第34話『勝利するために』

 仮病を使い、青葉は寝る間も惜しんで短編の案を捻り出し、執筆する。

 3日という時間制限の中、青葉は自分の現界に挑むつもりであった。


 選んだのは学園を舞台にしたラブコメだ。

 青葉にとっての現実の代用品。今日までずっと書いてきた青葉の十八番だ。


 筆のノリはいい。キーをタイプする指に迷いはなく、描くべき物語をゆっくりと、しかし確実に形にしていく。

 青葉はこの作品に今の自分の全てを込めたと言っても過言ではない。

 今日まで学んだ、学ばせてもらった知識を総動員し、自分の中で思い描く、理想の世界を創造していく。

 世界を彩るキャラクターたちが、まだ見ぬ文字の中で踊り、語り、青葉の脳裏から平面の世界へ産まれでる。文字は単語へ、単語は文章へ……文章は群れを成して輪郭を帯び、物語へと昇華していく。


 アウトプットは順調だ。


 青葉は確実に自分が思い描く世界を、思い描いた理想の形で文字に変換できている。

 手ごたえがある。

 指は止まらない。いや、既に勝手に動いてさえいるようだ、

 キャラクターたちが自分の世界を泳いでいる。そこにはまるで本物の意思が宿っているかのようだ。


 生きている。物語の中の世界で、確かにひとの息吹を感じられる。

 目には見えない表情が、声が聞こえる。感情が伝わってくる。


 今の青葉は、まるでどこか別の世界の……そう。今を切り取って日記をカイテいるような感覚だったのかもしれない。

 人のプライベートを覗き込み、感情を共にし、そっと心情と目に映る景色を己の中に溢れる言の葉で記していく。

 文字の世界の彩りは、白と黒のモノトーンでしかない。


 しかし、青葉には見えていた。色彩豊かに、決して褪せることのない、確かな世界を――


 ふとした瞬間に、彼の手が止まる。


 物語も終盤。これまでに書いた文章量は約10000文字。残すは山場。起承転結の『転』、そして『結』……物語の結末は、既に頭の中にある。


 だというのに、そこで指が止まってしまった。

 なんとなく冒頭から、物語を読み返す。

 書けている。きちんと、自分の物語だ。

 紛れもない、自分の描く理想世界。


 青葉は頭を振って、勢いのままに再度筆を走らせる。

 自らの呼吸も忘れたかのように、キーボードの上に指は走らせる。

 パチン、パチン――決して軽快とは言えない打鍵音。だがそんなものは些末なことだ。


 このまま、書き切る。

 いよいよ、最後の山だ。

 主人公とヒロインが、物語の中で行きついた答えを示す大事なシーン。


 だが、そこでまたしても、手が止まってしまう。


 思考の隙間に生じた青葉の意識は、物語の主人公と対峙する、物語のヒロインへと向けられた。これまで、外側から見つめていた彼の目線と、自分の目線が一瞬、交わったかのような錯覚を覚える。目の前にいる女性の姿は、現実には文字で表記されただけの無形のもの。


 そこに青葉は、一人の女性の姿を幻視していた。

 嫌味がきつく、自分にも他人にもストイックで、確たる自己を持った、憧れの女性――


「……っ」


 途端、違和感が喉の中でジワジワと青葉の中を這い回る。

 それは少しづつ降りてきて、青葉の心臓へと到達し、ピリピリと言いようのない熱となる。


 なのに、決して嫌な感じのするものではなく、むしろ……


 ……なんだ?


