第6話『リアルな非日常は面倒でしかない』

「――よっすあおっち! 今日は一人?」


 学食へ向かう傍ら、青葉の背後からキーの高い声が掛かった。


「うっす若林。お前こそ今日は一人か? いつもの取り巻きはどうした?」

「取り巻き言うな。友達」


 振り返った先にいたのは、【若林明里わかばやしあかり】だった。


 青葉とは別の2年5組に所属。

 クラスという枠を超えた学年一の人気女子。男女問わず交友関係広めのいわゆるカーストトップに君臨する女生徒である。


 ゆるくウェーブしたミディアムヘアは明らかに脱色したであろう亜麻色で、制服は着崩されている。完全な校則違反。しかし化粧に派手さはなく、耳たぶにピアスの穴も開いてはいない。


 極端に逸脱した見た目ではなく、しかしどこか垢抜けた感じ。その塩梅が絶妙で、悪目立ちすることなく、かつもっさりと周りに埋もれてしまうこともない。


「ねぇ、あおっちもお昼まだならさ、今日は一緒にどう? このままだと私も一人っきりになりそうだし」

「別にいいけど。お前なら学食行けば誰かは捕まえられるだろ。お前と一緒に食いたいって奴ならその辺にゴロゴロと無造作に転がってるだろうに」

「え~! なによあおっち~! 私と一緒はイヤって言うのか~!」

「ウザい絡み方してくるなって。分かった分かりましたよ。ご一緒させて頂きます」


 青葉は両手を上げて降参のポーズ。「そんじゃレッツゴー!」と若林は声を上げて前を行く。


 無駄に明るい彼女に、青葉は背後から小さく声を掛ける。


「若林」

「うん?」

「なんかあった?」

「なにが?」


 僅かな間も置かずに返えされる返答。そこにどこか不自然さを感じた青葉は、しかしそれ以上のツッコむことはしない。

 青葉は隣から機銃のごとく振られる若林からの話題に適当な相槌を打ち、校舎東の階段をゆっくりと学食目指して降りていく。


 昇降口から左手に折れる通路を進むと年季の入った券売機にお出迎えされて学食に入る。

 ピークを過ぎたためか普段と比べて列を形成している生徒の数は少ない。


「う~ん。今日な何にしよっかな~」


 先を譲ってやった若林が口元に人差し指を当てて思案する。青葉はここに来るまでに決めているので順番を待つだけ。


「はやくしろ~。昼休み終わるぞ~」

「ああもう待ってってば~! え~と~……」


 指がボタンをいったりきたりしているのを眺めながら、「決めた!」とボタンを押す若林に、ようやくか、と呆れ顔の青葉。

 若林はカコンと落ちてきた券を手に、そそくさと奥に見える受け取りカウンターへと走っていく。


 青葉も小銭を券売機に投入して食券を購入。カウンターのおばちゃんへ注文を済ませ、若林がさっさと確保していた中庭の見える窓際席に向かい、真向かいに腰掛けた。


「あ、きつねうどん。そっちも迷ったんだよねぇ」

「そういうお前は月見そばか」

「卵を絡めた麺は最強だと思うわけですよ」

「俺はほんのりと固まった黄身をそのまま食う」

「え~! ぐっちゃぐっちゃの方が絶対に美味しいって~!」

「意見の相違だな」

「徹底抗戦だね」


 などと、実にくだらなく実のない会話の応酬を交わしつつ合間に食事を勧める。


 しばらくは若林の方から最近のテレビやら芸人やら面白動画やら行きつけのショップの話やら、とにかくまとまりなく話のネタを振ってきていたのだが。


 青葉にとっては同年代の女子が関心を寄せている出来事などまるで把握しておらず、適当に相槌だけで応対する。

 適度に返したりと会話のキャッチボールこそこなすが、完全に聞き役に徹した姿勢である。


 しかし不意の瞬間、延々と溢れてくるのかと思われた若林のトークが途切れる。


 更には青葉からも視線を外し、どこか気まずそうな気配を表情に滲ませてとある一点に視線を向けていた。


 うどんをずずず~と啜りながら、若林の視線を追いかける。

既に大抵の生徒は散り始めていたため、彼女がどこを見つめているのかはすぐに分かった。


 ちょうど自分達とは反対側、駐輪場の見える窓際席、そこに女生徒のグループが三人ほど腰掛けている。

 が、どうにもその雰囲気は暗く、二人の女生徒が残りの一人を慰めているかのようだった。


「あおっちごめん。これ片づけといて」


 と、それだけ言い残すと、青葉の返事もそこそこにさっと行ってしまった。


「なんだあいつ?」


 若林の去った後には、三分の一ほど中身の残ったままの月見そば。綺麗な月は見事に粉砕されて、出汁の海で黄色いグラデーションを描いている。


