第19話『他のクラスは妙に居心地が悪い』
更に別の日。
青葉はそれとなく若林の教室付近をぶらつきながら、適当にスマホを弄っている体を装って彼女を観察する。
普段通り、男女問わず人に囲まれている学年一の人気者。
彼女が何か冗談を言えばツッコミとけたたましい笑いが教室をすり抜けて廊下にまで響き渡り、一部の生徒が迷惑そうに顔をしかめる姿が見受けられる。
受け入れられない人間にとってはどこまでも若林たちのグループの存在は受け入れられないだろう。
それはどうしようもない。感性など人それぞれ。
若林たちがただ楽しく、仲間と話をしているだけだと思っているのに対して、それを疎ましく、一人でいることを邪魔された気分になる者だっている。
人と関わるのが楽しくて仕方ない、人と関わるのが心底苦手、人間なのだからそういった違いがあるのは当たり前だ。
迎合も排斥も自由。好きにすればいい。他人に致命的な迷惑さえかけなければ。
「ん?」
と、不意に青葉は目の前を通り過ぎていく女生徒に気が付く。
脱色したセミロングに日焼けした肌、少し派手な化粧に耳にシルバーのアクセを装着したいかにもなギャル。
青葉と同じクラスの生徒で、名前は『村田彩夏(むらたさやか)』。
胸元の開いたシャツにかなり短めのスカート、腰にはカーディガンが巻かれているなど、松島とはまったくの真逆な位置にいる生徒で、教師からの覚えが大変めでたくない格好をした少女である。実際、生徒指導室の常連と化している。
しかし、それでいて顔立ちはクラス内で見ても整った部類で、よく別クラスの誰と付き合っただの先輩とヤッただのと、クラスで誰憚ることなく勢いに任せて言葉を飛ばすなど、人の輪の中心になることが多い人物だ。
青葉のクラスの男子生徒のリーダーが泉なら、女生徒のカーストトップは間違いなく村田だ。
いつもは取り巻きのような生徒たちを引き連れて移動する姿をよく目にするが、今日は珍しいことに一人らしい。
チラと青葉に視線を向けてくるも、すぐに彼女は興味なさそうに顔を逸らして若林のいる教室に視線を合わせる。
途端、彼女の口から「ちっ」と舌打ちする音が聞こえた。
村田は若林のことを毛嫌いしている。
噂では、彼女が好きだった男子生徒が若林に告白したのを切っ掛けに敵視しているとか、学年で高い人気を誇っている若林が気に入らないとか。
真偽は定かではないが、とにかく村田が若林に敵対的であることは確かだ。
ほんの少しだけ足を止めて村田は若林を睨みつけていたが、他の生徒が村田の存在に気付くなり、そそくさと人気のない西階段へと去っていった。
俺はスマホを弄りながら横目に彼女を見送り、改めて若林の観察に意識のリソースを割く。
もっとも。若林は基本的に誰にでも当たり障りのなく接するキャラであることは周知の事実。故に青葉はもっと別の側面から若林を観察する。
見える範囲で若林の所作や口調などを意識して観察するものの、周りに人が多いせいで声が拾い辛く、また人の陰に入ってしまい彼女の姿が良く見えない。
人を集めるカリスマの一端だと割り切ってそのことをメモに残しつつ、しかし次の瞬間、
「――おっ! あおっちじゃん! やほ~!」
しまった……
若林に見つかってしまった。あの人ごみの中にいてよく廊下にいた青葉を見つけられたものだと感心する。
他の生徒たちが誰だ誰だと若林の視線を先を追いかける。
ここで学年一の人気者の声を無視などすれば松島の件がなくとも青葉の学園生活に影がさすことだろう。
それでもできることなら関わり合いたくないというのが正直なところ。
しかし人との間に壁など感じさることなく接近してくる若林という女生徒は、青葉の内面に抱く苦渋など考慮してくれることなどなく。
「なにしてんの~? こっちきなよ~!」
と、無慈悲にもお呼びをかけてくれるのである。若林の天然な明るさに青葉は涙が出てきそうだった。
他の生徒たちが口々に「知り合い?」とか、「まさかカレシとか?」など、あるいは「下僕とか!」などと興味を青葉に集中させる。無遠慮に向けられる視線の居心地の悪いこと悪いこと。
「よぉ。相変わらずの大人気ぶりだな」
