第36話『誰が為に』

 松島――獲得ポイント「1010」

 青葉――獲得ポイント「1011」

 

 日付が変わるほんの数秒前。青葉は確かにそのシーンを目の当たりにした。

 声を上げるより早く、青葉は椅子を蹴倒してスマホを取り出し、すぐに画面を撮影する。

 かなりギリギリ。写真はかなりぶれていたが、それでも結果は撮影できた。

 

 途端、脚からガクンと力が抜け、床で大の字になった。


「はは……勝った……やべぇ……なんか、いろいろやべぇ」 


 文字通り、青葉の頭の中で語彙力が死んだ。

 勝利に声を上げることもなく、乾いたような笑いがとめどなく口を突く。

 

 が、不意に手の中にある固い感触を思い出し、そちらに目をやる。

 

 固く握られたままのスマホ……

 青葉は起き上がると胡坐をかき、すぐにラインを起動させる。

 すぐに目に付く【THUKI】の文字。

 松島とのトークルームを開き、青葉は文章を打ち込む。


『松島。俺の勝ちだ』


 相手が寝ている可能性は考えていない。青葉同様、勝負の結果を見守っていたはず。その確信を持って、青葉は松島にメッセージを送った。


 果たして、メッセージを送ってから数秒後、『既読』がついた。

 

 途端、松島から簡素な文面で、


『そうね』

 

 と送られてくる。

 そこからはどんな感情も読み取れない。通話機能を使う手もあったが、青葉はあえてメッセージでのやりとりを選んだ。


 青葉『約束は、覚えているな?』

 松島『むろんよ』

 青葉『なら、さっそく勝者の特権を行使させてもらうぞ』

 松島『好きにしなさい。それで私はどうすればいいのかしら? 青葉君の性奴隷にでもなればいいかしら?』

 青葉『冗談。お前に殺される未来しか見えんわ』

 

 その一文から、少し間が空く。 


 松島『なら、どうすればいいのかしら?』

 青葉『俺がお前に求めるものなんて、今はひとつだけだ』


 そう。この勝負を挑んだ理由。すべてはこのため。


 青葉『助けを求めろ。俺を信じなくていい。ただ、助けて、って俺に言ってくれ』

 

 またしても、返信まで間があった。

 今度は、少し長い。


 松島『分かった。敗者は勝者の言いなりだもの。仕方がないわ』


 なんて、まるで免罪符を口にするような文面に、青葉は苦笑した。

 しかし、次のメッセージを確認した青葉は、一気に表情が引き締まる。


 松島『助けて』

 

 短く、一言。次いで、


 松島『助けて…青葉君』

 

 送られてきたのは、それだけだ。

 しかし青葉は、スマホ画面の向こうに松島を幻視し、


「オッケ……」

 

 と、小さく呟いた。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「うっす、青葉」

「ん? よう泉。この前は助かった。あんがと」

「おうよ! めっちゃ感謝しろよ! 地味に大変だったんだぜ、アレ」

「悪い。でも、おかげで『言質』は取った」

「そっか。てことは……」

「ああ、動くぞ」

 

 青葉と泉は訳知り顔で頷くと、揃って視線を移動させる。

 

 松島がいたはずの席。そこには、いまだ誰の姿もない。


 誰もいなくなった机。それは真新しいものに変えられ、喧騒の痕跡が綺麗に消えて失せていた。まるで何事もなかったかのような空気がとどまって、静寂に包まれているようだ。


 だが、クラスメイトの誰も机を見ようとしない。悪意のきずあとをどれだけひた隠しにしようと、決してそこには拭いきれない残滓がこびりつく。

 故に誰もが目を逸らしたがっているのだ。

 

 特に、先日の黒板の一件は、少なからずクラスに陰を残していった。

 一人を貶めるためにしては、アレはいささか手が込み過ぎていた。


 しかし、あの件で少しだけ見えてきたモノもあった。


 今回、松島にいじめを行っていた誰かは、村田やそのグループではなく、また別にいる。

 

