第27話『それは或いは偶然の産物か』

 ――夏休みに入ってから早いもので、7月も終わろうかというこの日。


 外界から隔絶されたクーラーの効いた自室の外。目に痛い青空からは地上を突き刺すように暴力的な陽光が地上へと降り注でいる。


 青葉はPCモニターを睨み付け、横書きで表示された原稿を推敲していた。


「……た。……かし……かれ…………いく…………」


 小さく声を出して文章を音読しいく青葉。文字を音に変換して誤字と脱字を洗い出していく。青葉は読み上げソフトの無機質な電子に塗れた音(こえ)を嫌い、自身の目と口と耳で物語を追いかけていた。


 しかしそれ故に物語の途中で書き損じた箇所を見かけて声を遮られるとどうにも苛立ちが募る。修正し気を取り直して更に文章を読み上げ、最後の一文を読み終えたところで一息つく。


 顔をモニターから引き剥がして時計を見上げると2本の針は11時20分を示していた。


 腕を上げて背を伸ばし、凝り固まった筋肉を軽くほぐす。


 目の前にあるのは新規に書き下ろした長編作品の原稿だ。


 泉たちと放課後に集まり夜まで遊んだ日の翌日、松島から課題が与えられたあの日から、青葉は本格的に執筆作業を開始。松島から指摘された生活習慣を青葉なりに改善を試み、今では遅くとも7時までには起床するようにしていた。


 執筆を8時前後に始め、昼頃まで集中して執筆する。

 さすがは先輩の言葉と言うべきか。

 感覚値ではあるがなんとなく青葉も普段にもまして執筆がスムーズだった気がする。

 

 深夜に無理に書こうとしても結局2000文字も書けず布団に入っていたのが、好調な日は午前の3時間程度で5000文字以上も書けたりした。


 或いは、語彙を増やすために辞書を引き続けたことで自分の書きたい文章がスムーズに書けるようになってきたというのもあるのかもしれない。


 今から3日ほど前に、合計10話分、約35000文字程度を書き上げた。

 決して速筆とは言えないが、これでも青葉からすれば大幅な記録更新しているのは間違いない。


「一度、この内容で投稿してみるか……」


 青葉は『文豪の卵』にアクセス。投稿メニューを開いて作品のジャンル、検索キーワード、そしてタイトルとあらすじなどを次々と入力していく。


 タイトルは――


『美人姉三人と義母に引き取られた居候な俺―絶対に俺は彼女たちを好きにはならない』


 である。

 年上好きという自身の性癖をそのまま作品に反映させた内容。タイトルからも分かる通り、主人公が女系家族の住む家に居候することになり、そこでの生活を軸に物語が展開していくという話だ。


 しかし、主人公は過去のある出来事から絶対にこの家族に対して感謝以上の気持ちは抱くまいと心に固く誓い、日々繰り返される彼女たちかあのアプローチをなんとかやり過ごしていくという展開になっている。作品のテーマはシンプルに『家族愛』といったところか。


 青葉は作品の第1話を改めて読み返し投稿の準備を始める。作品内容が明確になるような作品タイトルをつけ、より内容を掘り下げるあらすじを入力していく。


 何度か読み返し、自分が納得できる内容に仕上がったところで手を止めた。再び時計の針を確認すると時刻は昼の12時を過ぎた辺りだった。そろそろ昼食にしようと立ち上がる。


 青葉は作品の投稿を日付が変わったあたりにでもしようかと考えていた。


 そこから朝の通勤時間、お昼休み、夕方の帰宅時間、そして夕食も食べてある程度落ちつけるようになっているであろう21時頃に作品を投稿。

 1日のうちで人が隙間時間を持て余すところで作品を投稿してみるといい、という松島からのアドバイスだ。


 青葉は昼食を簡単に済ませ、読み掛けのラノベを手に取りベッドへ体を投げ出した。途端に部屋の中で盛大に埃が舞う。


 青葉はそれらを気に留めることなくしおりを挟んでおいたページを開いて続きを読み始める。部屋の中にはシュリ、シュリ、というゆっくりと紙をめくる音、PCのファンが熱を輩出する駆動音、クーラーが冷気を吐き出すゴーという音が重なって室内を満たす。


 ピリン――ふと、穏やかな喧騒に包まれた部屋に一つの異音が生じる。机の上に乗ったスマホからの通知音だ。


 紙面の文字列から視線を剥がして体を起こし、のっそりとした動作で机のスマホを確認する。鳥のアイコンが上部のステータスバーに表示されている。ツイッターの通知だったらしい。


