第33話『ガチ短編勝負』
そんなことがあった翌日も、松島はこれまでと変わらずに学園に登校してきた。
次の日も、その次の日も……
それはもはや意地の張り合いの様相を呈しているかのようで。
いじめに松島が潰されるのが先か、松島の根気にいじめる側が根負けするのが先か。
しかし、その決着はもはや誰の目にも明らかだっただろう。
松島は、とうにの前から限界だった。
8月ももうすぐ終わろうとしている。夏休みが明けてからこれまで、一度たりとも執筆の講義が開かれたことはない。
その間、松島は明らかにやつれ、顔つきはまるで病人のそれだった。青白い顔でゆらりと帰路につく松島を、青葉は校門で呼び止めた。
「松島」
「……青葉君」
振り返った彼女の目の下は薄っすらと隈の跡が見て取れた。
しかもそれは薄っすらと化粧を施して誤魔化した結果により、本来より薄く見えているだけの代物である。
実際はもっとくっきり、それこそ下手な病人より病人らしいほどに、松島本来の美貌を陰らせるレベルで浮き上がっていることだろう。
青葉は周囲を見渡し、人気のない校門の陰に移動した。ここなら、多少声が響いても近くで部活をしている生徒の熱気が全てを隠してくれる。
「松島、その隈……」
「ああ……最近ちょっと色々と締め切りが近くて……あまり寝てないのよ」
明らかに嘘だと分かる発言だった。
松島は青葉の生活習慣に物申すほど生活リズムには気を遣っている。それが出来なくなるほどに、今の彼女は追い詰められているのだ。
「プロは自己管理出来てこそ、だろ? 自分で矛盾してるぞ」
「…………あなたには関係ないわ」
「ある。少なくとも、師弟関係にある俺には」
「…………」
松島は押し黙ったまま下を向く。いつもの彼女らしくない。普段であればここで青葉の言葉など跳ね除けて、自己の考えを容赦なく捲し立てて来るのが松島という少女ではなかったのか。
「寝れてないんだろ……原因は執筆じゃない。この学園だ。それならそう言えばいい。意地を張ってこれ以上からだ壊してどうするってんだ」
今の彼女を見ていられない。このままいけば、間違いなく松島はどこかで破裂する。すでに秒読みに段階に入っていてもおかしくない。
「あなたが何を言ってるのか分からないわ。言ったでしょ。私は今の状況をなんとも思ってないって……むしろ、こうしてリアルな状況を取材ができて――」
「それが、まともに続きも書けなくなって、更新も止まってるお前の言い訳か?」
「……」
「辛いなら辛いって、そう言わなきゃ誰も助けてなんてくれないんだ。虐めてる奴も、諦観してる奴も……何もアクションがなければ、状況は今よりもっとひどくなって――」
「だったら何? 私が『助けて』って言えば、青葉君が助けてくれるとでも言うつもりなの?」
「ああ」
迷わず、青葉は首を縦に振り、言い切った。
途端、松島の目がつり上がり、鋭く青葉を睨み据えてくる。
「俺はお前を助けたい。たとえお節介でも、俺は――」
「お断りよ。私は誰の手にもすがらない。ましてや同級生に? クラスメイトに? 冗談じゃないわ」
拒絶の言葉が吐き出される。だが、それにすら力が籠っていない今の状態を見れば、松島の精神と肉体がどれだけ悲鳴を上げているのか押して図れるというものであった。
「松島。これ以上意地になるな。このままだと、お前本当に、」
と、青葉が松島の肩に手を振れた瞬間であった。
「触らないで!!」
「っ」
今までない松島の叫びにも似た恫喝と同時に、青葉の手は力強くはたき落とした。松島は手負いの獣のように後ろへと下がり、青葉に明確な敵意を、憎悪すら込めた眼で青葉を睨みつけた。
「なに? 家に上がり込んで親密にでもなったつもり? なにか妙な勘違いでもさせちゃったのかしら? なら思い上がりも甚だしいわよ、青葉修司」
「………どう思われてもいいし解釈すればいい。お前が今するべきなのは、俺の手を取ることだ」
息を荒くし、足元はおぼつかない。にも拘わらず、松島はまるで嘲るような口調で青葉の名を呼んだ。
青葉はじっと、傲慢ともいえる言葉を吐いて松島を見返す……しかしその顔には憐憫もなければ松島の拒絶に対する動揺もない。
彼の態度に松島の眉が更につり上がり、険は徐々に鋭さを増していよいよ外に向けて放出される。
「他人なんて信用できるわけないでしょ! どれだけいい顔をしてても、心の裏では何を考えてるか分かったものじゃない! どいつもこいつも自分のことだけ! 都合のいい時はすり寄っていたくせに、いざ都合が悪くなれば手の平を返す! 他人を貶めて嘲笑うのが人間の常套手段なのよ! そんな人間に助けを求める? 反吐が出るわ!!」
松島の咆哮が木霊した。悲痛に歪むその顔は、まるで今にも泣き出そうにも見えて。
「他人の助けなんていらない。特に、学園の人間なんか、死んでもお断りよ……」
静かに威嚇してくる松島に、青葉はふっと息を吐き出し、僅かに瞑目した。