 それに気づいてから、青葉は既に行動を起こしていた。


「泉」

「なんだ?」

「早速で悪いんだけどさ。お前のこと頼りにさせてもらっていいか?」

「おう。なに考えてんのか分かんねぇけど、あぶねぇことじゃなきゃなんでも言ってくれや」

「恩に着る」

「学食1ヶ月奢りな」

「無茶言うな。1週間だ」

「手を打とう。それで、なにして欲しいんだ?」

「とりあえず今回は若林も巻き込む。話はあっちと合流してからだ」

「あいよ。若林には俺から声かけとくか?」

「いや、俺が直接呼びに行く。今日の放課後、部活終わりでいい。矢乙女駅近くのファミレス集合ってことで」

「了解」


 青葉は主を失った机に向き直る。誹謗中傷を書き殴られた机は、その黒い感情ごとどこかへ持っていかれたが、いまだ染みついたマジックの跡が、青葉には見えたような気がした。


 昨今の安っぽいドラマでももう少しいじめのシチュエーションを捻りそうなものだが。いや……あるいはあそこまで直接的に松島を攻撃しているというのはそれだけ強い感情の表れということなのかもしれない


 だがどれだけ相手の思考を深読みしたところでやっていることはれっきとした犯罪行為だ。


 いかにいじめというオブラートに言葉を包み込んだところで、それを行う者の卑劣さが良に転じることはありえない。

 青葉はある意味、いじめなどと言う言葉はこの世から消えてしまえばいいと思っている。

 それは決して前向きな思考ではなく、いじめという言葉で一括りにされてしまう行為をもっと直接的に表現すればいい、という思いからだ。


 誰誰が誰誰をいじめた……この言葉のインパクトのなんと弱いことか。誰誰が誰誰を殴りました。こう表現した時点でその誰には暴行罪が適用されるだろう。


 あるいは……そうやってぼかすことで事の深刻さをひた隠しにしようとする、どこかの誰かの見えない意図が隠されているのではないかと邪推してしまう。


 弱い者は強い者に搾取されなければならないという、誰かの意思が……


「……ふざけんな」


 泉が去った後も机に腰掛けたまま青葉は呟く。

 朝のショートホームルームが終わり、授業が始まる。

 合間の短い休み時間。青葉は若林のいる教室へと走った。

 多少は目立つことを覚悟し、若林を廊下に呼び出してもらう。


「よっすあおっち! ふむふむ、その様子を見るに、うまくいったみたいだね」

「ああ、おかげさまでな」

「なによりなにより。で、あおっちがわざわざこっちに来たのって、それ関連の話だよね」

「話が早くて助かる。その通りだ。今日の放課後、悪いけど全部の予定キャンセルして俺に付き合ってほしい。泉とお前に、また別に頼みたいことがあるんだ」


 いきなり不躾なことを言っている自覚はあった。しかし若林は人好きする笑みを見せて、


「オッケー。とりまあおっちの教室に行けばいい?」

「……自分で言っててなんだけど、いいのか?」

「いいよ。こうなったらところんまで付き合ってあげる。ま、私もちょっと気分良くないしね。同じ学年でそういうことが起きてるってのは」

「ありがとな、若林。とりあえず矢乙女のファミレスに集合する予定だけど、大丈夫か?」

「あ、そこやめといたほうがいいかも。そのあたり村田っちのグループがちょいちょい出入りしてるから……あおっち、さすがに鉢合わせると気まずいよね」

「確かに」


 村田とはあの黒板の一件以来どうにも関係がぎくしゃくしている。親しかったわけでもないが、露骨に睨まれる機会が増えてげんなりしている。


 が、青葉は若林が青葉のクラスの事情を知っている件に関して感心半分、クラスメイトの口の軽さに呆れ半分で肩を落とした。


しかし若林が言うように、今の時点で村田たちと出くわすのはあまり歓迎された状況ではないのは確かだ。


「うちに来なよ。学校からも近いし、うちの親いつも遅いからちょっとくらいなら居座っても大丈夫だよ」

「……分かった。それじゃ場所を借りるな」

「お貸ししましょう。で、お礼は?」

「コンビニの新作お菓子一週間でどうだ?」

「乗った! あ、ついでにこの前のお礼も返してもらおっかなぁ。お菓子は直接この教室にあおっちが持ってくること。で、私らとちゃんと絡むこと~! あかっちがあおっち来ないの~、って言ってたよ」

