第3話『出会い? いえ、エンカウントです』
図書館での騒動の後……
青葉は不意に遭遇した松島から「来なさい」と促され、西階段を上らされていた。
「なぁ、どこに連れて行く気だよ」
「すぐそこよ。黙ってついてきて」
普段は物静かで暗い雰囲気すら漂わせる少女が、今では豹変でもしたのかと思えるほどの存在感を放ち、有無を言わせぬ迫力を醸して青葉を先導する。
ちなみに借りようとしていた文庫本は全て棚に戻してきてある。よどみなくあのタワーを戻していく松島の記憶力に青葉は脱帽した。
松島は猫背気味だった背筋をピンと伸ばし、キュッと上履きを鳴らして先を行く。
「ここって……」
青葉が案内されたのは、数か月前まで自分の生活空間であった一年生の教室の並ぶ四階……ではなく、更にもう少しだけ階段を上がった先、屋上へと続く物置化した踊り場であった。
机や椅子が踊り場の中央に詰まれ、屋上へ上がれないようバリケードの役目をはたしている。
が、良く見れば壁際には人一人がギリギリすり抜けられる小さな隙間が一か所だけあり、松島はそそくさと先へ行ってしまった。
青葉は少し呆気にとられつつ、彼女に続いて隙間に身を滑らせる。
「いらっしゃい。私の学内プライベート空間へ」
「……………………なにこれ?」
視界の先には机と椅子がワンセット。更にはキャラ物のクッション、小型扇風機に、延長コードを巨大化したようなコンセントドラム、温風ヒーター。
そして床一面に無造作に積まれた、大量の小説たち……
純文学、大衆文芸、ライト文芸、ライトノベルがうず高く積み上げられており、足の踏み場が僅かにしかない。
「秘密基地。好きでしょ? 男の子って、こういうの」
「そりゃ好きだったけど」
それは小学生までの話だろ、と思いつつ、こういった秘密の空間に案内されてちょっとワクワクしている青葉である。
いくつになっても、男なんて単純な思考回路なんだな、青葉はと内心で自分に苦笑した。
「つか、なんでここに俺は呼ばれたわけ?」
「さっきの件について、ちょっとあなたを脅迫をしておこうと思っただけ」
はばかることなく脅迫とか言ってくる松島に、青葉は声に出さず『おい』と心の中で突っ込みを入れる。
しかしさっきから彼女の発する雰囲気が刺々しいことは確かである。
「まず確認。松島って本当に、」
「ええそうよ。正真正銘。まじっりけなしに偽りなしのライトノベル作家、【月ライト】は私で間違いないわ」
「マジか。語りとかじゃなくて?」
「これ」
と、松島はスマホ画面を見せてきた。
それは青葉も投稿している小説投稿サイト、そのユーザーページが表示され、更には投稿作品一覧の中には実際に【月ライト】が世に発表し、書籍化もされた複数のタイトルが並んでいる。
彼女は正真正銘、本物の【月ライト】で間違いなかった。
「ついでにこれ、私のツイッターアカウント」
切り替わったスマホの画面を覗き込む。間違いなく本人の物だ。
「おお、マジか」
「あなた……さっきから『マジか』しか言えないの? ボキャブラリーが貧弱なんじゃないかしら」
「悪かったな」
「別に悪いとは思っていないわよ。日常会話が成立できる程度に語彙力があれば、こちらとしてはなんの問題もないわ。それに言葉のレパートリーが貧弱で基礎学力を疑われるのはあなたであって私じゃないもの。すまないと思うなら自分自身に謝りなさい……というかそんな話はどうでもいいの。さっき見せたからもう疑ってないと思うけど、私は本当に作家なのよ」
「みたいだな」
言いたいことは色々とあるがここはぐっと呑み込む。
「理解してくれたのなら結構よ。取り合えずそこにでも座ったら?」
松島は屋上へと続く階段を指さし、自分はちゃっかりと椅子に座って背中にキャラ物のクッションを挿し込んだ。
お互いが腰を落ち着けたタイミングで松島は口を開く。
「馬鹿じゃないならもうわかっているとは思うけど私は自分が作家だってことを誰にも知られたくないの。教師は別にしてもここの生徒に知られるなんて冗談じゃないわ」
「まぁ俺はもう知っちゃったんだけど」
