第5話『滑り出しは恥さらしから』
『――いい……これは契約。私が作家であるということは在学中一切口外にしないこと。これを約束させる対価として、私はあなたがプロになるための手伝いをしてあげるわ。その代わり、あなたが誰かにこの秘密をどんな形であれ漏らしたその時は、この契約は全て破棄。その上で……あなたの人生に消えないレベルのトラウマを植え付けてこの学校から退場させてあげるから、そのつもりで。それじゃまた明日。さようなら……青葉修司君』
先日の最後に聞いた松島の言葉を思い出す。青葉は奇妙に冴えた頭でベッドに腰掛けていた。
ベッド脇のサイドテーブルに置かれた目覚ましには『5:24』と表示されている。
いつもならあと一時間は爆睡を決めている時間帯。しかし今日に限って青葉はこの10分ほど前に目を覚ました。
遮光カーテンの隙間からは朝日が一条の光となって部屋へと差し込み、空間にまっすぐな一本のラインが引かれている。
ラインの境界から向こうに置かれた机の上には【月ライト】の名刺が1枚、ぽつんとキーボードのキーに差し込まれて立てられていた。
「……夢、じゃないってことだよなぁ」
名刺なんて高校生にはほとんど縁のない代物を携帯していた女子。
教室では一切目立たず、空気のような、というよりはまるで濃い影の中に隠れているようなクラスメイト。
青葉が知る限りでも、彼女が誰かと交流をしていたという記憶はない。
彼自身、進級してから一度も交流をもったことはなく、まともに言葉を交わしたのは昨日が初めてだ。
しかしまさか。そんな彼女の正体が現在人気上昇中のライトノベル作家だとは。
「まるでラノベだな」
物語の中でなら、いくらでも、何度でも見たことのある、現役女子高生作家という肩書。
しかし実際にはそんなのいるはずないと割り切っていた架空の存在。
それが、現実に目の前に現れた。
「だとしたらなんだ。俺は主人公か何かか?」
口元に乾いた笑みが浮かぶ。
非現実なヒロインに偶然接触してしまうのはライトノベルではありふれた様式美だ。そもそもそうでなければ物語など生まれない。
特にライトノベルでは特異な少女との接点は必須項目と言っても過言ではない。
「ふぅ……なんか目が冴えちまったな」
こんな時間に起きたら絶対に二度目寝を決めてベッドと再び一体化している。
しかし今はまるで休日の朝に目覚めた時のように、頭の中が妙にクリアでもういちど寝ようとは思えなかった。
「書くか」
名刺の刺さったキーボード。その背後に見えるPCモニター。
青葉はぐっと膝に力を入れて立ちあがり、机の下で陰になっている本体の電源を入れた。
ウィーンというファンの音が聞こえ、数秒でデスクのモニターにサインイン画面が表示される。
『――プロの作家になる事でも目指してみましょうか』
なんのけなしに言われた松島の言葉が脳内でリフレインする。
WEBで小説を投稿している者も、広義では作家に分類されて間違いない。
しかし青葉はいわば『アマチュア』。ただの趣味で書いているに過ぎない作家もどき。
そんな自分が、よもやプロを目指す?
冗談にしか聞こえない。
だが、先日あった松島は、そんな与太話を口にするような少女には見えなかった。
つまりは、本気、と思っていいだろう。
「…………『プロ』、か」
キーボードをタイプする指を止めて、この数十分で入力した自分の文章を読み返してみる。
しかしながら、この文章がそもそも、良い文章なのか、悪い文章なのか、判らない。
何度読み返してみても、物語にはなっているように自分では思うし、個人的には『面白い』と思って書いている。
だいいち、そうでなければ好き好んで文章を書こうなどとは思わない。
「なんなんだろうな、プロって」
青葉は自分が書いている話も、松島の書いた作品も、どっちも面白いと思っている。
なら、プロとなる作家と、全く読まれない自分の差はなんなのか。
文章力? 物語の面白さ? それともキャラクター?
