第16話『第二講義【キャラクター】―1』

 松島から短編作成の宿題を出されてからはや1週間。


 5月も終わり6月に突入。


 衣替えにより半袖シャツにネクタイのみを着用した青葉は、朝日が昇る自室で書き上げた原稿データをマイクロSDに転送していた。


 真面目に、ひたむきに、とにかく集中して短編を1週間で書き上げた。


 設定をそもそも記録しておくという基本的な部分でさえ今まで疎かにしてきた青葉。事前に決めておいた枠組みがあることは窮屈なことではないのか、という若干の懸念もあったが。


 なんてことはない。メモを読み返すことで自分が描いていた当初のイメージをしっかりと脳内に想起させることができ、なんとなく書いていた時に発生気味だった、「何か違う」感がなくなった。おかげで自身の描く理想の物語として作品を書くことができた気がする。


 内容を読み返して、しっかりと自分が思い描いていた内容になっていることを確認。


 自分では問題ないと判断し先ほどデータをコピーした。

 普段ならサイトに投稿して読者の反応を窺うのだが、今日は別の意味で期待と緊張が押し寄せてくる。


【月ライト】。ネット小説から人気を得た売れっ子作家でありクラスメイト。


 短編の宿題を課してきた彼女に、今日、青葉は書き上げた作品を提出する。


 これまでの誰からも読まれなかった境遇とは打って変わり、憧れであった作家に自分の作品を読まれる。これで緊張しない方がおかしいというもの。


 確かに以前、投稿サイトの作品を彼女に読まれたことはあるが、あれは既に自分の中で見切りを付けていた作品たちだ。ある意味では「面白くない」と評価されることを前提にして読ませたというのがある。

 故に松島から手厳しい評価をもらっても、致命的に心臓が軋むことはなかった。


 しかし今回は違う。


 まだ誰からも評価されていない作品……見向きもされない、という評価すらされていない、まっさらな状態の作品だ。

 人が見て面白いと思える内容なのか。それを今日、青葉はプロの目によって判断されることになる。


 先ほど、データを移す前にしっかり内容は読み返し、自分なりに面白いのでは、と評価できるだけのものを書き上げたつもりだ。しかし自分ほど自分が見えない存在はいない。

 故に客観視などできるはずもなく、やはり緊張を拭うには至らない。


「ねむ……」


 青葉の目の下にはくまが浮かんでいる。学校が終わってから、自分で納得のいく内容を書き上げるために夜通し文章を書くような生活をここ1週間送っていたせいだ。


 仕上げた作品の文章量は12000千字程度。短い内容だが、納得のいくものを書き上げるために何度も何度も書き直した。


 おかげで寝不足だ。学園の授業はほとんど寝ていたくらいである。


「これで酷評されたら泣くかもなぁ」


 なんて、寝不足が招くネガティブに意識が引っ張られて、青葉の口元が苦笑に歪む。

 評価してほしいような、そうでないような。

 しかし結局のところ、


「なるようにしかならないか」


 などと結論し、青葉はマイクロSDを専用のアルミケースに入れてバックに放り込んだ。

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「――キャラクターに魅力が感じられない。まるで台詞を覚えさせたロボットが会話してるみたいだわ。空想の産物とはいえ物語そこに生きている人間というのがまるで表現できていないのは致命的ね。状況説明ばかりで心理描写がかなり不足してる。そのくせ会話文は誰が話してるのか分かり辛い。キチンと差別化できてない証拠よ」


 ……ダメ出しの嵐であった。


 前回が比較的マイルドに批評されただけに、今回のダメ出しは明確にダメな部分を指摘され、そのうえ容赦もないときている。寝不足で弱った心が盛大にメルトダウンしていきそうだった。


「物語を紡ぐキャラクターの背景も見えてこないし、あなたキャラシートとか多分作ってないわよね。プロットも知らなかったくらいだし」

「キャラシート?」

「キャラクターの氏名・年齢・性別・身長・体重……などなど。性格とか得意不得意とか好き嫌いが書かれた、まぁ履歴書みたいなものよ。あなたバイトの経験があるんだから書いたことあるでしょ。あれをもっと内面掘り下げたものだと思えばいいわ」