スマホをポケットにねじ込んで、青葉は内心意を決して教室の敷居を跨ぐと若林グループへゆっくり近づいていく。
「えへへ~。おかげさまで♪ で、なになにあおっち。自分からこっちに来るなんて珍しいじゃん?」
「あーちゃん、これ誰?」
と、彼女の隣の席に座る快活そうな印象の少女が青葉をこれ呼ばわりして指さしてくる。
「これはね~……え~と……分かんない!」
「いやなにそれ!? 知り合いじゃないの!?」
などと今のやりとりだけでゲタゲタと笑いが場を満たす。声が大きすぎて耳がキーンとなる。
よく通る声。これだけで日陰者は圧倒されて縮こまる。
声のデカい奴が場を支配すると言うが、それは別に声を出す人物の影響力が大きいというだけの話ではなく、こうした単純な声量の大きさだけでも、場の空気を引き込んで自分のものとできてしまえることだと青葉は思っている。
声を上げることが苦手な人間が多い中、ただ大声を出すことができることですらアドバンテージになるのだ。
青葉がチラと周りを観察してみれば、居心地悪そうにしている生徒、不快感を露わに顔を顰めている生徒が、この集団を遠巻きに眺めている。
そのほとんどが机で誰とも交わることなく一人で過ごしていた。
「あはははっ! ごめんごめん。この人はあおっちこと青葉修司。私の2組の友達」
青葉はとりあえず人当たりよさげな笑みを浮かべて「どうも」と手を上げる。
この集団の中にあっては非常に大人しめの反応だが、背伸びをして彼らと似た雰囲気を無理やり作り出す滑稽さは理解できているつもりだった。
身の丈以上の自分を演出するならそれに見合った下地が必要だ。若林の知り合いというだけのアドではこの集団の中に自然と馴染むのは難しい。
異分子として強制排除されないよう適度に友好的な人物であることを振る舞うのが関の山。
しかしながら今は自分が周りの注目を集めている状況だ。ただ座して流れに身を任せていただけではうまくこの場を乗り切れない。とは言えどうやって彼らの視線を逸らそうか。
「へぇ~。あおっちね~。よろしくっ。私は遠野茜。若ちゃんの一番の親友です!」
「自称だけどね。ちなみにあかっちって呼んでるから、おあっちと相性いいかも?」
「自称とかあーちゃんひどい~!」
遠野がオーバーリアクション気味に若林に抱き着く。その馴れ馴れしさから見ても親友というのはあながち間違っていないのかもしれない。
そして周りの名も知らぬ同級生たちがそのやりとりにツッコミを入れてまた笑いが生まれる。
青葉は取り合えず場の空気を冷やさないようにとだけ意識し、若林の話題に適当な合いの手を入れる。
「というか若林は俺と彼女を信号機コンビにでもしたいのか? 赤青で」
「え~? それなら黄色も必要じゃない?」
「歩行者信号なら赤青だと思うぞ」
「確かに!」
「ええ~。それだとあおっちに上に乗られる格好じゃん! なんかエロイ~」
「いや逆だよ。君が俺の上に乗ってるんだよ。マウントだよ……ほら」
と言って、青葉はスマホで歩行者用信号機の写真を検索して二人に見せる。
「マジだ! 逆! うわ~。あかっちがあおっちを襲っちゃてるよ~。さらばあかっち。警察のお世話になっても君のことは忘れない」
「お~い親友~!!」
またしてもいちゃつく若林と遠野。言葉通りというか、実際に二人は随分と親しい間柄のようだ。見てると若林と遠野を中心に周りが合いの手を入れて会話が広がっているように見える。
青葉のこんな特に面白味もなさそうな返しにもリアクション大きく食いついてくれるので場が白けることもない。本当に大したものだと青葉は感心する。
「でさ、ほんとにあおっちはなにしにきたの?」
「こらこらあーちゃん。男が他のクラスからわざわざ押しかけてくる理由なんてひとつっしょ! ズバリ……告白だ!」
「いや全く違う」
「即答!」
「いやそうだと思ってたけどね。即座に否定されるのもけっこう傷付くんだよあおっち~」
などと言いながらニマニマと笑みを浮かべる若林のどこに傷心した様子が窺えるというのか。
「あははっ! あーちゃんの友達面白いね~!」
などと遠野は言いながら青葉の腕をバシンバシンと叩いてくる。そこまで痛くはないが勢いが無駄に強い。
