第37話『真相』

 泉と若林に、とあるクラスでいじめが起こっているという事実をまずは学年全体に拡散してもらった。他にも、泉は所属している部活動の先輩後輩を通して、若林は仲のいい友人の兄弟たちと親しくなり、そこから更に広範囲へと噂を流してもらう。


 特に口の軽い人物を二人はピックアップし、具体的ないじめの内容を――誰が、誰に、という部分だけを省いて――伝えていく。


 噂好きで話し上手、そうった人物たちは鼠算式に話題を拡散させていった。いつしか二年生のとあるクラスでいじめられている生徒がいる、という話題が全校へと流れていったのだ。


 むろん大半の者は無関心だ。我がことでなければ基本的に人は興味を示さない。それでも、広く伝播した話は関心のない者の耳にも嫌でも入り込む。知覚することで人は無意識的にでもあった出来事を脳内に刻み、ふとしたタイミングで思い出すこともザラだ。


 更に、泉と若林には、いじめに関する、かなり否定的な言葉を何度も繰り返し使ってもらうように促した。他者への強い影響力を持つ二人の発言は学年では特に響き、いじめを実行している生徒に対する攻撃的な意識が芽生え始める。学内のローカルSNSはおかげで大いに荒れた。

 いじめる人間は犯罪者だの、いじめは被害者に原因があると訴える者、あるいは、いじめとは、なとど的外れに定義についてまで論争を始める始末。


 しかしそれでいい。とにかく話題としていじめが拡散さえしてくれればよかったのだ。


 これによって得られる目的は二つ。


 一つは松島へいじめを実行している者の牽制。こうまで騒がれては動きが取れなくなるだろうという狙いだ。


 そして二つ目は……あぶり出しである。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 


 その日、彼女は下駄箱に一通の手紙が入っていたのを確認した。


 手紙を手に取り、「はぁ~」と息を零し、またか、と彼女は小さく嘆息した。

 時代錯誤もはだはなしいと思うかもしれないが、存外手紙で相手に好意を伝えてくるという手法はまだ廃り切ってはいないのだ。

 あるいは手紙という手間のかかる手段を取ることで相手への誠意を見せようとする見え見えの下心か。


 彼女は周囲の者達と比べて容姿にはある程度恵まれていたし、それなりに人当たりも良く過ごしてこの学園で立ち回っていた。

 故にモテた。同学年の男子生徒からは両手の指では足りないほどに告白されてきたし、メール、メッセージアプリで何度も告白されてきた。このように前時代的な手法で呼び出され人気のない場所で告白された数も片手では足りない。


 しかし彼女は誰にも靡かず、誰からの好意も受け取ってはこなかった。しかしそれは彼女が恋愛に興味がないから、というわけではなかったのだが。

 彼女は告白してきた相手を恋愛対象としてみることは到底できなかった。


 ずっと異性からのアプローチを躱し、最近は静かになってきたと思えばまたこれか、と彼女は辟易する。


 それでも、これまで築き上げてきたクラス、学内での地位を、この手紙を一回無碍にすることで手放すのもバカらしい。

 とはいえ、一人で人気のない場所へ向かうのもそれなりにリスキーだ。そういった場合、彼女は必ず親しい友人を呼んで影から見守ってもらっていたが、今回も頭を下げないといけないのかと思うと少しだけ億劫だ。


 教室の道すがら、彼女は慣れた手つきで手紙の封を切る。封筒に差出人の名前はなし、この時点でいたずらの可能性も視野に入る。


 が、まずは中身を確認しないことには始まらない。


 しかし、そこに書かれていたのは、痛々しいポエムじみた好意を示す文章などではなく、


『――噂のいじめの犯人へ。SNSにお前のあることないこと書き込まれたくなければ指定の場所まで来られたし』


 真っ白な便箋に踊った、無機質な書体の脅迫文だった――

 指定されていたのは、しばらく扉が開かなくなっていた野球部の部室。

 授業中。腹痛を訴えて教室を抜け出した。開かないと聞いていた扉はなぜかあっさりと開く。彼女は心臓の音がやけに大きく響くのを感じながら、土とグローブの皮が放つ独特の臭気に満たされた野球部の部室へと入った。


