第7話『校外での遭遇』

 多少親身になったからといって、それですぐに恋まで発展するなんてことはほとんどない。


 少し特殊な出会いイコール恋愛、と確実に発展するのはそれこそ二次元に限られた話である。

 例えば青葉が若林明里に対して雨の中にも関わらず落とし物を捜した、これで彼が得たものは彼女からの信頼であり恋慕の情ではない。


 あれから若林とは顔を合わせれば適度に挨拶はするようにはなったし、彼女が内に抱えた泥を吐き出したいと望めばそれに付き合い感謝もされる。

 若林が言う『友達』よりも、その内に秘められた感情を吐露してもらえるというのは多少は心を許されているようで気分がいい。


 その点だけで言えば、確かにほんのちょっとの『特別』はあるのだろう。


 しかし青葉は彼女の連絡先を知らない、休み時間の度に顔を見せに来ることもない、ましてや休日に遊びに誘ったことも誘われたことだって一度たりとてない。


 つまりはそういうことだ。所詮はその程度だ。これが現実。三次元の世界である。


 もしも本気で若林と距離を縮めたいと思うのならば相応の努力が必要になる。

 彼女は俗にいう学内カーストでトップに位置している。彼女の一挙手一投足には二年生の大半が注目しており、その視線に耐えうるメンタルも要求される。


 ありていに言ってしまえば自信である。


 青葉は等身大の男子高校生程度には自己評価が低い。

 何かを求められて積極的に手を挙げるタイプの人間ではない。


 だが若林は違う。

 催しがあれば積極的に参加して場を盛り上げようとする。

 まるで一度しかない青春をこれでもかと謳歌しようと足掻くかの如く、しかし表面上はただ素直に楽しむ女子高生を衆人観衆クラスメイトに見せ、その勢いのままにまとめ役となって周りを巻き込み、全体を引っ張っていくのである。


 それでいて、彼女は基本的に誰に対しても気さくに声を掛ける。


 よほど壁が厚くなければするりと相手の懐へ入っていき、ほぼ拒絶されることはない。

 ただしその人を選ばない対応は『勘違い男子』を大量製造し、彼女は一ヶ月の間に十は軽く超える告白をされている。


 しかしむろん彼女にその気など毛ほどもない。無残に散った屍は数知れず。運動部に所属する女子人気の高い先輩からのアプローチもあったそうだが、彼女はその全てを断り続けているのだとか。

 

 だが、どんな男子の好意にも靡かない姿勢は一部の女子から反感を買っており、陰で「外に男を作ってる」だの「援交してる」だの「パパ活してる」だの、下世話な陰口も囁かれていたりする。


 にも拘わらず、彼女はそれでも多くの友人に囲まれて、うまい具合に世渡りしている。

 

 青葉はそんな彼女を尊敬している。話友達として付き合えていることを誇らしくも思える。しかし決して必要以上は望まない。

 ただそこにいて、ほんの少し相手をしてくれているだけで満足だ。


 誰かの特別になりたいなんて思わない。


 なぜなら、それは途轍もなく、疲れそうだからだ。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「――こんなもんかな」


 帰宅部である青葉は自宅に直帰してすぐさま趣味の世界に没頭する。

 部屋に差し込む明かりは高い位置にあり、まだまだ日没までには時間がある。


 彼にもっと多くの友達、あるいは彼女でもいれば、この長い陽を利用して遅くまで遊び惚け、青い春の色味をより濃くすることに勤しんだのかもしれない。


「さて、あとは投稿時間を予約して……」


 しかし彼にとって優先すべき事柄はあくまでもフィクションの世界であり、しかもその世界を自ら創造することなのだ。


 青春を楽しむことは決して義務ではない。


 しかし高校生という無駄に多感で思春期な彼らは、どこか暗黙の了解のごとく、学校というコニュニティーを楽しまなければならないという強迫観念に取り付かれ、「みんな仲良くしましょう」というどこかで必ず聞いたことのある道徳に振り回されている。


「あ、そういやそろそろあいつの新刊が出る頃だったっけ」


 あいつとはむろん松島のことである。

 彼女がネットで発表した『加護塗れ転生』は既に既刊が4巻まで発売されており、青葉は五巻の発売日がそろそろじゃなかったかと思い出した。


 スマホを取り出してレーベルの作品発売日を紹介しているページへと飛ぶ。


「お、今日か」


 どんぴしゃ。意外と自分の記憶力も悪くないと思いながら、さてどうしようかと椅子を傾けて少しだけ思案する。


 ただ買うだけなら近くに書店はある。しかし青葉はライトノベルをアニメショップなどで特典付を狙って購入している。さすがにそうなると近場というわけにはいかず、地下鉄に揺られて区を跨ぐ必要があった。


