第40話『エピローグ』

 その後、松島は生徒指導室に呼び出されるも、なぜか軽く注意されただけで事なきを得たようだ。


 その辺りについて松島本人に訊いてみると、


『盗聴、盗撮はなにも青葉君の専売特許じゃないってことよ』


 なんてことを意味深に告げ、教室に入ってきた担任教師が松島を前に顔を青ざめさせていたのを覚えている。

 とはいえ青葉は必要以上に追及して藪を引っ掻くことはすまいと手を引いた。

 

 松島の劇的なイメチェン、加えて朝から行われた奇行の数々は、すぐに学年全体へと拡散。まるで動物園に珍獣でも見に来るかのように野次馬がクラスへと押し寄せた。


 が、彼女は休み時間になれば本を開き、誰とも関わることなく、或いは関ってこようとする人間に辛辣な言葉を浴びせ掛けて遠ざける。

 ほぼ一瞬で学年全体の注目を集めてしまった少女。

 見目は麗しく、しかしながらその言動の奇抜さゆえに近づくことができない。

 さすがに身の危険を感じたのか、あの村田でさえ今の松島には近づこうとしなかった。


 誰もが遠巻きに彼女を見つめる中、泉だけが果敢に、何度も、もしくは懲りずに、松島に声を掛けていた。

 しかし、『話しかけてこないで』、『うるさいわよ』、『邪魔』……などなど、完全に塩対応であった。

 コミュニケーションに関しては非常に広い交友関係を持つ泉でさえ、松島のパーソナルスペースへ見込むことは容易ではないようだ。

 

 噂を聞きつけて若林も青葉のクラスに顔を出してきたが、松島を一目見た瞬間、


『ああ~……うん、なるほど……アレは無理だわ』

 

 と、あのコミュ力おばけような若林も、彼女に関わることはせず、Uターンで自分の教室へと戻って行った。

 

 そんな中にあって、松島の方から声を掛けられる青葉にも注目が集まり、彼女に関する質問の全てが、青葉に集中するという事態になった。

 

 当然、泉からも、


『青葉! お前! 前から松島のこと知ってて隠してたな!』

 

 などと詰め寄られたのは、言うまでもない。


 ミーハーな周囲の相手にげんなりしつつ、ようやく終わった学園での一日。


 夏の名残が未だに汗を浮かべさせるような蒸し暑い放課後。

 青葉は自転車を押しながら、松島と取り留めもない世間話を交わしながら自宅へ続く道を歩く。

 

 周囲の生徒たちが、チラチラと松島のことを盗み見ているのを青葉は肌で感じた。


「前に泉君が青葉君を怒鳴って止めたのって、あなたなら村田さんを本気で殴るって思ったからなのかしら?」

「まぁそうかな。中学時代の俺のこと、あいつも一応知ってるからな」


 青葉がいじめを受けて、それに対して本気の報復をしたことを泉は知っている。

 だからこそ、あの時泉は青葉を制止した。青葉も、きっとあの時止められなければ村田を本気で殴っていただろう。相手が女性とか関係なしに、一切手加減もしなかったはずだ。


「女性でも見境なしとかさすがは青葉君だわ。鬼畜ね」

「椅子を投げつけたお前には言われたくないな」

「やられたからやり返しただけよ。それにちゃんと避けるように言ったじゃない」


 なにか問題ある? とでも言いたげに、松島は悪びれた様子もなく愛らしく首を傾げた。


 青葉は苦笑し、しかしそんな彼女をどこかカッコいいと思ってしまった。これは重症だ。


「なぁ松島」

「なに?」

「腕汲んでいい?」

「ダメよ」

「手、繋いでいい?」

「ダメ」

「キスしていい?」

「あなたの舌を噛み切ったあと鳩尾に膝を入れて男性の急所を蹴り上げてやるわ」

「バイオレンス」

 

 青葉のふざけた要求に、松島は「はぁ」と呆れた溜息を零す。

 しかし不意に、彼女はほんの少しだけ口調を緩める。

 

