第29話『彼女の過去、そして……』

 ――中学時代。彼女の周りには人が多かった。彼女はクラスの中心で、学年どころか校内でも注目を集めるほどだ。


 その類まれなる器量の良さ、そして学業においてもかなり高水準の結果を叩き出す才女。彼女を賞賛する声は多く、両親や教師もその将来に大きな期待を寄せていた。


 しかしながら、その能力の高さが人柄や生活態度に反映されていたかと言えばそういうことでもなかった。逆に中学時代の彼女は、自身の優秀さ故に高飛車な性格だったと言える。

 それなりにやんちゃもしてきたし、時には気まぐれで男子生徒と付き合っては別れ、また付き合うというのを繰り返す。しかしながらあまりにも逸脱しすぎた行動を取るわけでもなく、彼女はありていに言えば、どこにでもいる女子中学生だった。


 同性の友人と他愛もないことで爆笑し、クラスの男子を交えて放課後の町に繰り出して時に補導されかけてみたりとスリルを楽しむ。思春期という時期特有の社会へのほんのちょっとした対抗心でアグレッシブにバカなことをして奔放に振舞う。


 いつまでもそんな時間が続くわけがないと心の片隅で冷めた感想を抱きつつも。今をとことん楽しんでやろうとする彼女は、俗にいうリア充で間違いなかった。


 彼女は明るく軽く、人に囲まれていることが当たり前。順風満帆。学生という社会の中で彼女という存在は常にトップでい続けた。



 ――あの日までは。



 中学3年。冬休みに入る少しだけ前のことだ。義務教育も残りわずか。高校受験に挑む生徒たちはがむしゃらに受験に向けて勉学に励み、推薦を得た生徒たちはただの消化試合のような気持ちで残りの中学校生活を送っていた。


 松島は後者であった。泥臭い努力などしなくても彼女は人より優れた能力でもってすぐに進路を確定させていた。周りが必死になって受験の準備を進めている姿をどこかで滑稽に見ながら、気の合う友人と学園で意味もなく集まりただただ卒業までのカウントダウンを刻んでいく。


 そんな日常の中、終業式の朝に彼女の机の中に一通の手紙が入っていた。

 差出人の名前はなく、中にあったのは今どきありえないほど陳腐で熱烈なラブレターだった。

 スマホで男女関係ができあがるこの時代になんと時代錯誤な。

当然松島は一蹴しようとするが、一緒に登校していた彼女の友人は「逆に相手がどんな人物か気にならない?」と興味津々。


 今どき手紙をしたためて相手へ好意を示す輩など絶滅危惧種もいいところ。松島は友人の言葉に乗せられ、手紙の相手に興味を抱く。

 手紙の最後には『今日の放課後、校庭裏の体育倉庫前で返事を待っている』と綴られていた。人気のない場所。さすがにここへ一人で赴くには無警戒が過ぎるというものだ。


 松島は彼女と仲の良かった女子数名に隠れてつい来て欲しいと頼む。彼女たちも「面白そう」と松島の誘いを快諾。退屈な終業式とホームルームを適当にやり過ごし、問題の体育倉庫へと足を向けた。友人三人を伴って。


 友人たちは「ここに隠れて待機してるから」と松島を送り出した。

 警戒心と好奇心を胸に、古びた倉庫の裏手へと回った松島。すると、そこには確かに男子生徒がいた。


 しかし、その人数は1人ではなく、3人……

 いずれも見覚えのある顔ぶれ。全員、かつて松島とわずかな期間ながら交際経験があった男子たちであった。


 彼らの姿を認めた松島の脳内で警鐘が鳴る。なぜ彼らがここにいるのかなどという疑問も置き去りに、踵を返してその場を立ち去ろうとした松島だったが。

 咄嗟に腕を摘まれ、口元を塞がれて拘束されてしまう。恐怖に涙が滲む。手足をばたつかせて逃れようとするも、女性の非力な抵抗では体が出来上がってきた男子生徒を振り切ることは難しく、彼女は抑えられた口から悲鳴を上げるもくぐもって全然響かない。