 幸い窓の外はまだまだ明るい。親には少し出掛ける旨を連絡すれば多少遅くなっても問題はないはず。

 青葉の母親は地元の会社で事務員として働いている。青葉家の食事は19時前後。今から出かければそれまでには十分に帰ってくることが可能だ。


「行くか」


 などと時間を逆算し、青葉はすぐに外行きの服装に着替えて母親にラインで連絡を入れる。


『ちょっと出かけてくるから遅くなる』

『了解。あまり遅くならないように。外で食べてくるなら六時半までには連絡ちょうだい』


 と、5分ほどで返信があった。

 まだ仕事中だと思うがかなりレスポンスが早い。もしかすると一服休憩でもしていのかもしれない。青葉の母はスモーキーなのだ。

『了解』と打ち込み、青葉はスマホと財布をポケットにねじ込むと外へ出た。


 5月にしては強い日差しに動けば少しだけ汗が噴き出す。

 飲み屋街を抜けて駅ビルの中に入る


 改札を抜け、階段でホームまで下りてみれば既に白の車体に翠のラインが入った1000系電車が到着していた。

 人の姿はまばら。青葉はすぐに乗り込んでスカスカの座席に腰掛け、それから少しもしないうちにアナウンスが流れ、ドアが閉まると車体はゆっくりと動き出した。


 南北線は地下鉄と名がついているものの、泉中央から走り出した直後はまだ空の青を窓の外に望むことができる。


 視線を車内に戻し、ぼうっとしながら揺られる。

 目に入ってくる乗車マナーの告知、企業の広告、そして視界の端に映る数人の乗客たち。その中に、思わず視線を惹きつけられる人物がいた。


 視線の先、少し離れた位置に黒い髪を緩くウェーブさせた清楚系の女性が座っている。

 遠目から見ても整った顔立ち。しかし目を閉じている。眠っているのだろうか。

 現実世界の女性に関心の薄い青葉からしても目を奪われてしまう女性。


 が、さすがにジロジロと盗み見るのは失礼だと(今更ながら)思い至り、彼は目線を上げて網棚の上の広告に移動させた。


 すると、思考が広告から次の作品をどう書こうかという方向へとシフトし、そのままなかば妄想を展開するように場面を脳内再生。


 そんなことをしながら地下鉄に揺られることと約15分。

アナウンスが仙台駅への到着を知らせてくる。意識を現実に引き戻した青葉は、いつの間にか増えていた乗客の中に先ほどの女性を探す。


 しかし、すでにその姿はなかった。


 ああいう大人っぽい女性を登場させてもいいかもな、などと思いつきながらホームに出て地上を目指す。

 慣れた足取りで地上に出た青葉は緑色の看板が特徴的な行きつけのアニメショップへ赴いた。


 ショップの入り口付近は隣接した朝市の魚屋から漂ってくるニオイが充満しており、初めて訪れた時は顔を顰めたのを覚えている。


 しかし今となっては、これがなくては店に来たという感じがしない、というところまでこのニオイが浸透してしまっているのだから不思議なものだ。


「新刊コーナー、新刊コーナー、っと」


 入ってすぐに文庫本サイズのライトノベルがずらっと平積みされたコーナーが見えた。


「……相変わらず、棚の上で目立ちまくりだな」


 目的の【月ライト】先生こと、松島の作品『加護塗れ転生』はすぐに見つかった。というより、嫌でも目に入った、というのが正しいか。

 下で段々に積まれた新刊たちの中でも、壁にラックで本誌と特典のタペストリー画像がデンと大きく告知されている。その下に特に目立つように表紙が一つ高い山となって商品が展開されているのだ。


「さすがにタペの特典付きは買えないな」


 青葉の懐はそこまで潤沢ではない。夏休みなどに短期のバイトはしているがそれで手に入る金額などたかがしれている。学食を何食が我慢すれば買えないこともないが。


「飾る場所もねぇし、普通にリーフレット付きで我慢……」


 と、青葉が本に手を伸ばし掴み上げた瞬間、

『いつもありがとうございます。またこんな風に大きく展開していただいて』


 と、陰の通路から女性の声が聞こえてきた。ふとそちらを覗き込んでみると、


「いえいえ。地元出身の人気作家である先生の応援ができて、私としましても嬉しい限りです」


 と、おそらく店のスタッフであろう男性と――先ほど地下鉄車内で見かけた黒髪清楚美人が何やら話をしているようだった。


「いえ。こうして人気が出たのも、やはりお店が宣伝に協力してくれたからだと思います。これからも新刊を出せるように頑張りますので、またよろしくお願いします」

「はい。こちらそこよろしくお願いします。今日はいつものように写真を撮りに?」

「はい。ツイッターでいつもみたいに告知しようかと思いまして。私の作品だけじゃなくて、お店の宣伝にもなれば、なんて。まぁ、私なんかの宣伝で、どれだけ効果があるのかはわかりませんけど」

「そんなことないですよ! 五十万部発行の【月ライト】先生の告知効果は抜群です!」

「はっ!?」

「「え?」」


 店員が口にした名前に、青葉は本を手に思わず声を上げてしまった。

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