「もったいね」


 青葉は残りのうどんを一気に掻き込み、二人分の食器を返却口に戻して学食を後にした。


 去り際、ほんの少しだけ女生徒3人組の会話が聞こえてきた。


『元気だしなって、ね?』

『そうそう。元々玉砕は覚悟してじゃん』

『でも……好きだったんだもん……』


 などという決定的な部分を拾い上げてしまったことから、どうやら3人組のうちの一人が、告白でもしてフらたというのが分かる。


 その後も、学食から完全に外へ出るまで、


『帰りになにかおごっちゃる!』『カラオケ行こ! 歌って全部忘れちまえ!』『いい人なんてまたすぐに見つかるって!』


 と、懸命に友人を励ます声が聞こえていた。

 そんな彼女たちを横目に捉えながら、青葉はさっさと教室を目指す。


 が、2学年の教室へ上がる階段の踊り場で、若林はバツが悪そうな顔をして立っていた。


「そっちから誘っておいていきなりいなくなるとかないわ~」

「ごめん」

「さっきの子たち、なんかフったフられたのって話してたけど、お前と何の関係あんの?」


 考えられる可能性としては、慰められていた女生徒がとある男子生徒に告白。しかしその生徒は若林に好意がありそれを理由にフられてしまった。そして何らかの形で若林がそれを知ってしまい気まずい感じになっている、こんなところではないか。


 若林はしばらく逡巡したのち、亜麻色の毛先を弄りながら口を開いた。


「ちょっと来て」

「?」


 首を傾げる青葉。

 しかし若林はゆっくりと先を歩き出す。


 各階には東方向へ奥に進むと非常階段があり、この階には美術室などの特別教室も並んでいる。

 基本的に人気はほとんどなく、あまり聞かれたくない類の話をするにはちょうどいい場所であった。


「さっきの……落ち込んでた子ね。1年生で、私がバイトしてる先の後輩、なんだよね」


 職場で一緒か、それはきつそうだな……と青葉は少し同情した。


「でね、実は昼休みに話があるからって呼び出されて……」

「ううんっ!?」


 しかし青葉は思わず顔を上げて若林を凝視した。彼女は小さく頬を掻いている。


「で、告白、されちゃった……好きですって。さっきの子から」


 まさかの男をめぐるトラブルより一段階上のめんどくさそうな展開が飛び出してきた。

 さすがに青葉としては予想外すぎて目を開かずにはいられない。


「え? なに、お前もしかして後輩の女の子から告白されたわけ?」

「だから、そう言ってんじゃん」

「マジか」


 思いがけないユリの花。二次創作ならいくらでもそういったものは目にしてきた青葉も、さすがに現実でそんなことが自分の身の周りで起こりえるとは予想外であった。


「あの子、けっこう可愛かったでしょ?」

「え? そうか?」

「可愛いの。あおっちはもっとその辺ちゃんと周り見た方がいいよ。あの子は間違いなく可愛いほうだから。で、あの子ってね。私のバイト先でもけっこう人気あったりするのよ。もちろん私の次にだけど」

「お前すげぇな」


 一般的な日本人ならもっと謙虚な姿勢になると思う。自分の方が素で可愛いと本気で言える人物はなかなかいないだろう。内心そう思っていてもだ。


 しかし実際、青葉からすれば先ほどの女生徒よりも、確かに若林の方が可愛いと思うので、彼女の発言は誇張でも何でもなくただの事実である。


「で、そのバイト先でね。ちょっと面倒なお客さんに彼女が絡まれちゃって……」

「もしかして、それを若林が助けたとか?」

「仲裁には入ったけど、解決したのは店長。結局私も一緒に絡まれちゃって」

「ベタな展開のくせに意味ねぇ」

「うっさい! でも、それが切っ掛けになっちゃったみたい。もともとそっちの気があったみたいだし」

「なるほど」

「いっぱい好きなところを言われたよ……」


『可愛い。カッコいい。姿勢が美人、手が綺麗、脚が綺麗、声が綺麗、髪が綺麗、目が綺麗、鼻が綺麗、口が可愛い、耳が可愛い、歯並びが綺麗、一緒にいると胸がドキドキして温かくて苦しくて愛おしくて、なにも考えられなくなる、あなた以外が見えなくなる……』


「とにかく一杯……褒めて褒めて、褒めちぎられた末に、『好きです』って……」

「でも、断ったと」

「私が男の子だったら、ちょっと怖いかなって思ってもあれだけ可愛ければオーケーしてかもしれないけどね。でも、私は『普通』だから。私が好きになるのは男の子。同性にはライク。それ以上は絶対になし。考えられない。だから、断った……」