 しかしまだ位置的に松島と男子生徒の姿は彼女の友人たちからも見える位置にいたはず。救いを求めて松島は視界の滲んだ瞳を向けて救いを求めた。

しかし、誰一人として松島を助けに来る様子はなく、それどころか、


『――ざまぁみろバカ女!』


 友人だと思っていた女生徒は物陰から出てくるなり松島に罵声を浴びせた。それどろか、松島を残してその場から走り去ってしまったのだ。


 後に残された松島は目を見開き、遠ざかっていく彼女たちの後ろ姿を見送ることしかできなかった。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「――まぁでも、相手は私とただヤル事しか考えてなかったんでしょうね。倉庫の中にでも引きずり込めばいいのに野外でいたそうしてくれて。いそいそとズボンに手を掛けている内に急所を蹴り上げてなんとか逃げ切ったわ。で、たまたま近くを通りがかった先生に泣きついて私は無事に保護。男子連中はめでたく卒業前に少年院へぶち込まれていったわ」

「……」


 あまりにも淡々と語る松島。喋っている間にグラスの中にあった氷は半分以上溶けてコービーと混ざっていた。


「で、後から分かったことだけど、当時私と一緒につるんでいた友人(仮)連中は目立つ私のことが随分と気に食わなかったみたいでね。私がフった男たちを使って文字通り嵌めてやろうと思ってたみたい。まぁ見事に失敗したあげく全部バレて全員で退学……当時は地方紙の片隅にも掲載されたのよ。『同級生を強姦しようした容疑で男子生徒3人が逮捕』ってね」


 過ぎた過去を振り返っているというより、ただあった事実を言葉として並べているだけという印象の松島。青葉は彼女になにも語りかけることなく、ただ言葉に耳を傾けた。驚きがなかったわけではない。ただ、どんな言葉を掛けていいのかわからなかった。


「まぁでも、さすがの私でもちょっとショックでね。卒業するまで不登校になったわ。まぁほとんど自主的に登校するだけだったから別に何も問題はなかったんだけど……でもねぇ。問題は私の親だったのよ」


 当時、松島は国立高校への入学が決まっていた。しかし先のような問題のあった生徒を受け入れることはできないと学校側から連絡が入り、合格は取り消し、しかも彼女は被害者であったにも関わらず、周囲の人間は襲われた原因の一端を彼女に求めたのだ。

 そうなると世間からの風当たりは強くなり、松島の両親は実の娘を慰めるどころか責め立て始めたのだ。


「さすが壊れるかと思ったわねぇ。マスコミは押しかけてくるし、両親からは『あんたなんか生まれてこなければよかったのに』ってテンプレ台詞まで頂戴したわ」


 松島は青葉に目を合わせることなくグラスに視線を注いで中身を無意味にかき混ぜ続ける。


「で、両親は私を母方の祖父母の家に預けてどっかに消えたわ。今日まで一切連絡もなし、今頃はなにをしてるんだか……」


 目を細めて、彼女は「ふぅ」と小さく息を吐き出す。


「前置きがやたら長くなったわね、私が小説を書くようになった切っ掛けだったかしら」


 松島の祖父は、早くに松島の母を授かり、その娘も二〇後半には松島を産んだ。年齢的にはまだまだ現役で、あと数年で定年を迎えるのだとか。


 そして、そんな祖父の趣味というのが、漫画、アニメ、ゲームと、まさしく絵にかいたようなオタク趣味で。


「祖父の家に預けられても私は外に出ることができなくて、ずっと宛がわれた部屋で頭から布団を被って生活してたわ。でも、おじいちゃ……祖父がやたらと私を気に掛けてきてね。ゲームをしよう、アニメを観よう、この漫画面白いぞ、って……」


 しかし当時の松島は俗にいう二次元的コンテンツを毛嫌いしていた。あんなものは現実を直視できない陰キャが楽しむようなものであると、祖父の誘いを全て袖にし、ひどい言葉を浴びせて貶したという。


「悪いことしたなぁ、って今は反省してる」


 当時の松島はかなり精神的にも参っており、近づいてくる誰もが敵に見えたことだろう。松島にたとえオタク向けのコンテンツに理解があっても、はたして祖父を素直に受け入れていたかは怪しいところである。