 分からない。あと少しだ。もうすぐ完成する。

 正体の知れない不可思議な心の動き。しかし青葉は、なかば無意識にキーボードへと手が伸びた。


 ゆっくり、ゆっくり……まるで壊れ物を扱うかのように、その指が最後の文章を刻んでいく。


 パチン――遂に、最後の打ち込みが終わった。


 途端に、青葉はハッと現実の世界へと戻ってくる。


 ふと、部屋の時計を見上げた。

 金曜日の、13時……『文豪の卵』への投稿まで半日を切っているが、十分に間に合う。


 推敲に掛ける時間は確かに少ないが、それでも投稿できる最低限の状態へ持っていくことは問題ないはずだ。


 青葉は息を一つ吐き出し、頭と目を休めるためにリビングへと向かう。

 冷蔵庫から麦茶を取り出して、グラスに注ぐと一気に煽る。キンと冷えた麦茶が乾いた喉を滑り落ち、青菜は一息ついた。


 そのままソファに体を投げ出し、ポケットに入れっぱなしだったスマホをテーブルの上に置く。


 体から力を抜くと、途端に疲労感が全身を包んだ。体も節々が痛みを訴える。特に、背中から腰、腕の筋肉が強張っっているのが自分でも分かる。

 同じ体勢で長時間いたため、体は想像以上に疲弊していたようだ。


「形はできた……あとは……」


 執筆の熱が冷めていくのが分かる。

 ちょっとずつ、現実に思考が回帰し、高揚感はスイッチを切り替える様に火が消えて、代わりに今の状況を分析する冷静な自分が顔を覗かせた。


 ……全部吐き出した。


 持てる限りの力で、青葉は短編を書き切った。そこに不満はない。充足感すら覚える。


 だが、冷えた青葉は、自分があの作品を投稿し、実力で松島に勝てるのかどうか。それを考えた。考えてしまった。


「勝てない、だろうな……」


 そうして出た結論は、青葉自身も驚くほど納得できてしまえるものだった。

 自虐ではない。現実問題として、青葉は松島には勝てないと理解できてしまったのだ。

 作品の出来に関する不安は勿論だが、問題はそれ以上に厄介な点にあった。


 そもそもとして、青葉と松島では、作家として周囲に認知されている規模が違いすぎるのだ。


 片や絶賛人気を集める売れっ子作家、片やようやく最近になって認知され始めた駆け出し作家……そこで生じうる問題は、決して今の彼女と自分では埋められない大きな溝だ。


 例えば……彼女が一度、自分の作品を宣伝するようなことがあれば。


 ――ピロン。


 思考を巡らせる青葉の耳に、スマホの新着通知が入る。

 それは、松島が久しぶりに発信した、ツイッターの通知を知らせるものだった。


『ご無沙汰しておりました! 実は、今回は少し趣向を変えて、短編を投稿することにしました! 今日の深夜24時に、投稿予定です! ぜひ読みに来てくださいね!』


 まるでタイミングを見計らったかのように、松島は短編の投稿を知らせるツイートを流してきて来た。


 事前の宣伝は禁止していない。告知は自由だ。


 とはいえかなりギリギリのタイミングだ。しかし既にそのツイートに対し、十件以上の「いいね」がつく。同時に、数件のコメントがついたのも確認できた。


「……やっぱり、動くよな」


 これだ。これそこが、青葉が松島に勝てない最たる理由だ。

 人気作家である彼女が軽く宣伝するだけで、こうもあっさりと飛びつく者が出てくる。


 果たしてどれだけの人間が彼女の小説を実際に読み、評価を下すのかは分からない。だが、すでに獲得している彼女のファンは多く、その規模を考えれば決して少なくない評価を獲得することは容易に想像できた。


 松島の短編に関する関心がコメント言う見える形で具体化し、青葉は思わずスマホを握る手に力が入った。


 ……これが、俺と彼女の差。


 きっと、これまでもまだ松島は全力じゃない。こんなものでは終わらない。

 まだまだ告知を売ってくる。読まれるための努力はなにも作品を作ることだけじゃない。


 自分についたファンに、如何にして作品を知ってもらうかもまた、今の……WEB作家には必要なスキルなのだ。


 まるでそれを教授するかのように、松島のツイートは止まらない。

 コメントへの即リプ、追加のツイート発信。とにかく松島は人を呼び込んでいた。

 大して青葉には、SNSで構築したコミュニティはないに等しく、今から宣伝活動を始めたところで焼け石に水どころの話ではない。


「…………」


 しかし、青葉はスマホを見つめたまま、焦った様子もなく静かに目を閉じた。

 焦っても今からできることはたかが知れる。全く焦燥感がないと言えばそれは嘘になるが、青葉は既に、こうなるであろうことは作品を書き始めるより前になんとなく分かっていた。


 伊達にずっとWEBで書いていたわけではない。松島との講義から自分でも人気の取り方を調べたりもした。


 そこ中にあったSNSの活用。

 ツイッターやサイト内でコミュニティを形成し、俗にいう『読み合い』の実施から、人脈を広げていくかなりグレーな手法。


 しかし、面白い面白くない以前に認知されねば良作も埋もれるのがこのネット小説戦争なのだ。ただ面白い作品が書けるだけでは読まれないという世知辛い現実。


 青葉はその事実を前に、ツイッターのアプリを閉じた。

 諦めた、わけではない。

 青葉は松島に勝たねばならない。

 そうでなければ、きっと松島は潰れていく。擦り切れてしまう。その果てにどこへ向かうのか。


 或いは、初めて出会った時に口にしたような、『転校』という手段を取る可能性もあるにはあるが……


 青葉はソファから立ち上がり、自室へと戻る。


 ライトノベルが収められた本棚の中に、背表紙ではなく表紙を表にして並べているシリーズの本が収められていた。


『加護まみれ転生~神様に愛されすぎた彼女は異世界を無自覚に無双する~』


 その第一巻であった。


 落とさないよう、慎重に本棚から抜き取り、久しぶりに中を確認する。

 主人公は友人に裏切られ、そのまま異世界に転生してしまう。

 そこでも、決して優しいだけの世界ではなく、人の暗い部分も描かれ……しかし主人公は誰を恨むこともなく、純粋な心で他者を魅了し、次々と自分の陣営に引き込んでいく。

 彼女はまるで口癖のように、『信じていますから』と、相手の心を信用する。信頼する。

 まるで、そうでありたいと願うかのように……


「俺は勝つ……絶対に」


 敗北の未来はかなり濃厚だ。


 それでも、青葉は勝負を捨ててはいない。


『加護塗れ転生』と本棚に戻すと、青葉はスマホを手に取る。


 彼は数少ない連絡帳に記載された人物たちに、連絡を入れた。

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