第35話『主人公的行動とその行方』
短編小説を投稿した直後の推移は、松島が圧倒的な実力を発揮して各自に読者数とポイントを獲得していった。
彼女が今回選んだジャンルは松島がずっと書き続けてきたハイファンタジーだ。俗にいう追放復讐モノ……と見せかけたほのぼのとした物語である。
【とある女の子が所属していた冒険者パーティーを追放されるのだが、それは彼女のことを想うあまり危険な家業を続けさせられないと決断したパーティーメンバーによる思い遣り故の行為だった。しかし、それでも一人、危険な冒険に乗り出そうとする少女に、元パーティーメンバーが過保護なまでに、しかし追い出した手前積極的に関わることできず、影で彼女を必死にサポートする】
という、ドタバタ喜劇のような作品だ。焦燥しきっていた松島が書いたとはとても思えないほどの。
青葉もざっと目を通したが、短いながらも各キャラの行動理念がしっかりと描かれ、要所をしっかりと抑えつつもうまく集約された良作であった。
しかしそれに遅れながらも、この短期間で多くの短編を執筆し、先日の長編で確かにサイト内に爪痕を残した青葉の作品も、確実に読者と評価を得て食らいつく。
執筆を終えた青葉は、週明けには学園へ復帰。いつも通りのルーティーンをこなして作品の評価推移を確認し続けた。だが、そこに松島の姿はなく、机は痛々しいいじめの痕跡を残したまま主を失っていた。
時間の経過とともに、作品へのアクセス数も目に見えて減り始め、加速するようについていたポイントも今はまばらになっている。
だというのに、松島の作品の評価は減衰の傾向こそ青葉と同様だが、読者の数は明らかに青葉のモノより多い。必然的に、ポイントの差は徐々に開き、投稿から3日が経った今は、もう、目も当てられないほどの差となって現実を突きつけられる。
中間での青葉の獲得ポイントは『445』
対して松島のポイントは――『899』
決して青葉の数字とて低くはないのだ。
それでも、松島の作品には及ばない。これから、この点差はますます広がって行く可能性が高い。
結局は、これが現実だとでも言わんばかりに、時間の経過とともに開いていく点差。
だが、青葉はじっとこの経過を見守りつつ、
「ここまでか……」
と、人気の少なくなった放課後の学園の教室でひとり、机に腰掛けて落胆の色を声に滲ませる。
彼はスマホをポケットに入れると、椅子から立ち上がって教室の外に出る。
廊下をゆっくりと後者の外に向けて歩く。
外に出ると、空は夕焼けの色をより濃くし、部活に精を出す生徒の声が遠くから響く。
そんな中、青葉は再びスマホを取り出すと、通話ボタンアイコンをタップする。
数回のコール音。
しばらくしたのち、相手が電話に出る。
『やほ~。こんな短期間で2回も電話かけて来るとか、ほんと珍しいよね。そんで、やっぱりあの件?』
電話の相手は女性だ。快活な喋り方で、電話越しにもはっきりとした発音は非常に聞き取りやすい。
「……あぁ、急に悪い。やっぱりお前の力が必要になった」
『そかそか。んで、その見返りはちゃんとあったりする?』
「…………あぁ……俺でできる範囲でなら、お前のいう事、それなりに聞く、ってのでいいか?」
『なんでも?』
「できる範囲、って言っただろ……でもまぁ、その範囲でなら、なんでも。だから――」
数回の受け答えの後、青葉は瞑目し、後頭部を掻きながら気恥ずかしそうに口にする。
「助けてくれ……若林」
小さく、それでいてハッキリと、青葉は彼女の名を呼んだ。
途端、電話の相手――若林明里は『よ~し!』と声を張って、
『いつも愚痴を聞いてくれているお礼と、あおっちを自由にできる権利! OK! その無茶なお願い、聞いてあげましょう!』
と、どこか芝居がかった口調で、若林は明るくそう青葉に返した。
が、そのすぐ直後、彼女は声を小さく落として、電話越しに呆れるような雰囲気を滲ませる。
『でもそっか……あおっちが人に頼るか……そっかそっか……それも、ひとりの女の子ためにねぇ……』
「分かってる。らしくないことをしてる自覚はあるよ。似合わなないことしてるって」
『そういうことじゃないんだけど……ううん。別にいいや……ただ、ちょっとばかしね……色々と思うところがあるっていうか、なんていうか……複雑なんだよ。乙女ってのは』
「うん?」
『あはは……わかんないならそれはそれでいいよ』
若林の言いたいことがよく分からずに、青葉はスマホか片手に首を傾げる。
『まぁそれはともかく、あおっちたっての頼みだからね。なんとかしてみるよ。でも、それで『足りなかった』としても、恨みっこなしなしね』
「ああ。恩に着る。若林」
『大丈夫。そこは体で返してもらうから』
「なんだ? 俺の貞操でも欲しいってか?」
『あはははっ! うん! それでもいいよ! あおっちがくれるんなら、もらってあげるからさ! あははははっ!』
「おいおい」
若林の軽い反応に、青葉は苦笑した。彼女はひとしきり笑ったあと『冗談』と息を切らせて言うと、そこから始まった取り留めもない会話が交わされる。青葉は電話口に頷きながら、若林に話に付き合う。
『――そんじゃ、期待しないで待っててよ。また明日ね、あおっち!』
「ああ、またな」
それを最後に、若林との通話を切る。
用件だけ話すつもりが、30分近くも駄弁っていたらしい。
特に面白い話もできない自分と話してても、これだけのあいだ口が止まらない若林に関心しつつ、青葉は「さて」と校舎の先……遠く喧騒が響く、学園のグラウンドを目指して歩を進めた。