どれかが突き抜けていればいいのか……
それとも、全てが完璧でなければいけないのか……
いや……そもそもプロと自分を比べること自体がおこがましい。
だが、例えばweb小説で点数『0』の作品と、『100』の差はどこにあるのだろうか。
失礼な話ではあるが、試しにどちらを読んでみても、極端に文章力、物語の面白さに大きな差があるようには思えない。
青葉は小説投稿サイトの、マイページに飛んで自分の作品の評価を確認する。
相も変わらず、ブックマークは0のまま。
投稿した当初は『3』とカウントされていたアクセス数も、今は更新されて同様に0の数字を刻んでいる。
「なんで俺の作品って、ここまで読まれないんだろうな……」
サイトの機能には感想というものがあり、読み手が投稿者に向けて作品の批評をしにくるということがある。更に上位の機能としてレビューまであるのだが、もちろん青葉の作品にはそんなものは一つも貰えたためしなどない。
故の0評価。作品に対するマイナスの評価さえも貰えない、全くの無。
「俺がこんな様だって知ったら、あいつなんて言ってくるんだろうな」
先日の松島はかなり捻くれた口調が目立った。俗にいう毒舌。
こんな評価しかされていないと知られた瞬間、あのマシンガンのごとき口から罵詈雑言の雨が撃ち込まれるに違いない。
「書き方を訊くだけなら、別に俺の作品を読ませる必要はないし、教えなくてもいっか」
……もっと上手い文章を書いて、評価される面白さを持った作品が出来上がったら、その時にあいつに見せればいい。
そんなことを考えながら、青葉は再びキーボードに指を乗せ、文字をタイプし始める。
「これくらいでいっか」
普段よりも、なんとなく筆の進みが良かった。
朝方の勉強は効率がいいとはよく耳にするが、もしかすると小説を書くのもこの時間帯が一番適しているんじゃないか。
いつもとは違った新鮮な感触に若干の興奮を覚えつつ、青葉はPCの電源を落とし、学園に向かう準備を始めた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「――見せなさい」
昼休み。
青葉は松島の学内プライベート空間に連行、一も二もなく彼女に掌を見せつけられていきなりそう要求された。
「……なにを?」
「すっとぼけないで。この場に来てあなたが見せなきゃいけないものなんて一つだけでしょ。それともなに、ハッキリと主語が付かないと分からないほどあなたは察しが悪い低脳なのかしら? 違うというならキリキリと私の欲するものを出しなさい今すぐに」
グイグイとその大人しそうな見た目とのギャップを遺憾なく発揮して青葉に迫る松島。
むろん青葉とてこの期に及んで何を要求されているのかわからないというほど鈍感ではない。
十中八九、彼女は『青葉の書いた作品』を見せろと言っているのだ。
小説を書きたいとは言ったがまだ自分の作品があるとは口にしてはいないはずなのに、まるで絶対に作品が存在していると確信してるかのような松島の態度。
事実、青葉はネットに挙げている作品がいくつかある。しかしそのいずれもがどこにも刺さらず評価はまるでなし。某青ダヌキなロボットのアニメに登場する0点答案製造機なメガネ少年ばりに成果が芳しくない。
「いや、その、まだ小説は書いたことがなくて……ほんと、ゼロからのスタートというか」
故に、こんなものをプロの作家である彼女に見せるなどできるはずもないと、青葉はついごまかしてしまう。
そうでなくともこの口の悪いクラスメイトにあんなものを見せたらなにを言われるかわかったものじゃない。
「本当に? あなたって小説を書いたことないの? 一行も? 一文字も?」
「ああ」
「嘘ね」
即答だった。
下から見上げてくる松島は、眼鏡の奥に光る眼差しを真っ直ぐに青葉の瞳へと向けてくる。
まるでひぐらしで有名なホラーサスペンスなあのゲームのワンシーンのような光景。
詰問してくる感じではないが、誤魔化しは許さないという迫力が彼女からは伝わってきた。
「今のあなたの考えていることを言い当ててあげましょうか。『小説を書いてはみたけど誰からも見向きもされなくて、そんな完成度の低い作品だから知り合いには見せたくない』、こんなところかしら」
ドキリ、と青葉の心臓が大きく跳ねた。あまりにも図星を的確に突かれすぎて、ほんのわずかな間ではあったが呼吸すらも忘れてしまう。
「なんで、そう思うんだ?」
「なんとなく。女の勘。あとはほんのちょっとした状況からの推理」
「なんだそりゃ」
「なんでもいいでしょ。私は探偵や刑事じゃなくて小説家だもの。人間観察は多少できても踏み込んだ調査なんてできるわけないでしょ。でも、その様子じゃ全くの当てずっぽうでもないみたいね」
「い、いや、俺は本当に」