 途端、背後で扉がバタンと無慈悲に閉まる。慌てて彼女は扉に手を掛けた。だが開く様子はまるでなく。


 彼女はパニック陥りかけた。しかし不意に、ポケットに入れていたスマホがブルブルと震えて飛び上がりそうになった。恐る恐る彼女はスマホを取り出して液晶画面を確認する。


 途端、彼女に更なる恐怖に襲われる。通知された番号は非通知。


 出たくない、出たくない……


 しかし、ここでこの通話を打ち切ったら、その時自分はどうなるというのか。手紙の相手が自分の秘密をネットの世界にばら撒いたら。考えただけで怖気が奔った。昨今、ネット関係のトラブルは枚挙にいとまがない。


 もしも個人情報が流布され、その上で悪評まで拡散などすれば。

 彼女は震える指でスマホの通話ボタンをタップした。


「も、もしもし……」

『やぁ初めまして。出てくれないのかと思って焦ったよ』


 その声はとても高く耳に響いた。子供のような女性のような、とにかくキーの高い声。あるいは、ボスチェンジャーでも使っている可能性もある。そんな歪なだ。


「な、なんなんですか、あなたは?」

『ワタシが誰であるかを聞いて君はなにをどうするつもりなのかな? 誰かに訴える? でもその時はワタシも君を社会的に殺すために全力を尽くすよ。それでもやりたいなら、今すぐにでもこの通話を切って警察にでも駆け込めばいい。その瞬間に、そこにあるような映像がネットに拡散することになるけどね』


 瞬間、部室の中にあったテレビの電源が入った。本機に内蔵されたプレイヤーが起動して動画が再生され始める。それはどこかの教室を映した録画映像。窓から差し込む明かりを見るに、放課後の光景だろう。


 しかしそれを見た瞬間、彼女の顔が一気に青ざめた。


 映像はしっかりと、無人の教室で少女が一人、せっせととある生徒への嫌がらせを行っていく様が記録されていた。それは場面を切り取りつなぎ合わせ、彼女の行ってきた全ての悪質な行為が列挙されていく。


『正直、まさか君が彼女をいじめてたのは予想外だったよ……

 1年4組出席番号18番、同性愛者の――【柴田ゆかり】さん……』

「っ!」


 彼女は以前、2年の若林明里に愛の告白した女子生徒であった。


『ワタシは君のこと、少し尊敬してんだけどね。マイノリティな恋愛観を持っても前向きに生きている女性として……まさかこんな卑劣な手段で誰かを貶めるような女だなんて……残念だ』


 彼女は言葉がなかった。まさかここまでして人の行動を監視していたというのか。


『最近はスマホでかなり長時間の映像が記録できて便利な世の中になったと思わないかい? おかげで決定的なシーンを記録できたよ。さて、むろんそのテレビに入っているDVDはワタシが焼き増ししたヤツだ。それを持って帰って破棄しても徒労で終わり。でも、もし君が徹底抗戦を望むなら無論それでもいい。こっちも徹底的に君を叩き潰すだけだから』

「わ、私に、なにをしろって言うのよ……」


 最悪の想像が脳裏をよぎる。この映像を記録した相手が、どんな意図で柴田ゆかりを脅迫してきたのか。

 相手はそもそも男なのか、女なのか? それさえも分からず、自分の身がこれからどう転んでも悪い方向へと転がり落ちる未来しか想像できない。


『単純な話だよ。ワタシはね、平和主義者なんだ。だからこちらの要求だってかなり平和的な物だよ。松島月に対するいじめ……いや、犯罪行為を今すぐにやめること。ただそれだけ。どうだい? 簡単だろう?』

「そ、それだけ……?」

『それだけだよ。ま、社会的に君を殺すことも少しは考えたけど、君のお友達や家族までとばっちりで巻き込まれかねないからね……さすがにそこは自粛することにしたよ。君は周りの人間をもっと大切にするべきだね』

