第32話『致命的打撃』
教師のパシリから2日後、松島が普通に登校してきたことにクラスメイトはもちろん、教師さえも驚愕に目を白黒させていた。
そんな中にあって、青葉は彼女をチラと盗み見るも、なにも語りかけることはない。彼女が本気で、心の底から誰かに助けを求めない限り今の状況はなにも変わらない。
行動しなければなにもない。分かり切った現実を前に、今日も松島はどこかの誰かからの嫌がらせを、ただただ甘んじでその身に受け続ける。
しかし、それから数日が経った頃――
移動教室から戻ってくると、松島の机の周りになにかが散らばっていた。
それは教室内で拡散するようにばら撒かれており、戻ってきた青葉はそれがなんであるかに気付き喉から胃までが引くつく感覚を覚えた。
散らばった紙片の中に、二次元的なイラストで描かれた挿絵、扉絵が紛れ込んでいる。それらは背表紙から無理やり引き千切られた、ライトノベルだった。
クラスメイトの一人が「なんだこれ?」と拾い上げようと腰をかがめた時、それを松島は横からさらうようにかすめ取った。そのまま彼女はわき目も振らずに散らばったページを必死にかき集めるように拾い上げていく。
そんな中、松島の珍しく動揺した様子に村田が目ざとく気付いた。教室の床に散らばったうち、挿絵が描かれたページを無造作に拾い上げる。
「うわ……これってあれじゃん? オタクが読むやつ。えと、なんってたっけ」
「確かラノベとか言ったヤツじゃなかったっけ?」
「え、なにあんた知ってんの? え、オタクなん?」
「違う違う。うちのキモ兄がそれと似たようなの読んでだよ。マジでキモイ」
村田と取り巻きが口々に「キモい」を繰り返す中、松島が村田の手を掴んだ。
「それ、返してもらっていいかしら」
「あ? なに、これあんたの?」
「違う…………けど、そうよ」
「は? いやマジで? うわきしょい。女でこんなん読んでると終わってるでしょ」
「いやいや、むらちゃん。それどころじゃないくらいにこいつヤバイかもよ?」
「は? どゆこと?」
取り巻きの一人が村田の背後、普段は教師が授業で板書するための暗緑色の黒板を指さした。どこか浮足立ったように村田の肩に手を置き、彼女の視線をそこに誘導する。
瞬間、ゾワリと青葉の背筋に悪寒が奔った。なぜ気付けなかったのか。
これほどまでに、悪意の込められた『創作物』の存在がすぐ近くにあったというのに。
村田の取り巻きの声に、既に気付いていた者、そうでなかった者、全員の視線が黒板へ集中。
上部には松島の隠し撮りされたであろう写真。そこから放射状に矢印が伸び、鋭利な先端が指し示す先には――ビリビリに破かれたのち、パズルのようにつなぎ合わせられた松島の発表作の表紙が張り付けられていた。
糊、あるいは接着剤を用いて黒板に張り付けられているようだ。これを剥がすのは容易ではないだろう。
松島がこれまで世に出してきた作品たち。有名無名を問わず、更には彼女が作品を投稿しているサイトのURLにツイッターのアカウントが記載された名刺までもが張り付けられていた。
極めつけに、松島の隠し撮りの横には、『この本の作者』という、なんとも汚く歪んだ文字が、妙にカラフルに彩られ、目を引くように書き殴られている。
「うわ、これ取れねぇよ」「作者って……これ松島が書いたの?」「てかこのサイト、『文豪の卵』じゃね? あそこで小説書いてるとか、趣味丸出しじゃん」
興味関心に加えて無自覚な悪意が言葉に汚泥を含ませて吐き出される。本人たちにその気はない。しかし彼らは着実に、たった一人の少女に奇異の視線を送り付け、ジワリジワリとその体を蝕む毒を放出する。
「ちょっ! ここまでくるとさすがにガチすぎて引くんだけど! うわナニこれエロっ! オタク好きそうだよねこういうの、マジでないわ」
村田が松島の腕を振り切り、黒板に張り付いたラノベの表紙を前に嘲りせせら笑う。
「返して……それ……返しなさい」
その後ろから松島が再び近づき、彼女が手にしたページを「返せ」と訴え続ける。
「触んなキモ女!」
ドン、と村田が松島を突き飛ばす。机に体をぶつけながら松島の体が床に転がった。彼女は衝撃で手を痛めたのか手首を抑える。
「はぁ……あんたさ、正直女としてどうなん? こんなん書いてさ、んなダッサイ格好して隅っこで小さくなって……あんたみたいな見てっと、すっげぇムカついてくんだよ!」
「っ!?」
村田は手にしたページを握り潰し、床に落として上履きでぐりぐりと踏みにじり始める。
「やめて……やめなさい」
松島は村田の足首を掴み、なんとかどかそうと力ない抵抗を見せる。だが、その姿が村田の嗜虐心に油を注いだ。