「でも、何回も何回も、それこそしつこく誘ってくる祖父に根負けして、一回だけなら、って……異世界転生もののアニメをワンクール、一日で見せられたわ」


 これの何が面白いのか、と松島は仏頂面でテレビの画面を見つめていた。


「その後も、味を占めた祖父に対戦ゲームをやらされたり、頼んでもいないのにおススメだってこれでもかってくらい漫画を部屋に持ってきたり……ほんと、煩わしかったわ」


 などと口にしつつ、松島の声質が柔らかくなっているように青葉には感じられた。


「でもね、どんなに色んな作品を見せられても、絶対に現実の学校が出てくる作品は持ってこなかったのよ、あの人……」


 ふと、松島の口角がほんの少しだけ持ち上がった。青葉も初めて目にする、優しい笑み。


「豪快な癖に気遣いが上手で、いつの間にか私も自然とアニメも漫画もゲームも楽しむようになっていって……アニメの原作小説を祖父の部屋から勝手に持ち出して読むようにすらなっていたわ。そうするとね、嫌でも目に付いちゃうのよ、現実世界を舞台にした色んな作品が」


 松島は青葉に苦笑しながら視線を合わせてくる。


「気になって試しに一冊手に取ってみたの……そしたら、私が知ってる現実的な学校なんて欠片もなくて、皆してワイワイ、何がそんなに楽しいんだろうってくらい賑やかで、挫折も苦難も予定調和のごとく全部が解決されていって……」


 ああ、なんてくだらない。


 現実には窮地に駆け付けてくれる主人公なんていなくて、可愛くて性格がよくて皆からなんの根拠もなく好かれるヒロインだっていなくて……こんなできすぎた世界の何が現実恋愛なのかと、彼女は鼻で笑ってやった。


 だというのに、本を読み終わる頃、松島の目は濡れていた。


「それからはもうなんでも読んだわ。色んなレーベルの色んなジャンルを片っ端から。面白い作品もつまらない作品もとにかく全部」


 現実にはないご都合主義に触れていると心が軽くなる気がして、でも結局はそれが逃避であることを自覚して。


 いつしか松島は、自分の世界はもう現実リアルにはないと見切りをつけるようになっていた。


 ふいに部屋の鏡で自分の姿を見た瞬間、松島は歪に笑ってしまった。綺麗だの美人だの可愛いだのともてはやされていた頃の自分はそこにはなく、伸びきって手入れもされていないぼさぼさの髪に、肌荒れを起こして目の下に隈までできた醜い誰かがそこにいた。


「現実なんてクソくらえ。結局のところハッピーエンドなんてものは仮想世界にか存在しない。ならもうこんな世界に目を向けるのはやめて好きな世界を自分で作ってそこで面白おかしく生きていきたい。笑いたければ嗤えばいい。誰に貶されても私は私の生き方を決めた。そうして私は物語を書くことを始めたのよ」


 松島の目がすっと細められて鋭くなった。相手を射すくめるような視線を受けてなお、青葉は彼女と目を合わせ続ける。否、青葉はどこかで、彼女に魅入られていた。


 以前に何度か、松島が青春ラノベに視線を落とし『羨ましい』と口にしていたが。その理由がなんとなくだが分かったような気がした。


 或いは、それは彼女にとって憎悪にも似た感情だったのかもしれない。


「最初はうまくいかなったわ。それっぽく書いてみても文章がしっくりこなかった。だから祖父にお願いして創作の本を買ってもらってページがボロボロになるまで使い潰して、欲しい知識をネットで調べて本で調べてとくにかく書いて書いて書いて……そんなことして一年以上が過ぎたある日、出版社から声を掛けてもらったの。『あなたの作品を本にしませんか』って」


 松島はスマホを取り出し、当時送られてきた出版社からのメールを青葉に見せてきた。


「嬉しかったわ。自分の作った世界が認められた気がして、自分の全部が肯定されたように感じられて……本当に、嬉しかった」


 しかしそう言った彼女の表情に笑みはなく、青葉からスマホの画面を剥がした。

 色を映さないような表情で松島は青葉を見やり、居住まいを正すと彼女は小さな唇を動かす。


「青葉君」


 囁かれるように名を呼ばれる。松島は少しの間を持たせた後、


「どう? 満足した? ワタシのカコに触れて、あなたは今よりもっと読まれるに作家に近付けたかしら?」

「…………」


 その問いに、青葉は何もいう事が出来なかった。

 同時に、やはり人の過去をほじくり返しても、ろくなことにならいということを身をもって思い知らされた。


 だというのに、松島の目はどこか穏やかで、すっと体から抜いた。


「まぁいいわ。夏休みの講習会として、私から最後に一つ……」


 彼女はまるで青葉を咎めることもなく、そんなことを口にした。


「書き続けなさい。何があっても、打ちのめされても、プロの作家になりたいならひたすらに書きなさい……それだけよ」

 