ことここに至って、青葉は思い知らされた。
彼女は、いまだに過去のトラウマに縛られていたのだ。それはそうだ。決して軽い過去じゃない。松島はただ。気にしていない体を装っていただけ。実際にはまだ、彼女の中で事態の決着はついていない。
それどころか、他者を信じることに恐怖を抱き、ここまで攻撃的な性格にならざるを得なかったのだ。
今の松島が絞り出す叫びは、まるで慟哭のようなだ。
「俺は、松島の弟子だ」
しかし、青葉はゆっくりと口を開く。これ以上必要以上に刺激しないように、慎重に言葉を選ぶ。
「松島の気持ちは分かった。人の力を借りたくない……誰も信用できないから……でも、俺はまだ、お前に教えて欲しいことが山ほどあるんだ。だから」
青葉は今の松島との関係に固執するような自分を演じ、
「松島……俺と――短編小説の総合ポイント獲得数で、俺と勝負しよう」
そんな提案を、松島に投げかけた。松島は訝しむように目を細める。
互いの利害関係から始まったこの関係。
だが、たとえどれだけ薄く儚い、脆い関係性だったとしても、これまで積み重ねてきた月日の中で、青葉は確かに彼女への敬意を抱いていた。
憧れだった。
自分にはない、確固たる芯を持つ彼女に魅かれている。
それを自覚した今、それを穢す存在を青葉は許すことができそうにない。
だから――
「ガチ勝負だ。負けた方は相手のいう事をなんでも一つ言うことを聞く。『なんでも』だ。お前が望むなら、俺はお前の秘密を守ったまま、今の関係を解消してもいい……まさかプロの作家が、セミプロでしかない俺との勝負から逃げたりしないよな?」
青葉の提案に、松島は目に「本気?」と問い掛けるような色が見て取れる。
だが、彼女は
「……いいわ。もういい加減うんざりしたのよ。この勝負で、あなたとの関係を終わらせましょう」
「OK……それじゃ、勝負の内容を詰めようか」
松島の弟子として、必要なことをするだけだ。
たとえ、どんな手段を使ってでも――
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青葉との勝負を、松島は了承した。
挑発が効いたのか、はたまた自分が負けるなんてあり得ないという思いからか。
『完膚なきまでに叩き潰してあげる。少し人気が出たからって増長したその鼻っ柱、完全にへし折ってやるわよ』
などと吐き捨てて、松島は青葉をキッと一瞥して早足にその場を去って行った。
勝負の内容は、完全新規の短編を一本仕上げ、『文豪の卵』に投稿。1週間でどれだけ総合ポイントを稼いだかで勝敗を決めるというシンプルな内容だ。
必ず『文豪の卵』短編として投稿すること。条件はそれだけだ。
文字数に制限もなく、ジャンルも不問。読者の反応に感想やレビューは含まず、純粋なポイント数のみで勝敗を分ける。
執筆期間は今日から3日。今は水曜日。金曜日の深夜24時がタイムリミットだ。
そのまま土曜日に日付が変わった瞬間に、松島と青葉で一斉に作品を投稿。
そこから1週間の期間を設け、日曜日に日付が変わるその瞬間までに稼いだ総合獲得ポイントが多い方が勝ち。
勝負を申し込んだ次の日から、松島は学園を休んだ。理由は体調不良ということらしい。
だが青葉にはそれは半分が真実で、半分が嘘だと気付いていた。
青葉が授業を受ける傍らで、きっと彼女は短編用のプロット練り、キャラクターを仕上げているに違いない。
そう思った矢先、青葉は午後の授業をボイコットして自宅へと走った。
それから、青葉も期日まで学園を休むことにした。母にも、学園にも仮病を使った。
松島は本気だ。
本気でこの勝負に勝つ気でいる。
これまでの勝負。なんやかんやと松島は青葉に敗北を喫してきた。
だがそれは、あくまでも教授の一環として、青葉を焚きつけるためにやったことに過ぎない。
しかし今回は違う。
確実に松島は勝利を掴みに来ている。
プロの作家としての力をいかんなく発揮し、青葉を踏み潰すつもりで。
こちらの不利は百も承知だ。
勝負を挑んだ時点で自分がどれだけ無謀なことを口にしたか分かっているつもりだ。
それでも、やるしかない。今はただ、作品をこれまでにないほど完璧に仕上げ、プロが描く作品に挑む。
こんな事態だというのに気分が高揚している。本気で書くことが、これ以上ないほどに楽しくて仕方ない。
数日の病欠。青葉の母親はそれが偽りである気付きながらも、何も言わずにただ息子の好きにさせた。
その事に、青葉は内心で感謝と謝罪する。だが、それがより青葉の原動力となり、ただひたすらにキーボードをタイプさせた。
だが、ほんのりと、微かに、脳裏の奥で息をひそめる青葉の理性は、この勝負の行く末を冷静に分析していた。
それは、希望的な観測などというものを一切排除した……
青葉自身の――完全敗北の未来であった。
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