 バーをスワイプして内容を確認。どうやら【月ライト】のアカウントから通知されたもののようだ。パッと見たところ『文豪の卵』で彼女が連載している作品の更新案内だ。


 青葉はツイッターを開いて添付されたURLをタップしサイトにアクセス。スマホ片手にベットに腰掛けて更新された話に目を通す。


「……やっぱ面白れぇわ」


 今回更新されたのは『加護塗れ』の最新話だ。青葉は本も買っているがサイトの内容もずっと追いかけている。


 本には加筆された箇所があり全く同じ文章を読まされていると青葉は思わない。それに改めてブラッシュアップされた作品の中身を確認するのはそれはそれで間違い探し的な楽しみもあるというものだ。


 青葉はスマホを閉じて天井を見上げる。先ほど自分が投稿しようとしていた作品に想いを馳せる。はたして彼女が描く世界のように誰かを楽しませられるものだろうかと自問してしまう。


 それと同時に、今日に作品を投稿しなくてよかったとも思った。彼女と同じ日付に投稿したのではどう考えてもそちらに読者が取られてまともに読まれないだろう。


「才能なのかねぇ……」


 思わず口ずさむ。このサイトは他人の作品のアクセス数も確認することができるようになっている。なんのけなしに指を動かして確認してみる。するとまだ投稿されて30分ほどしか経っていないというのに、作品にアクセスした件数は万を優に超えていた。

 自分がどれだけ書いて投稿しても、一日で500を超えたことは未だかつてない。

 僅かにでも数字を取ったという経験が青葉に欲を抱かせた。同時に、あまりにも先を行く【月ライト】という作家の叩き出す数字に羨望と嫉妬を覚えてしまう。


 何よりも、同い年にしてこれだけの差があるという事実が青葉に暗い感情を湧き上がらせる。思わず自分の書いた作品の投稿さえもやめたくなってしまうほどだ。


「なんなんだろうな、ほんと」


 なぜ読まれ、読まれないのか。おそらくこのサイトで作品を投稿している多くの作家が自問していることだろう。


 傾向と対策を取れば絶対に人気が出るわけじゃない。プロだってヒットの裏に不人気の作品をいくつも生み出している。特に取り上げらることもないまま、ゆっくりと忘れられていく作品たち。


 しかし青葉はそもそも読まれることすらなく、誰からもその存在を知覚されないまま、なかったことになっているに等しい作品たちが列挙している。


 ままならない。しかし、


「今回は……読まれてぇなぁ」


 いつもの何倍も時間を掛けて事前の準備を重ねてきた。


 テーマを決めてプロットを練り、キャラクターを仕上げるために人間観察なんて慣れない真似までしたのだ。

 物語を書く時だって書き出しをどうすればいいのか本気で悩み、他作家のライトノベルやネット小説を読み漁って目を引く書き出しを自分なりに研究した。

松島から言われたように、冒頭の文章から書きたいことを詰め込むように必死に書いた。辞書だって引いた。今の青葉にできることは全てやってきた。


「まぁ、なるようにしかならないか」


 しかし、どれだけ努力しても人気が出るわけじゃない。本気が結果を確実に連れてくるわけじゃない。自分がやるべきことをやり遂げたなら、あとは天命に任せるしかないのだろう。


 青葉はそっと目を閉じる。青白い光を放つPCやスマホのモニターに酷使された目が少しだけ楽になる。


 いつもよりゆっくりと流れる時間に気を揉みながら、ついに迎えた深夜0時。ずっとつけっぱなしであったモニターの下部に見える『投稿』をクリックする。クルクルと回るカーソル脇の青い円を見つめながら、期待と緊張で手に汗が滲んだ。


 もう後戻りはできない。結果はすぐに出る。松島は今回の課題に評価やポイントは別に獲得しなくていいと言った。達成項目はただ一つ。文庫一冊分の分量を書き切り、完結させること。それだけだ。


 ……それでも。


『まぁ、万が一にもあり得ないけどジャンル別ランキングに入ることがあったら、ちょっとくらい青葉君のお願いを聞いてあげてもいいわよ』


 不意に、松島の言葉が脳裏をよぎった。

 青葉は明日の朝に投稿する話の内容だけをさらっと確認。すぐにベッドへと潜り込みリモコンで部屋の電気を落とした。


 明日……いや、正確には今日の深夜23時頃に、全ての結果を確認しよう。


 それまでは、ただ新しい話を投稿することだけに意識を集中する。翌朝、青葉は早めに起床しすぐに新しい話を投稿。その次も、その次も、青葉はどれだけのアクセスがあるかも確認しないまま、次々と話を投稿していった。


 そしてその日最後の投稿も終えると疲労感に息をつく。青葉はこれまで誤魔化してきた緊張感が一気に押し寄せてくる中、時計の針がゆっくりと日付を跨ごうとしているのを静かに見上げた。サイトに目を移し、ようやく自分の作品がどれだけの結果を出したのかを確認する。


 アクセス数・総合評価・ブックマーク……順番に全てを確認した青葉は、その瞬間に思わず量の瞳をめいっぱい見開いた――

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