「特に勉学に打ち込んでいる感じもないのに毎日寝不足気味。夜更かしが原因なのは明白。それといつも目を擦ってる。ゲームかスマホか、はたまたPCのモニターか、とにかく目を酷使しているわね。でも私に小説の書き方を聞いてきたあたり、あなたが見ているのはスマホかPCのモニターである可能性が高い。それと昨日、図書館にいたでしょ。ネタでも探しに来てんたじゃないの? 高校生なんてお金の自由が制限された状態じゃ、ネタを集めるのに本を毎回買うのは厳しいものね。それと最後に、私に小説の書き方を聞いてきたときのあなたの目が、思った以上に真剣だったから、作品を書いてはみたけど結果が芳しくなくて、なにか突破口を模索してんたじゃないのか……以上、ちょっとの推理と私の勘が、あなたが作品をすでに書いていると思った理由よ。分かったら可及的速やかに作品を見せなさい」
本の山が足場を占領した狭い踊り場の空間を、松島は右に左にと移動しながら推理とやらを披露していく。
ほとんど状況証拠を無理やりつなぎ合わせただけの推理。
しかし恐ろしいほどに、彼女の推理は的を得ていた。
もういっそのこと興信所でも起業すればいいのではなかろうか。
「……どうしても、見せないとダメか?」
さすがにここまで言われてはこれ以上誤魔化す気にもなれず、青葉は婉曲に自分が作品を書いていることを明かした。
「ダメよ。全く書いたことのない人と、少しでも書いたことのある人に指導するならやり方は変わってくるの。恥ずかしいとかくだらない理由で隠されたらこっちも迷惑よ」
……恥ずかしいはくだらない理由じゃないと思います。
などと心の中で抵抗を試みるも、確かに松島の言葉にも一理あると納得してしまった。
青葉は「はぁ~」と諦めの成分を多分に含んだ溜息を漏らしながら、ブレザーの制服から紺色の柄もないカバーに包まれたスマホを取り出した。
「まずはラインから交換しましょう。連絡が取れないと不便だし。まさか今どきインストールしてないとか言わないわよね?」
「してるよ」
一応は、と後半にぼそっと繋げて、友人とのトーク履歴が『まるでない』画面を隠しながら、読み取り用のQRコードを表示、松島とお互いにIDを交換した。
「アイコンも変えてないのね」
「お前もだろうが」
「私は編集との連絡用だもの。変更しなかったからってなにも不都合などないわ。でもお友達とトークするときにデフォだと逆に浮くんじゃないの? ま、私はどうでもいいことだけど」
「別に」
「ああ、あなたってお友達いなのね可哀そうに」
「その憐れむ目はやめてくれませんかね」
お前だって学校に友達ひとりもいないくせに、と喉まで出かけたがやめた。
どうぜ「私には必要ないもの」とか返されるのが目に見えている。しかし女子との連絡先交換だというのにまるでドキドキしないというのはこれいかがなものか。
「さて、それじゃぼっち青葉君が書いた小説のデータ、もしくは投稿サイトのURLを送りなさい。今日明日中に読んでくるから」
青葉はしぶしぶ、自分が書いた小説のアクセス先を先ほど登録された『THUKI』とのトークルームに添付して送信した。
「届いたわ」
松島はURLを確認すると、アドレスをタップして青葉の作品にアクセス。
冒頭を流し読みし「ふ~ん……」と目を細め、「なるほどね」と意味深に頷くとスマホを制服のポケットにしまった。
青葉は内心気が気ではなく。
しかし松島は何も感想を口にすることなく、青葉を見上げてくると、
「されと……今日はこれ以上なにもすることもないわね」
「え?」
「明日までにある程度あなたの作品を読んで来るわ。じゃ、またね。青葉君」
それだけ言って、積み上げられた椅子と机の間からするりと外に出ていき、あとにはポツンと青葉が一人で取り残された。
てっきりこの場で作品を読まれ、盛大に批判されるものだとばかり思っていただけに、松島の反応に青葉は別の意味で面食らった。
シーンと静まり返った踊り場。すると、途端に先ほどまでは聞こえてこなかった、他の生徒たちの喧騒が耳に飛び込んでくる。
「はぁ~~~……」
特大の溜息を吐き出し、青葉は階段にドカッと腰を下ろす。
「明日は胃薬を持参してきたほうがいいかもな」
まるで死刑執行に猶予期間が設けられた囚人のような気分だった。
あの作品を読んで、いったい松島がどんな批評を蓄えて斉射してくるのか。
もはや想像するだけで既に胃がキリキリと痛んでくるかのようである。
もしかすると明日はボロクソに言われた末に、胃に穴を穿たれるかもしれない。
誰かに読んでもらいたいという承認欲求は確かにあったが、なぜ身近な人に読ませるのは抵抗があるんだろうか。
顔の見えない相手に見せるのはなんでもないのに、いざ知り合いに自分の書いた物語を読ませるというこの気恥ずかしさ。
「俺も戻るか」
松島に拉致されて昼食をまだ取っていない。
スマホの時計を確認すると、残り時間はまだ30分ほどある。まだ学食を使うだけの時間はありそうだった。
「そういえばあいつって、いつも昼ってどうしてんだ?」
なんて疑問が不意に湧きつつ、青葉は席が埋まっている可能性の高い学食を目指した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます