第28話『感想と…ご褒美』

 青葉が『文豪の卵』に新作小説を投稿してから2日が過ぎた13時30分ころ。


 駅正面に建つ商業施設内。前回松島から課題を伝えられた大手チェーンの喫茶店。


 外の景色が見える座席に青葉は腰掛け、彼の正面には眉間へ深く皺を寄せた松島の姿があった。

 今日の松島は髪をおろしたかなりラフな出で立ちだ。白のTシャツにスキニーデニムと涼し気な印象である。


「わざわざ来てもらって悪かったな」

「全くよなぜ私がこの貴重な夏休みにあなたと午後の大事な時間を使ってこうして会わなくちゃいけないのかしら暇なあなたと違って私はとても忙しいのだけど」


 久しぶりに聞く松島の毒舌。

 8月に入った外の外気は張り付くような熱気に覆われ、日差しを反射するタイルは見ただけでも目を焼かれそうだ。建物の中は冷房が効いているとはいえ、これから帰宅のために外へ出るのかと思うと気分が滅入りそうだ。


 しかしそんなギラつくような光の降り注ぐ真夏の空の下。青葉の呼び出しに応じてくれた松島は案外付き合いがいいのかもしれない。しかしながらしっかりと喫茶店の支払いは青葉持ちとしてくるあたり根に持ってはいるようだ。


 今日は先日に投稿した新作について、松島に相談したいことがあって呼び出したのだ。


「もしかしたら松島はもう確認したかもしれないけど、俺の投稿した新作……」

「ああ、アレね」


 彼女の反応から既に青葉の作品は読まれていることが分かった。気恥ずかしいものもあるが青葉はそれをぐっとこらえて先を続ける。


「その、今までにない状況で、どうしたらいいかって相談をな」


 投稿した作品は、初日の総合評価が『90』を超えていたのである。ブックマークの数も『30』以上。

 しかも、ネット小説では王道を外れた現実恋愛というジャンル故か、サイトのジャンル別の日間ランキング入りも果たし、50位以内。


 この結果を確認した当日は、深夜にも関わらず椅子を思いっ切り蹴倒してしまった。

 動揺し、それでも青葉は今日まで続けざまに更新を続けた。手持ちのストックを少しずつ吐き出し、その甲斐あってかいまだに数字は伸び続けている。


 松島はスマホを取り出し、青葉の『美人三姉妹』にアクセス。作品詳細を開いて現時点での評価を口にする。


「今のところ総合評価が『892』で、ブックマークが『331』、ね……ジャンルを考えたらなかなかの数字じゃないかしら」


 アクセス数は現時点で合計10万を超え、今も伸び続けている。日別では、多い時で2万アクセスを稼いだ時もあった。


「よかったわね、結果が出て。まぁ私があれだけ色々と面倒を見てあげたのだから当然の結果と言えるのだけど」

「そうだな。感謝してる」


 これだけの成果を出されては松島の言葉には素直に頷くしかない。青葉一人で奮闘しても短期間でこれだけの結果は出せなかっただろう。


 しかしそこに松島がため息を吐く。


「自分で言っておいてなんだけど、私が教えた小手先の技術だけよ。それでこれだけの結果が出るなら、今頃このサイトに投稿された作品は人気がインフレしてるわ。今回は私も青葉君のプロットもキャラシートも、そもそも原稿さえも事前に確認したわけじゃないんだから、これはあなたが出した結果でしょ。やってやったぜくらい言えないの?」

「俺、やってやったぜ!」

「調子に乗らないで」

「……今の会話のキャッチボールなんだったんだよ」

「ここで気を抜くと後で手痛い目を見るわよ。初期についたブックマークなんて簡単にはがされるわ。最初につけられたブックマークを私は『とりあえずブクマ』って呼んでる。これは本当に作品の展開で簡単に剥がれていくからモチベも下がる。正直なところ、あってないようなもの、と思っていたほうが後から受けるダメージが少なくて済むわよ」