「待て。確かにバイトをしてたことはあるがなぜ松島がそれを知っている」

「泉君と話してるのを盗み聞いたことがあるだけよ」

「ああ、さいですか」

「バイトはさておき。今回の短編は物語の軸にブレはないけど面白くないわ。キャラに感情移入ができない」

「ぐっ」


 青葉はがっくりと項垂れて硬い床に視線を落とす。

 絶賛はないとは思っていても、さすがにここまで容赦なく批判されると落ち込む。


 なまじほんの少し自信なんて持って提出しただけにこの評価はキツイ。


「落ち込んでるの? そうでしょうね落ち込むでしょうね。そんな目の下に隈までつくって仕上げてきた作品をダメ出しされたらそりゃ落ち込むわ。それで? どうする?」

「え? どうするって……」

「ここでやめる? それでもいいわよ。人からの批難に耐えられないようなメンタルしかないならプロなんて目指すべきじゃないしそもそもサイトに投稿して評価を得ようとすること自体が間違ってるもの。評価って良いモノだけ? 違うでしょ? 今回のように作品を貶されることもまたひとつの評価よ。それらをひっくるめて受け止める器量がないなら今のうちに表現者たちの舞台から退場することをおススメするわ」


 青葉より低い身長から見上げてくる彼女の眼は少年の内側を容赦なく抉る。まだ始めて間もない内から作家としての度量を試される。


 しかしここで松島は青葉を攻撃しているわけではなく、逆に彼女はひとりの作家としての『青葉』という少年を相手に見ている。


 真剣だからこそ松島は青葉に全力でダメ出しをする。

 面白くないと感想を口にする。

 なにが致命的にダメなのかを指摘する。


 それはひとえに松島は作家としてフェアに青葉と対峙しているから。


 青葉は多少唇を噛みつつ、青葉は松島と契約した日のことを思い出す。


 ――『プロになることでも目指してみましょうか』


 あの時の松島の言葉に少なくとも青葉は夢を見た。彼女と一緒に歩んでいけばあるいは本当にプロへと至れるのではないかと。

 そして、青葉と松島が互いの利害から関係を構築した日からまだ1ヶ月も経ってない。さすがにそれだけの短期間で1年以上も続けてきた執筆を諦められるほど青葉は飽きっぽくもなければ根性なしでもない。


「いや、書くよ。まだ」

「……そう。てっきり諦めるかと思ったけど。案外しつこいのね。なに? そんなに私と一緒にいたいのかしら? 確かに私は美人でそこそこスタイル良くてそれなりにお金も稼いている優良物件だけど。これから先も私はダメ出しするわよ。しかも今回より過激になるかもしれない。それを喜ぶドM君じゃないなら泣いちゃうかもしれないわね」

「色々と言いたいことはあるけどまぁ確かにキツイよ。さっきの評価も結構グサッってきたし。正直そこまで言うかって思わなくもない」


 それでも、と青葉は小さく呟いて、以前の、あのオムライス専門店で見せたようなこちらを試す松島の視線に真っ向から向き合う。


「今までは漠然と面白い話を書きたい、って思ってたけど。世に自分の書いた本を出してみたいって、割と本気で思ったからな。頑張ってみる。まぁでも松島にも多少の手心を加えてほしいなぁ、とかは思ったけど」


 明確な、自分がなりたい理想が見えた時、人は道筋を得てひた走る。


 その道がゴールに至れるものである保証などないし、道程は右も左も不確かで足場も悪いときている。あるいはどこかで大きくコースアウトして崖下への口を大きく開けているかもしれない。


 堅実な道は限りなく頑強に舗装されてガードレールもしっかりしている。事故の確率が少ないぶん刺激もない。それが悪いなどとは言わないしそれが最善。


 いい大学に入って、そこそこの会社に就職して、結婚して家庭を持ってほしい。

 周りの大人はきっと子供にこの道を歩んでほしいと願う。

それでも夢を追うというなら、あとは全て自己責任だ。


「そう。なら取り合えずはこのまま継続しましょう」

「ああ。よろしく頼む」

「でも、キャラクターを作る上でやはりあなたはまずしっかりと自分の書きたいキャラクター象を明確にすべきね。今のままじゃどうあがいてもロボットの域から出ないわ」


 青葉の反応をことごとく右から左に流して話を進める松島。彼女は学生鞄を開くと、中からタブレット端末を取り出した。

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