「あいつのおもちゃになれと?」

「いいじゃん減るもんじゃなし」

「了解」


 そもそも青葉に拒否権はない。若林がそうしろというなら、そうする以外に選択肢はない。そういう約束だったのだ。


 青葉は教室に戻るなり泉に集合場所が若林の家になったことを伝える。

 彼女の家は二人とも知らなかったので、学校近くのコンビニにいったん集まることになった。

 放課後。泉の部活も終わった6時過ぎ、青葉、泉、若林の3人は若林家のリビングで顔を突き合わせ、そこで青葉は、


「学校中に俺のクラスでいじめが起きていることを徹底的に広めてくれ」


 と頼み込んだ――


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 数日後。


 松島はふらりと学園に登校してきてクラスを驚愕させた。

 あれだけのことをされて学園に来られる精神にいよいよクラスメイト多は彼女を異質なものとして見始める。

 同時に、またあの重苦しい空気が訪れるのかと、ほとんどの生徒が冷ややかな目を松島に向けていた。


 しかし、新学期が始まって4週間……学園祭の話題が学園内で広がり始めた頃になっても、松島に対する一切の嫌がらせは行われなくなっていた。


 それはまるで、最初からクラスの中にいじめなどいうものはなかったのだと言わんばかりで。クラス内を満たしていた重苦しい粘土のような空気も次第に弛緩し、先に控えた学園祭の話題に意識がシフトしていく。

 それは担任教師も例外ではなかった。あるいは最も見て見ぬフリをしてしまいたかったであろう人物の一人だ。その反応はある意味では当然だろう。


 しかし、クラスのいじめに関する話は学園を広く駆け回り、それはいつしか外部にも知れることとなった。職員室には電話が頻繁に鳴るといった事態に見舞われていたのだが、それを知る者は学生の中ではごくわずか。


 教室に姿を見せた担任教師が一時期かなり疲弊した姿を見せていた。そして……


「青葉君」

「よう松島。そっちから声を掛けてくるとか珍しいな。愛の告白?」

「放課後、話があるから駅近くの公園まで来なさい。いいわね。拒否権はないわよ」

「ちなみに断ったら?」

「なにもないわ。ただこの残暑厳しい炎天下の中、一人の可憐な女子高生が屋外で寂しく干物になっているだけよ」

「了解。行かせて頂きます」


 これ以上ないほどの脅し文句を口にされ青葉は頷いた。


 放課後。松島と青葉は揃って教室を後にする。二人は肩を並べる、なんてことはなく松島がそそくさと先を行って公園に入っていった。


 広く整備された公園。人と人との間にはかなり距離があり、『秘密』の話をするのにはある意味でもってこいだ。二人は公園のベンチに腰掛けた。


「単刀直入に聞くわ? あなた、を何したの?」

「と、言いますと?」

「惚けないで。あんな風にいきなり私への嫌がらせがピタリと止むなんてさすがに不自然だわ……一体、なにをしでかして私への嫌がらせを止めさせたのかしら?」

「しでかしたって人聞きの悪い……」

「あれだけ典型的ないじめを繰り返していた相手がいきなり音沙汰もなくなるなんて、まともな手段じゃ考えられないわ」

「まともだよ。少なくとも松島以外の被害者はいない。誰もマジでは泣いてない。何もかもが万々歳。世は全て事もなし」

「なに韻を踏んでるの面白くないからてきぱきと洗いざらい話しなさい」

 松島は眼鏡を外して青葉をじろりと睨んだ。

「ネタになるような話じゃないぞ?」

「それを判断するのは私よ」

「さいですか」


 青葉はベンチの背もたれに寄りかかり、とつとつと語り始めた。

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