「そういうもんなのか?」

「そういうもんよ。それで、わざわざ自慢話をしたくて私を呼びつけたわけ? もしそうなら私はあなたをここで痴漢に仕立て上げるわよ」

「やめろマジで捕まる」


 今の松島は余所行きスタイル。さっきから彼女をチラチラと盗み見る男性客が後を絶たない。そんな中で彼女が「痴漢」と騒げば青葉は一発で囲まれることだろう。


「なら私が納得できるだけの真面目な要件なのよね?」

「そこまで言われると自信を無くす」

「じゃあ今日で青葉君は性犯罪者に」

「感想を貰ったんだがどう対応していいかわからないんだよ」


 松島の言葉を遮って、青葉は松島に自分のスマホを手渡す。そこには青葉の作品あてに寄せられた感想が十件ほど表示されていた。中には、


「ちょっとアンチなことも書かれてて……」

「ああ、なるほど」


 松島が感想一覧をスクロールしていく。10件の内、大半は前向きな作者と作品を応援するコメントだ。しかしその中に一つまみの悪意が紛れ込んでいる。


 ――『ゴミ作品執筆のゴミクズ作者』


 ストレートな罵倒。もはや作品へ批判ですらない作者への暴言と来たものだ。

しかし松島は眉一つ動かすことなく青葉にスマホを返した。


「まぁ見てもらって分かる通り通りというか……こういうのってどう対処するべきなのかと思ってな」


 青葉にとっては初めてもらった作品への感想。しかし先の一文はただの悪口である。


「そうね。ここで迂闊に対応せず相談してきたのは懸命だったわね。まぁでも意外ね。あなたってこの手の誹謗中傷を受けても喜べくらいのドMだと思ってたのに」

「おい」

「冗談よ。ハッキリ言ってしまえば、こういった手合いはいちいち気にするだけ時間の無駄よ。建設的な意見を出してくるわけでもない相手にこちらが一体なにを返してあげる必要があるのかしら時間は有限なの貴重なの買えないの返ってこないの」

「じゃあ」

「無視の一択よ。ここで変に反論なんてすればより過激に水を得た魚みたいにビチビチ跳ねまわって面倒になるだけよ」


 バッサリであった。松島はぼそりと「くだらない」と吐き捨てると目を細めて青葉に視線を合わせてくる。


「災難だったわね。でもね青葉君、あなたは誇っていいわ。どこぞの効率中の主人公が言ってたでしょ。人間の人生、使える時間は一生で約八十七万時間だって……私は彼のスタンス大好きよ。時間は有効に使うべきよねそれで話を戻すけど青葉君はネットの向こう側にいるどこの誰とも知らない赤の他人の時間を奪ったの浪費させたの。青葉君の作品にアクセスして感想欄までページをスクロールして文章を入力して送信する。確実に一分以上は相手に時間を使わせたわ。こんな生産性のないことをするためのに相手は有限である時間をあなたのために一分も使ったのよ? これってすごいことでしょ? 私ならその一分で新しい語彙を身につけるか作品のアイデアでも練るわ。その方が建設的だもの」

「な、なるほど?」


 四半世紀も生きてない青葉にとって人生の時間について語られてもいまいちピンとこない。


 しかし松島の言葉に籠る妙な説得力にどこかで納得もしてしまった。確かに、一分もあれば作品を読んでて気になった単語の意味を調べるくらいはできる。

知識がより増えることを考えると確かにその方が有意義な時間の使い方であろう。


「それにアンチなんて成功者を妬む誰かが一人で盛り上がってるだけよ。ネットに繋がったところで現実にその場にいるのはたった一人なんだから」

「そっか……でも松島って自分の評価とか気になったりしないのか? お前って結構色々と書かれてるだろ?」

「私エゴサはしないようにしてるの。大ベストセラーってわけでもないのに自分のこと調べて悪いこと書かれて落ち込んで書くモチベーションを下げる意味がないわ」

「やっぱりお前ってすげぇな。俺はそこまで開き直れないわ」

「売れてるかそうでないかは編集さんから重版が掛かるかどうかの連絡で大体わかるし。お店で自分の作品を見つけた時に目立つように展開されてれば『ああ、ちゃんと見てもらえてるんだ』って納得できるもの。私はね、青葉君。読者全部の意見を求めて書いてないの。私が理想とする世界を私が紡ぎ出して編集さんと細かく内容を修正して本にしてきたのよ。もちろん私の好きだけで本が出せないことは分かってるけれど、私は私の世界を他人がどう思ってようが知ったこっちゃないわ」


 それはともすれば読者をないがしろにしているともとれる発言だった。


 しかし悔しいかな。青葉は彼女の作品を今も昔もずっと面白いと思って読んできた。松島の中に溢れる世界が、自分の中にするりと入り込んで、こんな世界に自分も行ってみたいと妄想するに至るまで、青葉は彼女の作品が好きだった。


 先の展開を予想し、期待をいい意味で裏切られた数は片手の指では到底たりない。期待した展開だったとしても、そこにはありきたりながらもどこか新鮮なワクワクが詰まってて……