「嫌がらせをやめたら、さっきの映像とかは、全部消してくれるの?」

『それは今後の君次第かな。しばらくはワタシの影に怯えて生活してもらうよ。君が彼女を苦しめた分だけ、君も苦しまないとフェアじゃないだろ?』


 声の相手は激情を示すことなく、まるで本当に電子音と会話しているような気分になってきた。しかしふと、最後に相手が小さく感情の揺らぎを見せたような気がした。


『最後に一つ……なんで、こんなことをしたんだ? そこだけは、どれだけ考えても分からなかった。君と松島に、具体的な接点なんてなかっただろ?』

「それは……」


 どうせここまで知られているなら、今さら隠し事をしても変わらない。あるいは、ここで下手に隠し事をして相手の気分を害した瞬間、先ほどの映像が流されるかもしれない。

 

 それに、ずっと隠してきた自分の性癖も既に相手には知られているのだ。隠す意味もない、柴田はふっと諦めの吐息を吐いて、電話口の相手に語り始める。


「私……2年の先輩に告白して、フラれて……それで、次の恋を探そうとしてた時に、松島先輩に会って……お手洗いで、偶然……あの人の素顔を見て……」


 それは本当に偶然だった。松島が陰に徹するために別の学年のトイレを利用した時だった。そこに柴田が居合わせたのだ。別学年のトイレということもあって油断があったのか、或いは目にゴミでも入ってしまったのか、松島はトイレで眼鏡を外してしまったようだった。


 その際に、彼女は魅入られてしまった。松島が学園でひた隠しにしてきたその美貌に。


 瞬間、柴田は文字通り一目惚れに落ちてしまった。


『……なるほど、だからあの時……彼女はあんなことを訊いてきたのか』


 声の主は何か納得した様子だった。しかし柴田はその様子に気付くことなく告白を続ける。


「私、思い切って告白したんです、松島先輩に『好きです』って……節操がないって思われるかもしれませんけど、私にとっては真剣で……無我夢中で。でも、断られて……その時に」


『あなたの恋愛観に私は何も言うつもりもない。でもそれに私が巻き込まれるのは迷惑だわ。私はね、一分一秒が惜しいの。学生の半端な恋愛なんてしている暇はないのよ。それじゃ』


「そう言って一方的に断られて……ていうか、半端な恋愛ってなにっ!? こっちは、こんな恋愛しかできないから! 色々悩んでっ、それでも周りに合わせて! したくもない異性の恋愛話にも混じって……我慢して我慢して我慢して……それでも私は私を受け入れて、不器用なりにも好きって気持ちだけはいつだって本気になろうって決めてたのに! なのに――!」


 柴田の堰を切ったように、これまで自分がしてきたことを、己の心の内を全て曝け出していった。


 普通ではない自分の恋愛観に彼女自身も苦しみ、それでも前向きにそんな自分と付き合っていく覚悟を決めた。

 その覚悟を、松島に容赦なく否定されたのが、我慢ならなった。


『それで、嫌がらせをしてやろうって?』

「……」


 柴田は沈黙という形で肯定した。


『そうか。でも同情はしない。君のしたことはいじめというオブラートを利用した犯罪行為だ。それに、君がいじめに利用した松島月の作品は、君にとって大切な恋愛観と遜色ないほどに、彼女にとってかけがえのない大切なものだった。それを君は容赦なく踏みにじったんだ』


 冷淡な声に柴田の喉がひくつき、胃が収縮する。


『訴えれば君を起訴できる可能性は十分にあるだろう。証拠もあるしね。それを念頭に、これからはもっと自分を律することができ人間になることを祈っているよ。それじゃ、もうこうして君と会わないことを願う。ああ、それとそこの扉はちょっとしたコツがあれば簡単に開くよ』


 電話の相手は扉の開け方を簡単にレクチャーすると、


『さようなら、柴田ゆかりさん。よい学園生活を』


 それを最後に通話は完全に切れた。流されていたDVDも再生が止まっている。

 真っ黒な画面には、引き攣った表情を浮かべる自分が映りこんでいた。

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