。

 東京では、これからが本番、という感じだったのに。

 

 独りでは無駄に広い部屋も、

 柚葉がいると、少しだけ狭く感じる。主に横幅の関係で。


 「……有樹おじさん。」

 

 ぽつっと言われると、ぐさっと来る。

 

 「だから、俺はもう、お前のおじさんじゃないぞ。」

 

 30歳をおじさんと言うな、とは言えないが。

 

 「……また、失礼なこと、考えてたでしょ。」


 「顔のことか。

  それとも、横幅のことか。」

 

 「……普通、そんなはっきり言わないよ。」

 

 「だろうな。

  だから聡子にも逃げられたんだろうな。」


 入江聡子。柚葉の叔母。俺の、寝取られた前妻だ。

 別にいまの柚葉のような体型じゃないが。


 「……そうじゃ、ないんだけど。」


 それきり、黙ってしまった。


 山あいの小さな街をすっぽりと覆う黄昏が、

 窓際から俺たちを淡く包み込んでいる。

 

 まだBMI値は30近いものの、

 柚葉の右目の瞳も、見えるようになっている。

 逢った時は、腫れ上がっていたのだから。それだけでも大分印象が違う。


 「……いいの、かな。」

 

 ん?

 

 「夜に飯を食うなよ。また太るぞ。」


 「……もう、食べてないよ。」

 

 こっちに来て以来、柚葉は俺の生活周期に合わせている。

 どうしてあんなに太っていたのか、今となっては謎だ。

 世間的には今でも十分太っているが。


 「リ●グフィット、ちゃんとやってるか?」

 

 柚葉のために、という名目だが、

 実際は通勤で歩かなくなった俺のためだ。

 筋力を維持するためだけのものだ。運動で体重なぞ落ちる筈がない。

 

 「面白くない。」

 

 「運動が?」

 

 中学までは運動をしていた筈だから、

 筋力的に困るとは思えないが。激しい運動ではまったくないし。

 

 「違うよ。ゲームとして面白くない。

  ボス攻撃が有効なエクササイズ、同じになっちゃう。」

  

 ああ。それは分かる。

 お遊戯ゲームの類を企画する人達は、

 どうしてゲーム自体を作るのがああも下手なんだろうな。

 

 「あれやりたい。ボクシングのやつ。」

 

 声優さんの豪華さが一部で話題になったあれか?

 手を下げるだけでダッキングになっちゃう手抜き仕様。

 真面目にやるならあっちのほうが激しい運動になるが。


 「うん。

  ……一緒に、できるから。」

 

 「できないぞ。

  ジョイスティックが複数ないとダメだろう。」


 「あ。

  そっ、か……。」


 相変わらず詰めの甘い奴だなぁ。

 

 でも、そうか。

 考えてもいいかもしれない。ヒマだしな。

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