第8話『王道の隠れ美人作家設定』
「――青葉君!? どうしてここに……っ!」
青葉の存在に気付いた(店員曰く【月ライト】先生)松島(?)が、しまった、と口に手を当てるも時すでに遅く。
彼女は確実に青葉の顔を見て、彼の苗字を口に出してしまっていた。
「あの、彼は先生のお知り合いですか?」
「……はい。彼は、その……私が通ってる学園の同級生です」
「あ、もしかして、彼氏さん」
「それはありえませんので」
一切の切れ目なく店員の言葉を否定する黒髪美人。
しかし今の容赦なく斬り捨てるような物言い、地味な装いの彼女と同じ雰囲気を纏っていた。
「すみませんが売り場の写真だけ撮らせて頂きますね。終わり次第まだ声をかけますので」
「え? ああはい。わかりました」
戸惑いの表情を浮かべながらも、店員は松島(?)と青葉にぎこちない営業スマイルを見せ、カウンターの方へと消えていった。
「こんにちは青葉君。まさかこんなところで会うとは思っていなかったわ」
「ちょっと確認いいですか? え? 本当に松島さん?」
「いきなり敬語とか気味が悪いからやめてもらえるかしら。もう聞いたでしょ。私はプロ作家の【月ライト】であなたの知る松島本人よ」
そう言うと彼女は肩に掛けたバックから赤いフレームの眼鏡を取り出し、「どう?」と言いながら掛けて見せる。それで青葉も確かに彼女が松島であるという確信を得た。
が、それでも普段の彼女からは想像できないほどの華やかさが全身から溢れており、いつもならただただダサイという感想しか出てこない眼鏡でさえ、今はお洒落なアイテムに見えてしまっていた。
近くでよく見ると、ただ黒髪をおさげからただ下ろしているだけではなく、サイドを編み込んでハーフアップにまとめている。
それでいて普段の丸まった背筋もピンと伸び、更には白のシャツに黒のフレアスカートという出で立ちは、一昔前で言う童貞殺しなスタイル。
意外と起伏に富んだスタイルも強調されており、清楚さの中にわずかな色香も感じられた。
しかしながら、青葉を見つめる瞳はつり上がり気味で、不機嫌そうな表情も相まって近寄りがたい美人という雰囲気を醸している。
「それで、話を戻すけどなんであなたがここにいるのかしら? 今の私の美貌に惹かれてストーカー化したとかなら理由はとても分かり易くて今すぐに110番通報まっしぐらなのだけど。そうすれば晴れてブタ箱行きが決定して私も平穏な学園生活が送れるからもはや逆に今すぐにあなたはストーカーとして私に付きまといなさい。今なら光の速さでスマホを操作することができなそうな気がするわ」
「いやお前なに言ってんの? 俺は欲しかった新刊の発売日だったから来ただけ。あと特典欲しかったし」
青葉は手に持ったままだった『加護塗れ転生』の最新刊を松島に見せる。
すると松島の目がほんの少しだけ開かれ、かと思えばふいっと視線を脇へ逸らした。
「そう。本当に読んでたのね。その場しのぎの適当な誤魔化しだと思ってたけど……素直に感謝しておくわ」
「あれ? もしかして照れてる?」
「今すぐに通報しようかしら」
「それはやめてくれると嬉しいかなぁ」
スチャ、とスマホを手にする松島に青葉は苦笑で返した。
「逆に訊くけど松島は何しに来たんだ? 撮影、とか聞こえたけど」
「……私、本を出し始めた頃からこの辺りのアニメショップとか書店に挨拶して回ってるの。地元の作家ということでこうして他の人気作品よりも目に付く形で展開してもらえて、ほんとうにありがいことだわ。で、私は売り場の写真を発売日の度に撮影させてもらっているのよ。ツイッターに『発売しました!』って、売り場の写真を掲載してツイートしてるの。まぁ一種のマーケティングのようなものよ。個人でできる範囲のね」
「ああ~」
そういえば、と青葉も彼女のツイッターを覗いた際、そんな写真が添付されていたのを思い出した。あまりじっくりと見てはいなかったが、まさか地元のよく知る売り場写真だったとは。
「そろそろ写真を撮りたいから席を外してもらえるかしら? 人が映りこむとモザイク処理とかめんどうくさいのよ」
「おう悪い。それじゃな」
青葉はスマホを取り出した松島に軽く挨拶を済ませ、その場を去ろうと背を向けたのだが。
「やっぱり待ちなさい。いい機会だから今日はこのまま少し付き合いなさい。あなたと話しておきたいこと……あとは訊いておきたいことがあるから」
「は? え?」
「ここでの時間はさほど取らせないわ。写真をいくらか撮影したらすぐに引き上げるつもりだったから。そうね、一〇分ほど待ってなさい。それと、ご家族の方に今日は外で食べてくるって今のうちに伝えておくように」
「いや、ちょっと待って」
急な展開に松島へ声を掛けるも、彼女は青葉から視線を外すとスマホのカメラ機能を起動させて無言のひとり撮影会を始めてしまった。
先ほど、彼女から画面には映らないでくれと言われたのを思い出して律儀に棚の壁に隠れてしまった。
