第13話『関係性』

 ――翌日。


 青葉は学食に入った瞬間、一人の女生徒に視線が吸い寄せられた。


「あの子……」


 食堂の入り口から見てすぐ右手側の席に、記憶に新しい女の子。数日前、若林への愛の告白で見事に玉砕した後輩がそこにいた。


「でね~」

「うんうん」

「いやいやないない」


 などと、フラれた直後は失恋した可哀想な女の子よろしく、目元を真っ赤にして泣いていたというのに、今はケロッと先日と同じ面子でテーブルを占拠し談笑している。


 もしかするとフラれたショックを紛らわせるためにあえて明るく振舞っているのかもしれない。あるいは元々そこまで若林のことは本気じゃなかったのか。もっとも、彼女の内心など知る由もないので、青葉には判断などできるはずもないのだが。


 しかし青葉は僅かながらも彼女たちに称賛を覚えていた。


 同性愛なんて言葉は身近でなくとも聞いたことなら誰だってあるだろう。高校生にもなって知らないはずはない。


 しかし身近にそんな感性を持った存在がいた場合、果たして周囲は容易にそれを受け入れられるだろうか?

 正直、表立って邪険にはしないだけで、大抵の人間は自分と違う相手のことを異質な目で見る。どれだけ取り繕ってもその内心には『普通』でない者に対する拒否反応が起こるのだ。


 それでも、あのグループは彼女が同性を好きであることを知ったうえで付き合っている。もしかすると全員が『そういう』感性なのかもしれないが。

 だとしても二年で最も注目度の高い若林に自分の性癖がバレる覚悟で告白したあの女生徒の行動力は大したものだろう。


 下手をすればこの学園で居場所がなくなる可能性だってあったはずだ。


 若林が仮にそういったマイノリティに偏見を持ち、いたずらに悪意を込めた風潮を流せばたちまち彼女は孤立する。


 学校のコミュニティとは周囲がそれを『悪』と断じた瞬間、その是非を問わず一方的に攻撃の対象とされてしまうのだ。故に周りにうまく合わせて行動することが求められる。


 にもかかわらず、彼女は危険を冒しでも若林に突貫した。結果は残念だったが、それでもその行動力は素直に感心する。どんなことでもそうだが、行動しなければ結果など出ないのだから。


 ……ただ。


 これから先も、彼女が同性を好きでい続けられるのか。


 今回は若林だったから大事にはなっていないが、これから先、彼女が好きになった相手がもしも悪意を持った人物であったなら、彼女はこの学園で居場所を失うかもしれない。笑いものにされて、後ろ指をさされて、孤独になって孤立して、その果てに……


「まぁ、俺には関係ないことか」


 小さく呟き、青葉は券売機でキツネうどんを注文する。

 カウンターでおばちゃんに食券を渡し、出てきたキツネうどんを受け取って適当な席に腰掛ける。学食の中央付近は遅れると大体埋まっているので、今日はカウンター近くの窓際席だ。