などと軽口を叩いた青葉をギンッと音がしそうな勢いで松島が睨んできた。
「控えめにに言っても最悪だわ。よりもよってクラスメイトに知られるなんて……」
「俺としては幸運だったけどな。憧れの人気作家と同じクラスってのは」
「あなたが私のファンであることは大いに結構だけど、今はあなた個人がどう思ってるかなんて関係ないわ。問題は誰であれ、私のことを知られたというこの事実よ」
「別に言いふらしりしないって」
「それを馬鹿正直に信用できるのならこんな場所に連れてきたりなんてしてない」
ごもっとも、と青葉は心の中で彼女の言葉に同意する。
自分がまるで信用されないことは彼女の態度から嫌でも伝わってきた。
「さて、そこでどうすればあなたの口を封じることができるのかという議題に行きつくわけなのだけど。手っ取り早いところで、さっきも言ったようにこのまま屋上に上がって飛び降りてくれれば一番手間もなく全てが解決するわ」
「せめて生かしてはもらえないでしょうか」
「贅沢ね」
「いえ至極まっとうな要求だと」
「なら譲歩案として明日にでも退学してくれると助かるわ」
「それ譲歩なの? それってほんとに譲歩なの?」
「生かしてあげてるじゃない」
わがままな人ね、と瞳で呆れた様子を見せる松島。冗談なのか本気なのか。青葉は「いやいやいや」としか返せない。
「それじゃなに? あなたは私に向かって『このことは黙っててやるから俺の言うことを聞くんだなぐへへ』とか言い出すつもりなのかしら? 予想通りの外道ね。この穢れを知らない無垢な体をあなたはその獣欲にまみれた衝動に任せて徹底的に犯しにくるつもりのなのね。想像力逞しい男子のこと、いったいどんな妄想を展開して私を蹂躙しているのやら。あなたような男を世の中では鬼畜というのよ」
マシンガンのように松島から毒の弾幕が飛び出してきた。
よく息が切れないものだと思わず感心する。
「何も言ってないし想像力豊かなのはお前だよ」
「作家が想像力欠如してるとかありえないでしょ。私はこれでもプロの端くれなのよ」
ああ言えばこう言う。松島はとにかく速いテンポで容赦なく返してくる。
「そろそろ本題に戻りましょう。私はね。穏やかな学園生活を送りたいの。ライトノベルみたいなオタク向けコンテンツを書いていることが知られたら私の学園生活は破綻するわ。ええ間違いなくね。人様が心血注いで書いた作品をリア充共にバカにされて的外れな誹謗中傷でこちらの精神を攻撃、机や教科書は落書きされてトイレに入れば上からバケツの水をぶっかけられるの。そしてプロとして稼いだ印税を脅迫、恫喝、恐喝を駆使して無理やりむしり取りにくるんだわ。そして疲れ切った私は最後には屋上から両手を広げてエデンへダイブ。どう、楽しい未来予想図でしょ?」
かなり被害妄想強めな気がしないでもない、と青葉は思ったが世の中には人と違うというだけで簡単に攻撃してくるような世知辛い現実というのが確かに存在する。
ゆえに、彼女の語ったいわゆる『いじめ』に該当する行為が絶対にないとは言い切れないのも事実であった。
「でも幸いにして知られたのはあなた一人だけ。ここで口を封じてしまえば私の学園生活は安泰。そうね。某有名小説に登場する吸血鬼になっちゃった男がされたみたいに、口をホチキスで縫い合わせるのはどうかしら?」
「そこで俺がうんと頷くと思ってるなら今すぐ精神科に行くことをおすすめするよ」
「ああそうね。あれって実際に縫い合わせてはいなかったわね。頬肉に針をバッチンしただけだったわ。ごめんなさい。例えの引用が適切じゃなかったわ」
「そこじゃねぇよ」
いよいよ疲れてきた青葉。目の前で腕と脚を優雅に組む松島を溜息を吐きながらそれとなく観察する。
なかなかにメリハリのある体形で脚もスラっと長い。思春期の男子学生には重要な情報である。そしてこの状況的には全く意味のない情報でもある。
しかし磨けばなかなかの器量よしになるのは間違いなさそうだった。
もっと今風に校則ギリギリに制服を着崩して、髪型とかもしっかりと決めて眼鏡をコンタクトに変えればいきなり化けそうな感じがある。