今さら引き返して声を掛ける気も失せて、青葉は流されるままスマホを取り出し、母親にラインで『夕飯は外で食べてくる』」と連絡を入れる。
返信はすぐに返ってこなかったが、既読が付いたのでこちらの意思は伝わっただろう。
青葉はラノベコーナーを避けて、興味はあるがいまいち手を出しづらい同人誌のコーナーをゆっくりと見て回ることにした。
チラと、松島の姿を横目に盗み見る。彼女はスマホを手に、真剣な表情で売り場を撮影していた。
周囲に意識を広げると、青葉のように松島をチラチラと盗み見る他の男性客の姿が見受けられた。
……ほんと、ラノベみたいな奴。
特にお気に入りの絵師がいるわけではなかったが、ツイッターでよく4P漫画を投稿して万越えのいいねやリツイートをされている作家の作品を見つけ、見本誌を手に取って立ち読みしする。
「――終わったわよ」
しばらくして、見本を読み進めていたところに松島から声が掛かった。
「悪い、会計まだだ」
「先に済ませておきなさいよ。まぁいいわ。ついでに私も最後に挨拶していくから、一緒に行きましょう」
青葉の先を歩き出した松島は、100万部を超えるヒットを出した人気ラノベの新刊を胸に大事そうに抱えていた。
「人の胸元を堂々と盗み見るなんて、ほんとうにどうしよもないわね。そういう視線は隠してるつもりでも意外と気付かれてるから気を付けなさい。まぁあなたはガン見してたわけなんだけど。なに? 本当に警察を呼ばれたいのかしらこの変態」
「それ、松島も読んでたんだ」
「スルーとはいい度胸ね。ええそうよ。1年ほど前からね」
松島が手にしていたのは、リアルを否定するゲーマーな高校生がクラスカーストでトップに君臨するヒロインから手ほどきを受け、自身のリア充化を目指す、という内容の作品である。
「どこかリアルで、でもやっぱり現実離れしてて……うらやましいわよね。ほんと」
「うらやましい? なにが?」
「……なんでもないわ。行きましょう」
「?」
松島は青葉に振り替えることなく、さっさとレジへと歩いていってしまう。
彼女の揺れる長い黒髪を見つめながら、青葉は先ほど彼女が口にした言葉に首を傾げる。
……自分より売れてる作家に嫉妬してるのか?
松島の性格的にはありえそうだな、と青葉は思いながら、彼女の後を追いかけた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『少し歩くけど構わないわね』
と、一方的に松島に連れてこられたのは、宮木が誇る大型商店街だった。
大通りに抜ける小さな路地へと入ると、少し目につきにくい地下に店を構える、オムライスの専門店へと案内された。
店内は入ってすぐ正面にレジが見え、席に付く前に注文するシステムになっている。
強制連行したからと、松島が青葉に食事をおごるなどということもなく、普通にお互いに好きなものを注文して割り勘。青葉は思いがけない出費に財布の中身を確認して溜息をひとつ。
青葉と松島は店の右手側奥のテーブル席に向かい合って腰掛ける。
しばらくすると注文したものがテーブルに運ばれてきた。青葉が注文したのはオムライスのセット。サラダにスープが付いている。
対して彼女はオムハヤシという、ハヤシルーが上に掛かったオムライスだった。こちらもセットでサラダとスープが付いていた。ドリンクもセットで、二人ともウーロン茶である。
「へぇ、うまそうだな」
「うまそうじゃなくて、うまいのよ。駅前に来ると、決まってここに来るのよ」
言うなり、松島はスプーンを手に、髪を耳に掛けるという少し色っぽい仕草を見せながら、濃いデミグラスソースの掛かったとろとろの卵を下のチキンライスと共に口へと運ぶ。
「ふふ」
これまでずっと、青葉に対して表情筋の動きを制限しているのかと思うほど仏頂面だった松島が、小さく口角を上げて目じりを下げた。
先ほどアニメショップでも、彼女は店員に対して柔らかく笑みを見せていたが、今の彼女が浮かべたのは、どこか隙のある子供っぽい、素の笑顔のように見えた。
「あら、食べないの? おいしいわよ」
「ああ、食べる食べる」
まったく青葉の食がすすまないことを訝しんだ松島から指摘され、少し慌ててスプーンを手に取り、赤いケチャップのかかったふんわり卵とケチャップライスを掬い上げて口へと運ぶ。
「あ、うまい」
「当然でしょ。私のおススメだもの」
「ほんとその無駄に自分を持ち上げられるメンタルは見習いますよ」
若林といい松島といい、二次創作と違ってリアルな女の子というのは自分の可愛さをしっかりと自覚しているらしい。
仮にここで普通に可愛いだの綺麗だのと青葉が口にしたところで、
『わかりきった事実を言われても何も感じないわ』
と赤面もなにもなくバッサリと返されそうだ。
そもそも自分の容姿に無自覚な女性が、そこまで魅力的に見えるのかと言われればそんなことはほとんどなく。
