第39話『彼女は仮面を脱ぎ捨てる』

 いよいよ学園祭の準備が本格的に始まろうという九月の終わり。


 教室を訪れた松島は教室中から一斉に集まった視線を前に辟易した。盛大に溜息を漏らして自分の机に腰掛ける。


 クラスメイト達は唖然とした様子で遠巻きに松島を見つめている。グループで固まりヒソヒソと囁くような声が聞こえてきた。


 そんな中、部活で汗を掻いた泉と、いつものように気だるげな猫背の青葉が教室の扉を潜ってきた。青葉は松島に気付いて手を上げ、「おっす」「おはよう」と軽く挨拶を交わす。


 それに続くように泉も松島に声を掛けようとする。だが不意にその動きが止まり、目を限界まで見開いて声を上げる。


「うぇぇ!? ま、マツザキソラさん!?」

「……誰よ、マツザキソラって」


 驚愕の声の前にいたのは、普段の地味な装いを脱ぎ捨てた松島月であった。


 おさげにまとめていた髪は真っ直ぐに下ろされ、あのダサい眼鏡もなく長かった前髪も綺麗に整えられてヘアピンで止められている。これまでと打って変わり、顔の造形がハッキリと外に晒されていた。

 

 一瞬、クラスメイトは教室に入ってきた人物が誰だか分らなかったくらいに、今の松島は周囲がこれまで認知してきた松島という人物とはかけ離れいていた。


 眼鏡を外した松島の目元は少しだけつり上がり気味だ。ため息まじりに泉をねめつける視線には自然と眼力が込められ、近づきがたい怜悧な気配を纏わせている。

 にも拘わらず、誰もが松島から目を離せない。


 これまで膝下までガッツリと脚を隠していたスカートは膝上まで上がり、黒のニーソックスと太ももの白とが対比となって妙な色香を放っている。白いシャツの上からも窺えるスタイルは女性的な輪郭を浮き上がらせ、否応なしに異性からの目を惹いた。


「へぇ……変われば変わるもんだな」

「なに? 不満なの?」

「いいえ滅相もありませんありがとうございます。でも正直、ここまでしてくれるとは思ってなかった」

「どうせもう皆にはバレてるんだし今さら隠すこともないわ。というかもう目立ちすぎて隠れることもできないからいっそ開き直っただけよ。それに、あなたが言ったんでしょ? 少し地の自分も出してみれば、って」

「まぁそうですけど」

「その代わり、ちゃんと責任取りなさいよ。これから私、色々と面倒なことになるんだから」


 松島が不機嫌そうに腕を組むと意外と発育のいい胸が押し上げられて強調される。松島は敏感にクラスメイトたちから向けられる僅かな視線を感じて目を細めて「なに」と威嚇するように厳しい目線を送った。