 七味を落とした白い極太麺を前に、口内で涎が溢れる。


「よぉ、青葉!」


 割り箸を手に、いざうどんを啜ろうとした矢先。聞き慣れた声に箸の動きを止める。


 顔を上げれば、そこには案の定。青葉の友人である泉大地の姿があった。手には既に注文を済ませていたのか丼が乗った盆を持っている。


 しかしいつもなら周りにいる泉の友人が一人もいない。彼も若林同様に広い交友関係を持っている。昼休みともなればいつも誰かしらとツルんで行動しているのだが。


「珍しいな。この時間にお前が一人って」

「たまにはそういうこともあるさ。つかお前がいつもぼっちなのが俺はなにげに心配だよ」

「余計なお世話だ。つか、マジなんで一人なんだ?」

「ちょいとお前と話があってな」


 泉はそう切り出すと、そそくさと青葉の正面に陣取る。味噌ラーメンの乗った盆をドカンとテーブルに乗せ、ずっと身を乗り出してきた。


「ほら、昨日いってた、『マツザキ』さんの件」

「ぶっ!」

「うぉ!?」


 泉が口にした名前に思わず啜っていたうどんを吹き出すところだった。かろうじて口から白い麺が飛び出すのは避けられたが、青葉は咳き込んでしまう。


「お前、さすがに口入れたもん吹き出すなよ。きたねぇから」

「けほっ……悪い。でもいきなりなんだよ」

「いや、ほら。やっぱあれだけの美人だと気になっちまうわけよ。で、あわよくばお前を通してお近づきになりたい」

「お前ってそんな面食いだったっけ?」


 口元を紙ナプキンで拭いながら、青葉は泉に訝しげな視線を向ける。


 青葉が知る限り、この友人は相手を見た目だけで判断して付き合いを変えるような人物ではなかったと思っていたのだが。


「まぁ俺だって人並みに美人には興味あるわけよ。しかもお前の知り合いだってんだから、余計にな」

「いやなんで俺の親戚だとお前が興味を持つんだよ」

「だってお前基本的に誰ともツルまねぇじゃん? 俺とか若林あたりが声を掛けてやっとって感じでよ」


 そこは青葉も自覚しているので言い返すことができない。とはいえ別にクラスで孤立しているわけでもないのだからいいじゃないか、とも思っている。

 特に当たり障りなく、目立つことなくそれなりの知人として接することができれば、面倒事に巻き込まれることもなく穏やかに過ごしていけるのだから。


 しかし……それならば如何にプロのライトノベル作家とはいえ、松島と関係を自分から持ちに行ったのはなかなかに思い切った行動だったかもしれない。


「まぁ俺としてはお前とか若林みたいな人気者と話せる機会があるだけで満足だよ。何かあれば遠慮なく助けて下さい」

「お前なにげに俺と若林のこと便利に使おうとしてないか?」

「そんなまさかありえないってアッハッハッハ!」

「いや棒読み……って、それよりもマツザキさんだよマツザキさん! なぁ、お前のつなぎで休みの日に会えたりしないか?」

「いや無理だろ」


 ……色んな意味で。


「そこをなんとか! 彼女まではいかなくてもそれとなくお近づきになりたい!」

「いやに必死だな。やっぱお前生粋の面食いか?」

「いいか青葉。美人の周りには美人が集まる。変人の周りにも変人が集まる。類は友を呼ぶと言ってな。一人の美人との付き合いは他の美人とお近づきになれるチャンスでもあるわけよ! 彼女ほどの美人なら、絶対にその周りにもハイレベルな美女がゴロゴロしてるはず!」


 それはない。

 泉は知らない。学内での松島は青葉をしのぐ生粋のぼっちだ。美人の友人以前に誰とも関係を築いてない。青葉だって利害関係の一致、お互いに相手を脅迫して成り立っている関係なのだ。


