妻を上司に寝取られた俺は、左遷先の街で姪っ子? を育てる

@Arabeske

第1話


 30歳。

 通り魔に殺された時でも、残念がられることのない歳。

 

 30歳。

 伸びきったモラトリアムも許してはくれない歳。

 

 30歳。

 これまでの投資分を返せと、

 手ぐすねを引いて社会から返済を請求される歳。

 

 30歳。

 若者から、排除される歳。

 

 

 ……意外に、堪える。



 言い訳の効かない歳になってしまったことも。

 見知らぬ土地で、無駄に広い部屋で、

 ただ独り、缶チューハイ片手に動画を見て過ごしていることも。

 

 余生のようなものだと、割り切って過ごせていた筈なのに。

 

 ……明日には、忘れられる。

 時が、遅効性の麻薬のように、痛みを麻痺させてくれる。

 聡子の時と、同じように。


*


 萱平。

 

 身の丈を超えて整備されたロータリー。

 維持するだけで数億円単位で税金が消えていく美術館。

 5階建て以上の建物は農協と市役所だけ。

 大通り一本隔てたら、たちまち2階建てになってしまうハリボテの街。

 

 まぁ、通勤時間が15分で済むのは有り難い。

 東京の4分の1だ。

 

 付属研究所の総務部。

 誰が行っても、誰がやってもいいところ。

 所長は技術屋だが悪い人ではないし、総務部長は退職が決まっているお祖父様だ。

 一見とっつきにくいが、しっかりした人だと思う。


 ご丁寧に次の流れ先まで決まっているから、

 向こうも腰掛けとして、腫れ物に触るように丁寧に扱ってくれる。

 特別な用がなければ、定時に帰れてしまう素敵な暮らし。

 島流し先としては、上々な場所だと思う。


 こうやって、余生がずっと流れていくのだろう。

 40歳になっても、50歳になっても。


 時が、また、麻痺させてくれるはずだ。

 考えないように、考えずとも済むように。


*


 どんな土地であっても、どんなに寂れた街であっても、

 スーパーとコンビニ、インターネットさえあれば、人間は生きていける。

 コンビニの品揃えを初めて見て仰天した。東京と全く同じなのだから。


 ●ーバーイーツは街にしかなくても、出前●は全国どこでもある。

 日本国内のどこに住んでいても、人間は、生きていける。

 生物学的な生存を維持するだけならば。

 

 スーパーも、全国そうは変わらない。

 キノコやタケノコのような地のモノであれば、東京よりもずっと安く、質もいい。

 山あいの中だから、海産物はお話にならないけれども。

 

 地物以外は、東京で買っていたものを惰性で買い求め、

 東京と同じようにクレジットカードで処理する。

 こんな街でも、現金決済の必要はなくなっている。

 県内ではこのあたりだけかもしれないが。


 会社から歩いて15分、スーパーから5分、コンビニに至っては2分。

 通勤で歩かない以上、車を使う理由はない。

 

 東京に住んでいた時以上に、移動面積が狭くなっている。

 切り詰められた俺の生活圏のように。

 空を覆う、黄昏のように。

 

 だから。

 

 時間、空間、場所、空気。

 ほんの少しでもずれていたら、

 お互い、気づくことはなかったのだろう。

 

 たまたま、公園のブランコに目をやったこと。

 たまたま、柚葉が、ブランコから頭を上げたこと。

 

 誰だか、全く分からなかった。

 無理もない。もう、あれから五年も経つのだから。

 あの頃は、まだ、中学生だった筈だから。

 

 もし、アタマを挙げるタイミングが少しでも遅ければ、

 柚葉の左目の瞳は、影に隠れてしまっただろう。

 

 ブランコから、柚葉が、のっそりと立ち上がった。

 逃げ出すつもりだったのだろう。

 俺に背を向けて、駆け出そうと、土を蹴り上げた。

 

 

 べちゃっ

 

 

 鈍い音がした。

 ブランコがある場所で振り向いて駆け出そうとしたため、

 ブランコに足を取られて、顔から落ちてしまった。

 

 「……っ……ぅ……。」

 

 慌てていたのだろうが、なんともいいようがない。

 さすがに、このまま放置するのも気が引ける。

 

 「怪我はないか。」

 

 むくんだ手を取って、顔を覗き込む。

 擦り傷で済んだようだ。

 

 それよりも。

 

 「お前、ど……。」

 

 口を噤んだ。

 聞くまでもないことだから。

 

 柚葉は、俺の前妻の、姉の娘だった。

 俺から見ると、義理の姪だった。

 

 前・義理の姉が死んだ後、

 柚葉は、父親の出身地である萱平の街に連れられてきた。

 柚葉の父親が地元の女性と再婚して以降、

 全くといっていいほど、縁は切れてしまっていた。

 

 柚葉の父親は、俺の前妻・聡子の姉に暴力を振い、

 宗教にハマっていたと聞いている。

 俺は、聡子と切れてしまって以降、

 無縁になってしまった柚葉のことなど、どうしようもなかった。

 

 俺自身、それどころではなかったから。

 

 めちゃくちゃ太ったなぁ。

 胴まわり、樽みたいだ。

 目、パンダみたいだなぁ。


 中学の時より、不細工になったなぁ。

 肌、吹き出物だらけじゃないか。


 どう考えても、俺らしくなかった。

 どう考えても、こんなこと、言う筈がなかった。

 

 「柚葉。

  お前、俺の家に来い。」

 

 おかしくなっていたのだろう。

 寂しさに。気が滅入るような黄昏の日々に。

 

 「……ぁ。」

 

 「嫌、か?」

 

 柚葉の落ち窪んだ瞳から、一滴の涙が零れ落ちた。

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