 だからこそ、思うこともある。

 彼女のこの、作品を書くことの情熱は一体どこから湧いてきているのか、一度きり、二度と訪れない今を完全に度外視し、誰に強要されるわけでもなくただ執筆に執着するその姿勢は、格好良くもあり、しかしどこか恐ろしくもある。


 なぜ、彼女はそこまでできるのか。


「相談はこれで解決したわよね。それじゃ私は自分の仕事に戻らせてもらうわ」


 松島が席を立つ。そこに青葉は不意を突くように声を掛ける。


「なぁ松島?」

「なに?」


 声に苛立ちを含ませて松島は青葉に半身で向き直り見下ろしてくる。


「この前さ、お前いってたよな。もしもランキング入りでもしたら、お願いを聞いてくれるって……」


 青葉の言葉を受けて、松島は「そういえばそうだったわね」とどこか諦観した顔で再び席に腰を下ろした。


「それで、青葉君は私に何をお願いしたのかしら? 当たり障りのないところで、サイン本でも進呈しましょうか?」

 

 などと口にして、松島はバックからサインペンを取り出した。


 ……いつも持ち歩いてるのか? 


 さすがは人気作家、などと思いつつ、青葉は首を横に振った。

 途端、松島の目が訝しむものに変わった。


「前、俺に訊いてきただろ。なんで小説を書くのかっ、て」

「そんなこと訊いたかしら?」

「いや健忘症かお前は」

「失礼ねちゃんと覚えているわよあなたのスポンジみたいな軽い脳みそと同列に扱わないでこれでも健康にはそこそこ気を遣ってるのよこの美貌を見なさいこれが不健康な姿に見える? 見えないでしょ。ええちゃんと覚えてるわよだから何?」

「逆に訊くけどさ、松島は何で……小説を書こうと思ったんだ?」

「……それを訊いてどうするの? あなたに何かメリットある?」


 隠すことなく呟かれる拒絶の言葉。しかし青葉は食い下がる。自分で自分の行動に首を傾げながら。


「俺さ、こう見えてお前のこと、めちゃくちゃ尊敬してるんだよ。学生の内からプロの作家として活躍して、確かな結果も出して、そのために学校の全部投げ出して執筆してて……でも、だからこそ気になったんだよ。そんだけ美人で、その気になれば学園生活だって充実させることができそうなお前が、なんでここまで執筆一筋に拘ってるのか。その原点は、なんなのか」

「答えになってないわね。それって単なるあなたの好奇心じゃない」

「ようやく俺も読まれる作家の一歩を踏み出せた。全部松島のおかげだ。そして、そんな松島のことを知ることで、俺はもっと、今より書ける作家になれんじゃないかって、そう思った」


 松島は再び席に腰を下ろして青葉を真っ直ぐに見据えてくる。形のいい瞳が青葉を値踏みするように観察する。言葉の真意を覗き込もうとする。


「それを聞くことが、青葉君のお願いってこと?」

「そういうこと」


 青菜は目を逸らさず、彼女に視線を合わせ続けた。冷房の効いた室内。窓からの日差しで明るい座席に、わだかまるような沈黙の時間が流れる。


 先に沈黙を破ったのは、松島だった。


「正直、あなたの成長速度には驚かされたわ」


 頬杖をついて、松島は空になったグラスの淵を指でなぞる。


「初めて見せられたあなたの作品はほんとにひどくて、なにをどうすればここまで読みにくい文章が書けるんだって思った。最初に提出させた短編でようやく物語になったかと思ったらキャラが死んでるし……」


 ひとつひとつ思い出すたびに、松島はグラスの中に残る氷をストローでカランと音を鳴らすように突く。


「でも、ちょっとずつ中身を改善させて、短編の結果であなたと勝負して私が負けた。ええあれは本当に悔しかったわ今でも思い出すと腹が立つ」


 半眼になって松島は青葉を睨んできた。


「で、今ではジャンル別ならサイトのランキングにも掲載されるくらいに、読まれる作品になった……私が1年以上かかってようやく成し遂げたような成果を、たった1ヶ月たらずで出されて本当にムカつく」


 最後に、松島はグラスの底にストローの先がぐしゃりと潰れるほどの勢いで突き刺し、小さくため息を零した。


「……なんで私が小説を書き始めたのか、だっけ……」


 青葉は身動き一つせず、ただ松島が先を続けるのに任せた。


「いいわ。教えてあげる。頑張ったあなたへのご褒美、ちゃんとあげる」


 松島は青葉から視線を外して、そっと窓の方に目をやると、


「青葉君、私って美人でしょ」


 などと前置きし、


「だから私、中学の3年の時に――レイプされかけたの。クラスの男子連中から」


 なんでもないことのように語り出した。

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