もう一人、話をしなくてはならない相手に会うために。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
グラウンドはサッカー部と野球部がそれぞれに別れて練習する光景が広がっていた。
見れば、最後の練習を終えて、どちらも後片付けに入ろうとしているようだ。
そんな中に、青葉は目的の人物を捜して目を凝らす。
と、部活メンバーに囲まれながら談笑する一人の男子生徒を見つけた。
短く刈り上げた短髪に、がっちりとした体付き。快活そうな人好きする笑みを浮かべながら談笑しているのは、泉大地である。彼は練習で使ったバッドを何本も抱えている。
部外者であるために声を掛けるのは僅かに躊躇われたが、青葉は意を決して声を張った。
「泉~~~っ!!」
と、グラウンドに響いた声に部活中の生徒から注目が集まる。居心地の悪い空気を肌で感じつつ、肝心の泉は「おっ?」と青葉に気付くと、二カッと歯を見せて応じる。
「お~~~! 青葉~~! なんか用か~~~っ!?」
よく通る声。さすがは野球部。普段からああして部下中に声を張っているのだろう。
青菜は多少の気恥ずかしさを感じつつ、声を上げた。
彼はバッドを「ちょっと悪い」と言って部活の後輩に託すと、そのまま青葉に向かって走ってきた。
「悪いな。部活中に」
「もう終わりだから別に問題ねぇよ。つか、お前がこんな時間まで学園にいんのって珍しいな。いつもは授業終わったらさっさと帰んのによ」
「ちょっとお前に話が合ってな。ほら、こない話した、あの件について」
「ああ、アレな。お前が珍しく電話なんか掛けてくっからなんだと思ったけどよ」
「それだ。で、やっぱりお前の協力が必要になった」
「なるほど……でもよ、それっていいのか? なんか俺的には気乗りしねぇっていうか……」
「頼む。俺に頼れるのはお前しかいなんだ。無理を言ってるのは百も承知だ。それを承知で、なんとか協力してくれ」
青葉はぐっと腰を折り、地味に頭を下げる。
それ見た泉は、はぁと溜息を吐きながら問い掛ける。
「協力すんのは別にいいだけどよ……お前的に、今回の件はそれで満足できる結果になるのか?」
「ああ」
青葉は即答した。その真っ直ぐな視線に、泉はポリポリを頬を掻く。
「……オッケ。まぁどんだけできっかは分かんねぇけど、やれるだけやってみるよ」
「ありがとう、泉」
「別にいいよ。その代わり、お前もっと俺達との付き合いを増やせよ。夏休み中に何度も誘ってんのに断りやがって」
「悪い。ちょっとこっちも余裕なかったんだよ。でも、まぁこっちも無理な頼みをするわけだし、今度からもうちょっと善処する」
「おう。なら、今度またあの面子でどっか遊び行くから、そん時は付き合えよ」
「了解」
「ったく」
呆れた物言いをしつつ、泉はふっと頬を緩める。なんやかんやと、こうして青葉が何かに積極的動いているのが嬉しいらしい。
「まぁ、あんま期待しすぎない感じで待っててくれ。できる限りはやってみるけどな」
先程の若林の時と似たような受け答えに、青葉はちょっとおかしくなる。
と、不意にグラウンドから泉は野球部の先輩から呼ばれた。
「そんじゃ、また明日な」
「ああ、またな……悪いけど、よろしく頼む」
泉は踵を返し、グラウンドに向き直る。走り出そうとした彼は、不意に青葉へと顔だけで振り返り、ニッと少し意地の悪い笑みを浮かべて、
「青葉も、遂に青春するときが来たみてぇだな」
と、のたまい、そのまま走り去って行った。
泉の背中を見送り、青葉は「そんじゃねぇよ」と苦笑する。
とはいえ、誰かのために、こうして勢いのままに行動しようとしている青葉の姿は、なぜだか妙に生き生きしているように見えた。
――更にその夜、青葉は自宅の玄関で母親を待ち構えた。
――昔一緒に、ほんのわずかな期間だが珍しく意気投合したバイト仲間に連絡を入れた。
――同じマンションに住む親戚の家にいきなり押しかけた。
青葉は可能な限り、自分の行動範囲で声を掛けられる知り合いに声を掛けていく。
時間はない。
……なんで、俺はこうまでして精力的に行動しているんだ。
理由はもちろん頭ではわかっている。松島との――勝負に勝つためだ。
あの日、松島から拒絶された日に、彼は思ったはずだ。勝つためなら『なんでも』やると。
だが、なぜそうまでして勝とうとしているのか。
他人に関わるのなんて御免だと思っていたはずだ。青葉の過去が青葉自身に問い掛ける。
――『まるで懲りてない。関わりを増やして、また同じ過ちを繰り返すのか、お前は……』
冷めた声が脳裏から手を伸ばす。真っ白で、血の気がなく、まるで死人のそれだ。
――『他人はお前の気持ちに応えない。お前の気持ちを知るのはお前だけ。お前がどれだけ相手を想おうが、相手はそれを――』
……知ってる。
青葉は振り返る。色を亡くした自分を見る。小説を書くことで蓋をした、自分の原典。
どんなに無視しても、今の自分に繋がる因果がこの無色の青葉だ。見えなくなったとしても、必ずどこかにソレはいる。冷めた目で……今の自分を見つめている。
でも、
……誰も俺の気持ちを正確に理解なんてしない。気持ちを伝えても、その何割が相手に伝わるかも分からない。いや、多分、なにも伝わってないのが正直だと思う。
でも、
……趣味で小説を書くみたいに、ちょっとくらい自己満足を描いても、いいんじゃないか?