「そもそもあなた自転車じゃない。腕も組めないし手も繋げないでしょ歩きづらい」

「それ、自転車じゃなきゃやってもいいって意味?」

「……そうね」

「あら?」


 予想外の台詞。しかしそこに甘い響きはなく、「仕方ない」といったニュアンスを含んでいた。


「まぁ経緯はどうあれ結局は助けてもらったわけだし。少しならお礼してもいい、ってことよ。あと、『あなたの作品をより緻密に作り上げるための取材』に協力してあげなくちゃいけないわけだしね」

「いやぁ、まさか受け入れてくるとは思ってなかったわ」


 先日。公園で青葉は一つの提案をした。青葉はこれまで誰かと付き合ったことがない、それでもラブコメを書こうとしているがやはりもう少しリアルな所感が欲しい、故に、


「『恋人ごっこに付き合って欲しい』、ね……全く、青葉君も面倒なことを頼んできたものだわ」


 松島はもちろん難色を示したが、経緯はどうあれいじめから脱する手助けをしてくれた青葉の望みを聞き入れた。

 それと併せて、地味を装ったスタイルではない、本来の松島として一緒に過ごしてみないか、とも……


 松島は悩んだあげく、


『まぁいいわ。ただし、一皮脱いだ私はすごいわよ。注目度の権化と言っても過言じゃないなわ。これまでみたいにステルス状態で活動できなくなるんだから、色々と責任取ってもらうわよ……青葉君』


 なんて条件を提示されて、今の松島のスタイルに落ち着いたわけである。

 しかし、確かに道行く通行人からチラチラと盗み見られている様子を目にすると、松島の言葉は決して大袈裟ではないと自覚させられる。

 

 青葉としても、自分の要望に応えてもらったからには、それなりに彼女に協力をするつもりだ。

 

 だが、今はまず、自分の作品作りの取材が優先である。

 せっかく、こうして松島と隣り合って歩いているのだから。


 男女で一緒に下校するというシチュエーション。集団でならありそうだが、二人きりとなるとそうそう訪れない。

 

 故に、しっかりと自分の中でこのシーンを脳裏に刻もうと、青葉はあえて口を軽くする。


「にしても、俺って年上しか興味なかったんだけど、松島の見た目のせいかな、あんまタメと歩いてるって感じしないわ」


 なんのけなしに呟いた軽口。しかし松島は足を止め、青葉は「うん?」と振り返った。


「あなたって随分と勘が鈍いのね。私、かなり致命的なヒント出してたと思うけど」


「は? なにが?」と、青葉は首を傾げ、松島は珍しく苦笑気味に口元で弧を描くと、青葉の横をすっと通り抜けていき、


「もうこの際だから言っちゃうけど……私、引きこもったのと執筆に夢中になり過ぎたせいで、高校受験に『一回失敗』してるのよ」

「は? え、それって」

「そ、つまり私は――」


 不意に、一陣の風が吹き抜けていく。


 青葉は彼女との初めての勝負に勝って見せてもらった生徒手帳の内容を思い出す。そこに記載されていた、自分と『同じ年の三月』の誕生日。

 ああ、これは確かに、かなり重要かつ、彼女にとっては最も恥ずかしい過去で間違いなかったのだと、青葉はようやく思い至った。


 同時に、


 ……なるほど。やっぱり俺は年上のお姉さんに自然と惹かれる宿命なんだなぁ。

 

 と、口の中で独り言ちる。


「なぁ、松島」

「なに?」

「俺くらいは、少しは信じられるようになったか?」

 

 松島の代表作。『加護塗れ転生』に込められたテーマ。

 それはきっと、彼女自身の願いなのだ。

 なら、その願いに、自分は少しくらい、関わることができたのだろうか。


「さぁ……どうかしら」

 

 松島は答えない。だが、ほんのりとその口元は弧を描き……


 新緑の葉は、あと少しで色を変え、町の色彩を冬の準備に染めていく。


 それは俗に、本を読むのに適した季節へと移ろうということだが、きっと本を書くのにも、これからの季節は適しているに違いない。


「行きましょうか、青葉君。あなたがプロの作家になれるよう、不本意ではあるけどこれからも私が付き合ってあげるわ」


 青葉の先を行き、通学用のバックを手に秋の風に靡く黒髪を抑える松島の姿は、

 

 ――まるでライトノベルの口絵のようであった。

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