結局のところ、美少女も美男子も、大半が己を磨いて光らせているからこそ、周囲にも輝いて見えるのである。
いかに宝石の原石も、全く研磨しなければ素人にはただの色付きの石ころでしかないのと同じように。
目の前で本当にうまそうにオムハヤシを食べ進める松島に、青葉は普段からこうしれば学園でもモテモテだろうに、などと思いながら、自分のオムライスを味わった。
……しかし、地味系女子を演じて、なおかつプロのラノベ作家で? おまけに本当は隠れ美人って。
どこのヒロインキャラだという話である。
ますます自分の生活空間がラノベじみてきたな、と青葉は内心で自嘲した。
そんなことを考えながらも口に運ぶ食事は素直にうまいと感じれる逸品だった。
添え物の小さなサラダやスープも絶品で、学生が利用するには少々高い料金を支払った甲斐があったと満足のできるレベルであった。
食後、少しの腹休めを間に挟み松島が口を開く。
「青葉君。あなたの作品、取り合えず冒頭だけ読ませてもらったわ」
その言葉が出てきた瞬間、青葉は不意打ちに心臓へ衝撃を受けた。
「どう、だった?」
青葉は恐る恐る松島の様子を窺うように問いを投げた。
答えが聞きたいような、聞きたくないような、どちらにも大きく振れる針が行ったり来たりするような内心の矛盾を抱えながら、青葉は彼女の答えを待った。
「素直に言うなら――面白くはなかったわ」
「……そっか」
十中八九、そういう答えが返ってくるのではという予想をしてはいたが、いざ現実を突きつけられると胸にクルものがあった。
そして、青葉はこの後に続くであろう松島からの批判の嵐を覚悟して、腹にぐっと力を入れたのだが……彼女からは一向に、ダメ出しも罵詈雑言も飛び出してはこない。
「でも完全に初心者というわけでもないのね。一番古い作品が一年くらい前に投稿されていたし、進学してから書き始めたって感じなのかしら?」
「そんな感じ」
「そう。ならわざわざキーボードのタイプについてまで教える必要はなさそうね……最悪そこから教える羽目になるかもしれないと覚悟していたけれど、思いのほかあなたが知能指数の高いモンキーで助かったわ」
「いやそれはさすがに……ていうかさ」
「うん? なに?」
「もっと、色々とこう、俺の作品についての」
「悪い部分をズバズバと容赦なく指摘してくると思ってた?」
「……まぁ」
青葉は首を縦に振った。
「あなたは私を攻撃的な人間だと思ってるのかもしれないけど」
「違うの?」
少し軽口を開いただけで睨まれてしまった。
「そういうところだと思う」と、青葉は委縮する心で小さく呟いた。
「いや、お前のことだからもっと俺の作品とかそれを書いた俺自身に対してかなりボロクソに言ってくるのかと」
「なに? あなたマゾなの? そういうのがお好みなのかしら? それなら手加減も容赦もなくあなたの心がズタボロになるほどメッタメタに言ってあげてもいいわよ?」
「すみませんオブラートマシマシでお願いします」
「そう。残念ね。ここで心を挫いて無気力になった末に生きる気力まで失い学園&人生を退学までしてくれると助かったのだけど」
「とことん俺を追い出そうとするのやめてくれませんか。ていうか最後に俺が自殺する未来予想図まで追加するのは勘弁して下さい」
「黄泉の旅路に私のサイン本くらいなら棺に入れてあげてもいいわよ」
それはちょっとだけいいと思ってしまった。悲しいかなオタクの性。
彼女のサインならライトノベル読者なら欲しいと思う者は多いはずだ。
青葉だって欲しい。だが死んでからではなくできれば今すぐに貰いたいものである。
「冗談よ。まぁ最初くらいは手心を加えてあげる。でもこれからも今回みたいな甘い評価をするとは思わないでね。あなたのためにもならないだろうから」
「ああ、よろしく頼む」
できれば手心は今後も加えて欲しいところだが、それを言ったら余計に苛烈な評価を下されそうな気がして青葉は口をつぐんだ。
「まだ最初の段階だからなんとも言えないけど、青葉君は初歩的な文章のルールから覚える必要があるかもしれないわね。とはいえ、最終的な判断は明日まで待ちなさい。まだ読み始めたばかりだもの。最初は拙くて面白くなさそうに思える内容でも、もっと読み進めていくとその評価が変わるかもしれないから」
「ああ、手間を取らせて悪い」
青葉は机に髪がつくギリギリまで頭を下げる。
しかし松島は表情を動かすことなく、肘をついて顎に手を添えるとジーと青葉のつむじを半眼で見据え、そっと口を開いた。
「引き受けた以上は私もやるべきことくらいやるわ……でもその前に少しだけ、あなたに訊きたいことがあるんだけど」
「ん?」
ここに来る前、彼女は青葉に「訊きたいことがある」と言っていたか。
青葉は松島の雰囲気が少しだけ変わったのを感じ取り、心持ち姿勢を正して聞きの態勢に入った。
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