 ある意味特別な関係ではあるが間違いなく友人ではない。


 彼女のプライベートまでは知らないが、少なくとも学外に友人がいる雰囲気ではない。

 小説が友達と言っても差し支えないのではなかろうか。


 つまり泉の目論見は最初から成立しない可能性大である。


「やめとけ。誓って言うが。あいつはお前が思っているような出会いを運んでくるキューピットには程遠いぞ」


 むしろ関わったが最後、言葉という武器を駆使して精神を抉りに来る魔性の類だ。


「とか言って、本当はお前が彼女と他の男が親しくするのが嫌なだけじゃんじゃねぇの~?」


 ニヨニヨと顔を寄せてくる泉。少しイラっと来た青葉は泉の鼻先にデコピンをかます。


「いてっ! なにしやがる!」

「いやからみが鬱陶しくてつい」

「俺のイケメンフェイスに傷が付いたらどうする!?」

「大丈夫だ。お前は別に顔はイケメンじゃない。自信を持て」

「ひでぇなお前。友達失くすぞ~」

「お前と若林が適度に構ってくれてるからそれで充分」


 関係を大切にしたい友人など一人、二人いれば十分。多くと付き合うのは疲れる。


 と、青葉から咄嗟に出た軽口に泉は目を開き、ほんの少し苦笑した笑みを浮かべてテーブルに頬杖を突く。


「お前さ、そういう恥ずかしいこと言ってて口ん中甘ったるくなったりしないわけ?」

「茶化さない相手に限る」


 などと口にして、ああなるほどと青葉は少しだけ理解する。


 ……若林も俺に相談事するときはこんな感じの心境なのか、と。


 相手に対して一定の信頼を持ち、自分の言動に対し、なにを、どこまで、自分が意図した反応として返してくるのかが、ある程度担保されている関係性。


 もしここで相手が「は? お前さっぶ。気取ってじゃね?」とか言ってくる相手だと少しでも思えば先ほどの言葉は出てこないだろう。少なくとも、この泉がそういう反応をする相手じゃないことはなんとなく理解できる。


 故に軽口でもクサイ台詞が言えたりする。


「うん。お前と若林以外には言わないな。さっきの台詞は」

「それはまた随分と信頼さてじゃねぇの、俺ってば」

「まぁほどほどに感謝してる」

「そうかそうか。ならこのナルトを一枚くれやる。ありがた~く食えよ」

「ゴチになります。もきゅもきゅ」

「おう! って、そうじゃねぇよ! マツザキさんの件だよ! あっぶねぇ。うやむやにされるところだったぜ」

「ちっ」

「ってお前いま舌打ちしやがたったな! 俺のナルトと信頼を返せこんにゃろ!」

「アハハ! 返してもいいがすでに胃の中だぞ。食欲の萎える展開を希望するなら今すぐにでも吐き出してやる!」

「てめ、きたねぇぞ!」

「色んな意味でな!」

「うまい! って、そうじゃねぇよ!」


 などと、結局このあともこんな調子でバカなやり取りをお互いに繰り広げ、最後まで松島の件に話が行かないようにあれこれと適当に話題を振る。


 学食の時計はそろそろ昼休みの終了を告げようとしている。


 青葉は最後に、入ってきたときに見えた先日の告白少女を捜すも、その姿はすでにない。

 空になった食器を下げようとする泉に向かって、青葉は松島にしたのと同じ質問をしてみる。


「なぁ泉」

「なんだ?」

「お前ってさ。同性愛ってどう思う?」

「あ? なんだ急に?」

「いや。ちょっと気になっただけ。で、お前的にはそういうマイノリティな恋愛ってどう思う?」

「って言われてもなぁ。正直、分からんって感じだ」

「例えば、身の回りにそういう奴がいて、お前なら応援できそうか?」

「さぁな。でも当事者がマジになってるなら、お前じゃねぇけど茶化したりはしねぇよ。まぁ世間的な目があるから素直に応援ってのは難しいかもしんねぇけどさ」

「そっか」


 それでも頭ごなしに否定しないだけ、まだ理解ある対応をしてくれそうな感じではある。こういったところで偏見が少ないのが友人が多い秘訣なのかもしれない、なんて青葉は思う。


 別に先ほどの彼女がこれから先、どんな恋をしていくのかなど青葉には関係ないことだが、それでもいざという時、彼女の周りが敵だらけにならなければいいなと、青葉はなんとなく思った。


 と、そんなことを考えていた青葉の顔を、泉がじっと見つめて、


「なぁ、念のため訊くけどよ。今の話、お前のことじゃねぇよな?」

「冗談は泉の顔だけにしてくれ」


 青葉の趣味は、年上のお姉さんである。同級生下級生ましてや男が好きなどと。


「俺は包容力のあるお姉さん以外、興味ない」

「あ、そ」


 最後に泉の冷めた返事を最後に、昼休み終了5分前を告げる予冷が鳴り、青葉と泉は急ぎ足で教室へと向かうのだった。


 ちなみに、最後に青葉が泉にどつかれたのは、言うまでもない。

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