 松島はそんな言葉を残し、グラスを手に取るとそのまま青葉の前から去っていった。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 自宅に戻ってきた青葉はベッドの上で仰向けになり、見慣れた天井を見つめていた。


「……書き続けろ、か」


 彼女の言葉を思い出しながら起き上がる。PCの電源を入れ、そのまま文章を打ち込み始めた。作品の続きを書いていく。


 キーボードの脇には一枚のメモ。そこには丸っこい文字で、


『せいぜい頑張りなさい。あと夏休み中はもう連絡してこないで――月ライト』


 簡素につづられた文字列。店を後にした松島がいつの間にか置いていったものだ。

 この夏休み中、彼女と関わることはもうないだろう。


 パチリパチリと軽い音を立てる安っぽいキーボードをタイプしながら物語を書き連ねていく。自分の中で膨らむ虚構の世界を、文字という形で現実へ昇華させる。


 夏休みの間、青葉は執筆に没頭した。起きてから就寝まで、ずっと彼は書き続けた。プロットをなぞっていった。それはまるで、なにかを忘れようとしているかのようで。


 執筆へ集中するために、普段よりも早い段階で夏休みの課題を消化し、彼は松島からの最後の教えを忠実にこなし……


 新学期が始まる二日前……ようやく青葉は全てを書き切り、初めて更新の際に、『完結』へとチェックを入れた。


 そこから青葉の作品は更に評価を加速させ、作品はジャンル別ランキングの『月間トップ10』にその名を連ねるまでに至っていた――


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 ふとした違和感を覚えたのは新学期が始まってから1週間ほどが経過した月曜日の朝だった。

 

 いや、或いはそれは、ずっと燻っていただけなのかもしれない。

 ただ表面化していなかっただけで、常に水面下で、ジワジワと……

 

 変化は唐突に現れた。普段は朝のホームルームが始まる少し前には教室で小さく影に徹していた松島。

 しかし彼女はまるで影から抜け出してきたかのように、始業のチャイムが鳴ってから教室に現れるようになったのだ。


 授業をサボる面子以外はほぼ全ての生徒が顔を揃えている時間、教卓で教師が教鞭をとる最中、松島は『複数回』に渡って遅刻してきた。

 当然、その場では彼女への注目が集まる。しかしほとんどの生徒は「誰だっけ?」と首を捻るのだが。


 それでもこれまでずっと目立たないことを是として生活していた松島が、ここにきてこんな真似をすることが腑に落ちない。


 しかし事態は思っていたより面倒に、より悪質な方向へと転がり始めていく。


 ある朝。松島の椅子にひとつの画鋲が針を上に向けて置かれていた。座る前に松島は気づき事なきを得ていたが。危うく怪我をするところであった。最初は掲示物を壁に貼り付けていた物が偶然椅子の上に転がったのだろうと大して気にも留めなかった。


 しかしまた別の日、松島が机に手を入れた直後、反射的に手を引いて立ち上がった。よく見れば僅かに指先から出血している様子が見て取れた。


 松島は手を消毒するために保健室へと向かい、青葉はその隙に机の中を覗き込む。変態的な行為になりかねないがどうしても気になった。すると、机の天板の裏側に、しっかりとテープで固定された画鋲が剣山のごとくいくつも張り付いていた。


 また別の日、またしても松島はホームルームギリギリに登校。しかしその足元はタイツのみで上履きを履いていなかった。


 またある日、松島の机の中に悪臭を放つゴミ袋が放置されていた。


 別の日、教室に戻ってきた松島は頭から水を滴らせて姿を見せた。



 ある日、ある日、ある日……



 もう言い訳のしようもない。松島は明らかに




 ――誰かからいじめを受けていた。

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