そして異性に触れることにも抵抗がないのはやはり交友関係の広さゆえか。
しかし話が恋愛話にシフトしたのを見て、青葉は自分から関心を引き剥がす方法を思いつく。
……まぁあとで怒られるかもしれないが。
この現状を抜け出せるのであれば必要な出費だと割り切ろう。
「というか告白の話だったら俺じゃなくて若林に振ればいいんじゃないか。ネタの宝物庫じゃん。こないだも告白されてたし」
「ちょっ!?」
「マジで!? あーちゃんそれいつの話!? 最近のヤツだと2週間くらい前だったよね? もしかしてその後に誰かにまたコクられたの!?」
「え!? え~と、うん……」
「うわ~。まだ懲りずにチャレンジする奴いるんだ~」
「あはは~。ほんと参るよね~」
笑いながら、若林は目線で青葉に「なんでそれ言っちゃうの!?」と目元を吊り上げる。
が、さすがに例の同性愛者からの告白をそのままここでバラすつもりは青葉にだってない。
「どこの誰!? 同級生で若ちゃんに告るような奴はもういないし~。上級性もほぼ撃沈したよね? てことは、下級生とか!」
「あ~……と」
言い澱む若林。普段のカラッとした印象とは違う顔を見せる若林の姿に、周りの連中も興味を引かれたように質問を飛ばす。
具体的にはどこの誰が告白してきたのかという内容が大半。それに対して先に答えたのは、青葉であった。
「アレって『別の学校の制服』だったろ。若林もついに校外の男から注目されるようになったんだな」
「うそっ!? え、マジで!? どこどこ!? どこの誰!?」
遠野が食い気味に若林に詰め寄る。周囲も興味津々に質問を若林へ繰り出す。
青葉の適当についた嘘に若林は一瞬だけ目を丸くする。しかし話の流れが最も踏み込まれたくない内容から移り変わったことを敏感に察して青葉の嘘に乗っかっていく。
「あはは~……いや~、急に声を掛けられたからびっくりして、まともに相手する前に逃げちゃった! だから相手の制服とか見てなかったわ~」
「ええ~。なにそれつまんな~い!」
「人が告白された話なんてそもそも面白くないっしょ! はいはいこの話題やめやめ!」
強引に話を打ち切る。それでも周りは若干尾を引くように話を継続させていたが、次第に別の話題へとシフト。青葉の存在は先の告白ネタから希薄となり、あとの時間はほとんど聞き役に徹する。
そうしているうちに休み時間終了の時間が迫り、各々解散していく。青葉も自分の教室へと戻ろうと教室を出ていこうとしたが、不意に後ろから肩を掴まれた。
「あおっち、ちょい待ち!」
振り返った先には若林。彼女は妙に明るい笑みを見せながら、いきなり青葉のポケットに手を突っ込んで来た。
「え? なに?」
「ごめんやっぱなんでもな~い。それより早く教室に戻らないと先生来ちゃうよ~」
などと、呼び止められた割には何もなく、青葉は首を傾げながらも若林に背中を押されて教室を後にする。
廊下を歩きながら、若林が手を突っ込んで来たポケットをまさぐってみると、カサッという感触が指に触れた。
なんだ、と取り出してみると、それはノートの切れ端だった。二つ折りにされていたそれを開いて中を見てみると、丸っこい文字でこう綴られていた。
『今日のお昼、学食あおっちのおごりだからね!』
という一文の下には、怒りマークをくっつけたイヌだかネコだかブダだかタヌキだか分からない謎生物の絵が描かれていた。若林は絵心がないことが判明。スマホにメモしていく。
どうやらさっきの、青葉が自分から周りの意識を逸らすために振った若林の告白ネタに随分と不興を買ってしまったようである。
まぁ分からなくもない。先の告白は若林とってはできるだけ外に漏らしてほしくない類の話だっただろうし、故に青葉も口からでまかせの内容を話したのだから。
「まぁ、しゃあねぇか」
メモをポケットにねじ込んで青葉は財布の中身にあとどれくらい金が残っていただろうかと思案する。
できればデザート付きとか言い出さないで欲しいなぁ、なんて思いながら、教師が教室の前に来ているのを認めた青葉は、慌てて廊下を走る羽目になったのだった。
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