それに、
「松島は俺の師匠で、読者だ」
自問こそまやかし。結論なんて、最初からハッキリとしていたのだ。
「あいつが読んでくれなくなったら、また読者がゼロになるかもしれないだろ」
青葉の世界に初めて本気で触れてきた
――『まるで主人公気取りだ』
……そうかもな。
二つの心が自虐する。結局、今の青葉が止まらないなら、過去の青葉の干渉に意味はない。
自問する心が仮に枷だとしても、引き留める鎖はきっとない。仮に身動きができないのなら、縛っているのはいつだって自分自身なのだ。
タイムリミットが近づく。
土曜日、早朝。
青葉はPCにかじりつく。今日はきっと何をやっても手なんかつかない。
ただただ、勝負の結果、その行く末を見守る。
現在の総合獲得ポイント――
松島……『1002』
青葉……『961』
――僅差!
松島の書いた短編は、週の半ばを過ぎたタイミングでポイントの加速が目に見えて減じてきた。対して青葉の作品は、終末に入った瞬間に怒涛の追い上げを見せる。
あと少し……残すは『50』ポイント。
ここで松島に新たなポイントを獲得され、引き離される心配は確かにある。
だが、それでもまだ首の皮一枚、繋がっている。
確かに一日で50ポイントもの数字を稼ぐのは並大抵じゃない。
だが、青葉がサイトを確認する中、
――『961』→『973』
動いた!
まだ、青葉の勝利の芽は摘まれていない。
今は正午14時。まだ時間はある。
まだ――
――『973』→『985』
まだ――
――『985』→『997』
夜22時。
「――っ!?」
松島の、今まで動かなかった数字が、ここに来て、動く。
――『1002』→『1010』
青葉はキーボードに拳を振り下ろしそうになる。
だが、まだ時間はある――あと、2時間!
――『997』→『1009』
残り――10分……
松島の獲得ポイント――「1010」
青葉の獲得ポイント――「1009」
差は、ブックマーク一人分。
「あと一人……あと一人でいい……誰か……誰か来てくれ……誰か……」
青葉はサイトの更新を繰り返す。
何度も、
何度も、
何度も――
「誰か……誰か……誰か……」
更新する、更新する、更新する。
動け、動け、動け――動け!
ほんの少し。作品の上にあるボタンをワンクリックしてくれるだけでいい。
それも一人だ。そんなのは秒で終わることだろ。なんの手間もない作業だろ。アクセスしてるんだろ。読んだんだろ? 読み逃げせずに評価してくれ。
このさい最低評価でいい。気に入らないと唾を吐きながら批判していいから。
無関心だけはやめてくれ。見てくれ――作品を!
ここにあるんだ。確かにここに。
見えているはずだ。だって、これは――
「あいつと、俺で書いた、作品なんだ……」
松島の師事がなければ、この作品は書けていない。
厳しくも、青葉の作品を少しでも良くしようと言葉をくれた松島。彼女の存在があってこそ、今こうして勝負できている自分がある。
誰からも見向きもされず、ずっと暗い闇をかき分けていた青葉に挿した光明。それが――彼女だ。
だからこそ、青葉はこの勝負で勝たないといけない。必ず。
カチカチカチと、マウスがクリックされる音だけが、部屋のを満たす。
まるで、時を刻む秒針のように。規則的に繰り返される乾いた音。
残り、1分――
「頼むから――動いてくれ!!」
秒針が迫る。円を描く。
残り、20秒――
カチ、カチ、カチ。
青葉の指の動きが、緩慢になってくる。
目が痛い。頭も痛い。吐き気もしてきた。
……誰でもいい……
残り、10秒――
青葉は、それでも諦め悪く、更新をクリックし続ける。
時計の針は青葉の姿を見つめながら、呆気ないほど簡単に、その日付を変えてしまった。
勝負は遂に、約束の時を迎える。
果たして、その結果は――
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