「あのさ、さっきも言ったけど別に俺は松島が黙っててほしいなら、お前が作家ってことを言いふらしたりはしないって」
「そっちこそ何度も言わせないで。その言葉を信用できる根拠はない。そもそも私はあなたの人となりをよく知らない。つまりは信用できない。キャラ創作のための観察対象にもならないクラスのモブだものあなた」
「つうわりには人の名前しっかりと覚えてたよな」
「いつ、誰が、私の作品にとって有益な情報をもたらしてくれるかわからないから、せめて周りにいる人間くらいは覚えておこうと思っただけ。でもあのクラスで実際にキャラが立ちそうなのは泉君くらいね。あとのクラスメイトは端役がいいところ。あなたも含めて」
「そうですか。そりゃ残念だ」
……おい泉、天下の人気作家様からキャラが立ってるとか言われてるぞよかったな。
と青葉は今も汗と泥に塗れて部活に勤しんでいるのであろう数少ない友人に賛辞を贈った。
だがここまで【月ライト】という作家がキツイ性格だとは正直予想外だった。もしも自分が彼女の小説に登場したらいったいどんな風に扱われるのか。少なくともまともな活躍をするキャラではないだろうなと予想はできた。
ツイッターだと当たり障りなく、日常のちょっとした面白かった出来事なんかを明るい感じにツイートしていただけに、イメージとのギャップの大きさに驚きを禁じ得ない。
「でも、それならどうするんだ? 松島は俺を信用できない。でも俺だってこの歳で故人になるのは勘弁だし転校もノーだ」
「さっき言ったこと本気にしてるの? 冗談に決まってるでしょ。法的措置を受けるような真似をこの私がするはずないじゃないの。もう少し頭を使って会話しないさい。バカにしか見えないわよ」
「ソウデスネ~」
青葉は明後日の方向を見つめて棒読みで返した。松島がむっとしたように口を尖らせる。
「ムカつく……まぁいいわ。それより最初に言ったでしょ、脅迫するって。もしも私の秘密が誰かに漏れている形跡がほんの少しでも見えたら、その時はあなたの学園生活を滅茶苦茶にしてやるだけよ。学園に居づらいどころか転校したくなるほどに追い詰めてやるわ。証拠も残さず私の関与も疑われずあなたはひどい目に遭うのよ」
松島は口調こそ平坦なものだったが、眼鏡の奥に光る眼光は「マジでやるから」と訴えてくるようだった。
さすがにもうちょっと頼み方というものがあるだろうに……と青葉は呆れる。
「俺がどんな目に遭うのかは別にして、もしも秘密がバレたらお前はどうすんだ?」
まさか作家をやめるとか言いださないだろうな、と青葉もさすがにそこは心配になった。
「最悪の場合は転校でなんでもするわ。もちろんあなたを地獄に叩き落してからね」
「アグレッシブだなお前」
「でもできることなら転校なんて真似は個人的にはしたくないわ。だって他の学校に行った瞬間に目立つじゃない。せっかく入学から苦労して誰の目にも留まらないように生きてきたのに」
「つまりお前のその地味な格好って、ロールプレイの一環なわけ?」
なんとなく興味を引かれ、青葉は問い掛けた。
「ありていに言えばそう。でも華の青春時代に無駄な人間関係を構築して貴重な執筆時間を削られるなんてナンセンス。青春なんてものは後先考えてない脳カラ連中に任せてればいいのよ。私は堅実に作家としての人生を歩むわ。それに、この格好と存在感なら、人を観察してても気付かれにくいし、干渉もされにくいから何かと便利ってのもあるわ」
青葉は口を閉ざし松島の作家としてのストイックな姿勢に感心した。
一生にたった3年しかない学園生活を捨てる。すべては作品を書くため。
もしかするとこれでも彼女が作家人生に掛ける熱意のほんの一部でしかないのかもしれないが、それでも何かを捨てて何かを得ようするその姿を青葉は素直にかっこいいと思った。
……思ってしまった。
だからだろう。望みなどないと分かっていながらも……
こんな言葉が、青葉の口を突いて出てしまったのは――
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