「あはははっ、こんなもんがそんなに大事なのっ? たかが紙じゃん! くだらない紙の束の一枚じゃん! そんな必死になって、バカじゃねぇの!? あははははっ!」
村田のやりすぎな攻撃にクラスメイトの一部が場を退き始め、さきほどまで一緒になって笑っていた村田のグループまで「ちょい、やりすぎじゃね?」と眉根を寄せていた。
さすがに状況的にこれ以上はマズいを感じたのか、泉が村田に近付く。が、それよりも早く――青葉が動いた。
「村田、やり過ぎ」
村田の肩を掴み、どうにも場にそぐわない淡々とした口調で話しかける。
「あ? 陰キャが何触ってきてんだよ、殺すぞ」
「なぁ、村田」
「だから触んなってっ……っ……!?」
不意に、村田の顔が引きつった。掴まれた肩に小さく走った痛み。
それでいて、まるでこの状況になっても表情一つ変えず、声に感情すら乗っているように見えない青葉の様子に、村田は今更ながら肌が粟立つような悪寒を覚えた。
「足、今すぐにどけろ……な?」
「は? なんでアタシがあんんたから指図されなきゃなんないわけ? こんな紙屑踏んづけたくらいで、なに二人してマジになってんだよ! ウザいんだよ!」
彼女のプライドが、弱者と認識してきた青葉の言葉に従うことを許さない。
だが、青葉は少しだけ視線を下に下げると、小さく「ああ、ダメだこいつ」と吐き捨てる。直後、コキンという指を鳴らす音が小さく響いた。しかし、
「青葉!!」
唐突に、泉が教室全体に響くほどの声量で青葉の名を叫んだ。彼は青葉の肩をぐっと引いて村田から引き剥がし、彼に厳しい目を向ける。
咄嗟に何が起きたのか分からない様子のクラスメイトたち。先ほどの一幕で、村田が非難の視線を泉から向けられるならまだわかる。
しかし泉は、青葉を睨みつけて「お前は何もするな」と普段は見られない強い口調を発した。
「村田……さすがに今のはやりすぎだ。もういいだろ?」
「は? 泉、あんたこいつらの肩もつ気なわ、」
「いいからもうやめとけって言ってんだよ!!」
「っ……な、なにそんなマジな声出して……訳わかんない!」
村田はその場から逃げるように机から自分のバックをひっつかむと、最後に泉にどこか苦みを堪えるような表情を向け、教室から出ていってしまった。
それに続くように、彼女のグループが慌てて彼女のあとを追う。そのうちの一人が、泉に小さく頭を下げていった。
松島は村田に踏みつけにされたページを拾い上げ、丁寧に伸ばしてからまた別のページを拾い始める。それを青葉も手伝い始めた。
「別にいいわよ」
「このまま授業開始ってわけにはいかんだろ」
「……それもそうね」
短く会話は打ち切られ、黙々とページを回収していく。そこに、泉が声を上げて、
「よ~し! 全員でこの黒板なんとかすっぞ! 取り合えず綺麗にはがせよ!」
「あ、ああ」
「でもこれ、剥がれるか?」
「つべこべ言ってねぇでやるぞ! まぁ間に合うかは分かんねぇけどな!」
と、比較的明るい声で皆に指示を飛ばす泉。
男子生徒の大半が黒板に張り付き、カッターやらハサミを持ち出してなんとか表紙を剥がしにかかる。だが、思ったより強く張り付いているようで、そのまま綺麗な状態で剥がすのは無理があった。
「わ、わりぃ……」「その、こっちも破れちまった」「いや、なんつうか……その」と、剥がした表紙は至るところが破れて穴が空いてしまったり、黒板に裏地が張り付いたままになってしまったりと燦燦たる姿を晒している。
「いいわ。気を遣ってくれてありがとう。気にしないでいいから、破ってでも剥がしちゃいましょう」
そう言って松島はカッターを男子から受け取り、ツギハギだらけの表紙のほぼ真ん中を切りつけて無理やり剥がした。
女子生徒も床に散らばったページを拾っていき、
「松島さんって、本書いてたんだ」「趣味って言ってたけど、実際に本屋で買えるんでしょ? すごくない?」「わ、私、実はラノベけっこう読んでて……松島さんのも今度、読んでみようかな」
と、場を和ませようとどこか必死に見えた。
しかし、松島は自分で剥がした表紙に視線を落とし、一切の言葉を発することはなく……
結局、授業が始まるまでに状況の回復はできず、教師から理不尽に注意をされることになってしまった。
松島は、そのまま早退した。
誰も何も言わなかった。言えなかった。だた黙って、彼女を見送った。
だが、去り際にほんの少しだけ見えた松島は、眼鏡の奥を充血させ、下唇を強く噛みしめていた……
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