 慌てて視線を外す男子生徒たち。それでもチラチラと松島を盗み見ている。


「おいおいおい! お前らなにナチュラルに会話してんの!? っていうかマジで松島!? マジのマジで!?」

「マジマジうっさいわね泉君」

「え?」

「気にするな泉。松島は元からこんな感じだ」

「人聞きの悪いこと言わないでくれる? 私だって取り繕うくらいのことはできるわよ。泉君にはそういう対応は必要ないと思っただけ」

「え? ええ~……」


 一人取り残された感じのある泉。だが実際は彼だけではない。クラスメイトの背反が松島の変貌に浮足立っている。

 そんな中、村田が椅子を半ば蹴飛ばすように立ち上がった。

 彼女の視線は松島に注がれ、決して穏やかな雰囲気ではない。


 しかし泉が近くにいるからか詰め寄ってくるような気配は見られず、それでも口元を歪めて言葉を吐き出す。


「へぇ……あんたそういう格好もできたんだ? ずっと隅っこでうずくまってた陰キャの割には随分と思い切ったイメチェンじゃん? まぁ今さら感すげぇけど」

「おい村田。お前また」

「いいわ泉君。気にしてないから」


 泉が村田を制止しようとした時、松島は立ち上がってその行動を遮る。すると何を思ったのか、ゆっくりと村田の方に近付いていく。


「なに? 見た目が変わってイキってんの? ダサいしウザ」


 松島を威嚇する村田。しかしどうにも様子のおかしい松島を前にグループの女子生徒たちは気味悪がって一歩引いて状況を見送っている。


 と、松島は青葉の机のところで一度立ち止まると、椅子の背もたれに手を置いた。


「村田さん」

「あ? なに? てか気安く人のこと呼んでんじゃ」

「――そこ、危ないわよ」

「は? お前なに言っ……――っ!?」


 村田が声を発した次の瞬間、松島はなんと青葉の机を蹴飛ばし椅子を持ち上げると、体を回転させて椅子を村田目掛けてぶん投げたのだ。


 一連の動作は松島が椅子を投げるまでにタイムラグがあり、村田は身の危険を感じてその場から飛び退くように離れることができた。


 松島と村田を挟んだ位置も人が最初から避けていたので誰もおらず、結果として椅子は学校の窓ガラスを粉砕して外へと飛び出した。周りにいた女生徒から悲鳴が上がる。


 教室中がざわめき、しかし誰もが状況についていくことができず固まっている中、青葉だけは「いや俺の椅子どうしてくれてんの……」となんとも気の抜けるツッコミを繰り出していた。


 喧騒に包まれる教室。そんな中にあって、松島は悠然とした姿で村田の前に膝を突く。すると彼女は動揺している村田の胸倉を掴んでぐっと引き寄せ、鼻先がくっつくほどに顔を寄せた。


 途端、村田の緊張がピークに達する。


「な、ぇ……っ!」

「よかった、ちゃんと避けてくれて。さすがにアレが当たったらその綺麗な顔が洒落にならないことになるものね」


 自分で投げつけておいて何を……と青葉は内心でツッコミを入れつつ、教室の壁に背中をくっつけて状況を見守った。泉が口を半分開けて呆然としているのが少しだけおかしい。


「村田さん。あなたは私のことが嫌いなようだけど……私、あなたのこと結構好きよ、色んな意味で……自分の意見をちゃんと言える部分とか、好きなことに関しては真っ直ぐなところとか、周りを巻き込めるカリスマとか、色々……」


 状況とまったくマッチしない褒め殺し。松島の全く動かない表情も相まって不気味さが際立っている。

 松島は少しだけ首を巡らせ、その視線を泉に向けた後、再び村田に向き直る。


「あと、意外と可愛いところもあったりするのもなかなかにポイント高いわよ……でも、だからって彼と親しい青葉君とか人気者の若林さんを目の敵にしなくてもいいんじゃないかしら?」

「っ!?」


 途端、村田の顔が一気に赤みを帯びたように見えた。


「あら、ほんとに可愛い反応……ますます好きになれそうだわ」


 口をパクパクとさせている村田から手を放し、松島は緩慢な動作で立ち上がり、「この前のことは今のでチャラにしてあげる」と村田を一瞥して踵を返す。

 村田に背を向けた彼女は、教室の外へ向けて歩みを進める。クラスメイトが松島を避けていく。誰も彼女に声を掛けることはできず、声を上げることもできない。

 あまりにも異質な彼女のその立ち振る舞いに気後れし、見ているだけがやっとの様子だ。


 しかし青葉だけはまるで空気を読まないまま松島に近付き、


「ああいうことすんなら自分の椅子でしてくれよ」

「いやよ。回収するのめんどくさいじゃない」

「うわぁ暴君だ。暴君がここにいるよ……で、そんな松島様はこれからどこへ行かれるんで?」

「職員室に決まってるでしょ。取り合えず窓ガラスを割ったこと自白してくるわ」

「ついでに俺の椅子も回収してくると嬉しんですが」

「いやよ。あっちって学校の裏手だから距離あるじゃない。あなたの椅子なんだからあなたが行ってきて」

「ええ~。女王様過ぎない」


 なんとも場にそぐわない呑気な雰囲気で会話を繰り広げる二人。しかしクラスメイトは誰一人ついていけない。泉でさえ会話に口を挟むのを躊躇しているくらいだ。


「はぁ~……分かりました、分かりましたよ。行きます行ってきますよ」

「最初からそう言えばいいのよ」


 などと口にして、青葉と松島は教室から姿を消す。後に残された者たちは、夏が残した生ぬるい風が入り込む砕けた窓を背に、しばらく誰もが唖然とした様子で二人を見送った――

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