「そっか」

「うん」


 ただでさえ人気のない場所が、沈黙によってより一層静寂さを増す。 


 しかし、薄く広がるような少し重たい空気を破ったのは、若林だった。


「ごめん」

「なにが?」

「まさか他の人にこんな話できないし、下手すると茶化すみたいな空気になっちゃうから……でも、ちょっと一人で抱えておくのもキツくてさ」

「だから、俺を学食に誘ったわけだ」

「うん。本当はあそこで話すつもりだったんだけど、どう切り出したらいいかわかんなくて。そしたら、あの子がまさか学食にいるとは思わなかったから」

「そりゃ、仕方ないな」

「あおっちに話してどうにかなるもんじゃないってわかってるんだけど。あおっちはほら、茶化していい話とそうじゃない話、ちゃんと選んでくれるじゃん」


 青葉が若林と初めて話をしたのは、去年の秋頃。

 彼女が雨の降る学校の中庭で、ひとり何かを捜している時だった。


『キーホルダー、なくしちゃって、あはは……』


 と、ずぶ濡れになって半笑いしていたのを見掛けたのが、彼女との邂逅。


『バカみたいでしょ? こんな時に、キーホルダーなんか捜してるの』


 なんて、自嘲気味に笑った彼女。

 キーホルダーになにか大切なもの、例えば家や自転車の鍵あたりがくっついているのかと思ったが、失くしたのはキャラ物のキーホルダーだけという話だった。


 それなら雨の中、暗い中庭を必死に捜すほどの価値はないように思う。


 ましてや、花の女子高生がセットした髪やメイクを崩してまで……


『あはは……内緒にしてね』


 なんて、今にも泣きそうな顔して言うものだから、柄にもなく、青葉は彼女と一緒になって、失せ物であるキーホルダーの捜索をする羽目になった。


 結果から言えば、キーホルダーは中庭ではなく、昇降口の脇に設置された落とし物入れに転がっていたのだが。


『よがっだ~……』


 と、くすんで元がなんのキャラだったのかも分からない、鳥っぽいシルエットだけが分かるキーホルダーを、大事そうに握りこむ彼女を見て、まぁ手伝った甲斐もあったか、とどこか濡れ損な気分を同時に味わいながら青葉は思ったのだ。


 ちなみに捜しだしたキーホルダーは、若林の大好きだった祖母が買ってくれたものらしい。当時は泣いて欲しいとねだったのだと、少し恥ずかしそうに話してくれた。

 その祖母はもう亡くなってしまい、今では彼女の大切な思い出となっているようだった。


 ――それが切っ掛けで、彼女とはちょくちょく話をする仲になり、彼女の言う『友達』に話しづらい話や相談を聞かされる立場になったというわけである。


「バイト先はどうするんだ? まさかフったから居づらくなってやめるとか」

「それはさすがに無責任じゃないかな」

「真面目だな~」

「いや普通でしょ。さすがにいきなりは無理だけど、機会を見てあの子とちゃんと話してみる」

「そうか。お前がそれでいいなら、いいんじゃないか」


 結局、若林は本当に青葉に話を聞いてもらいたかっただけのようだった。

 これから自分がどうするのか。もう既に決めている。

 それでも話をしたのは、彼女も言ったように、一人で抱えるより誰かに話して気分だけでも軽くなりたかったからなのだろう。


「話を聞いてくれてありがと。もしも私にまた困ったことがあったら、相談に乗ってね」

「おう」


 話がちょうどよくキリを迎えたタイミングで、昼休み終了五分前を告げる予冷が鳴る。


「あ、それじゃ私いくね。ありがとあおっち! 今度パックコーヒー奢るから~!」


 予冷が鳴り終わると、若林は手を挙げて教室へと駆けていく。

「廊下を走るな~」

「あおっちうっさ~い! あははは~~!」


 などと、先ほどまでの重苦しい雰囲気はどこへやら。若林は軽快な足取りで明るい笑いを廊下に響かせながら駆け抜けていった。


「騒がしい奴」


 なにが解決したわけでもないのに、なぜかこの場には既に重要なことは終わった、という空気が満ちていた。


 それは結局のところ、学生の悩みなどそこまで重い物でもなく、何とかしようと思えばそこまで取り返しのつかない事態に陥ることなどないという、そんな安心があるからかもしれない。


 しかし、


「やっぱり現実って、めんどくせぇ……」


 ほんの少しの非日常を前にしても、ドキドキなど湧いてくることはなく、最終的には今日も特に何事もなかっただけの平凡な一日だった。


 運命的な出会いなどない。


 あるのはただ――不意の遭遇という偶然だけなのだ。

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