第1話『読まれない作家の独白』

 現実とは、かくも普遍的であり不動の極みだ。そこに不純物フィクションが紛れ込む隙などない。


 青葉修司がそんな現実を知るには14年という歳月で事足りた。


 いかに最新技術を駆使したデジタル機器が増えようが、バイオテクノロジーが発展を見せようが、どこかの国同士の関係に不穏な空気が流れようが。

 それは一介の有象無象たる男子高校生にとっては特に関わりの薄い外の出来事でしかない。

 

 人間なんて自分の身に降りかからない限りはどこまでも他人事、対岸の火事だ。


 そうでなくともこのリアルな日常には異世界転生もなければ規格外にぶっとんだヒロインだっていやしない。


 ファンタジー、ラブコメ、ミステリー、SF、ホラーなど、どのジャンルも普通に生きているだけの男子高校生には文字通りの絵空事であり、紙の上や解像度フルHDのモニター越しにしかその存在を知覚する術はない。

 

 フィクションはどこまでいってもフィクションであり、ノンフィクションは日本の平和な田舎町に生まれた青葉にとって、この上なくつまらないありふれた日常風景だ。


 しかしそこからの脱却を図るほどの労力も持ち合わせていないのなら、あとは惰性で流されることを選ぶしかない。


 この何気ない日常こそ真に尊ぶべきものなのだ、などという言葉は、人より少しだけうまく人生を生きてきた誰かが後付けで自分の人生をより美化するために呟いた妄言に過ぎない。


 要は自慢話の類である。聞くだけ無駄と割り切れる内容だ。含蓄など欠片も感じられない。所詮は他人の人生である。

 

 青葉自身の『今』には何も響いてこない。


 彼が求めているのはそんな誰かが何かを成した、などという与太ではなく、例えば異世界に飛ばされて超常の力を得て無双してみたり、現地でヒロインと恋に落ちてみたりと、俗物的でインスタントな非現実なのである。


 もしくは現実離れした美女と学園でドタバタと騒がしくも楽しく甘酸っぱい青春群像劇を演じてみたいと思うわけで……


 とはいえどこかにあるのかも不確かな不思議ちゃんたち(事象、人物含む)が向こうから青葉の前に姿を見せることなどないし。

 そんなリアリティに欠けるぶっ飛んだ『非日常』はどこを探したってきっと転がってなどいない。


 通学路の角で女の子とぶつかったり、空から美女が降ってこようものならそれはただの事案で終わりだ。


 恋の発展などそこからどう臨めというのだ無茶ぶりも甚だしい。


 現実とフィクションはごっちゃにすることなかれ。混ぜるな危険。区別のつかなくなった人間の末路はニュースで取り上げられて痛いほど理解している。


 現実に生きているなら、そこに身を置くすべを身に着けてつまらないと思う日常に我慢して生きる以外ない。それが世の常。なんの特別もない人間に与えられた人生のトリ説である。


 明日にも核戦争が勃発でもしない限りはきっとそんなありきたりでつまらなく、どっかの誰が口にするかけがえのない日常が繰り返さるのだ。


 だがやはり、それだけじゃ人生に花はない。


 故に、青葉修司は学園への進学を期に小説を書き始めた。

 

 面白い人生が日常に転がってないのなら――


『自分で作っちまえばいい』のである。


 


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 


昨今のweb小説のブームに乗っかるようにして始めた執筆活動。


 非日常を望む手段を模索し始めた二年前。


 それから時は経過し高校二年に進級してからしばらく経った五月の下旬。

 クラス替えによる新しい人間関係もちょいちょいでき始めた今日この頃。


 青葉修司は自宅のデスクトップPCの前で眉を寄せていた。


「――アクセス数……3」


 学園から帰ってきてすぐに自室のPCの電源入れた青葉はいまだ制服姿。

 

 学園指定の紺のブレザーの襟から覗く青の濃淡ストライプ柄のネクタイは緩められ、襟の開いたワイシャツの裾はスラックスタイプのズボンから完全に外へはみ出している。


 日も長くなってきた五月ということもあり、デスク横の窓から差し込む日差しはいまだ高い位置から部屋を茜色に染め上げている。


 太陽光を浴びるPCのモニターは少しだけ埃を反射し、しかし青葉の視線はその奥のデジタルで表示された『3』という数字にしか向かってはいなかった。


 盛大に溜息を漏らし青葉は肩に掛けた黒い鞄を無造作に背後のベッドへと放り投げる。

 ぼふんと鞄がベッドへと着地すると、部屋に埃がぶわっと舞い上がる。光を浴びて埃がたゆたう光景が部屋を満たす。


 しかし二次元的なイラストやアニメ的表現だとなぜか幻想的に見えるようこの光景も、生憎と現実ではただただ不衛生な産物でしかない。そこもまた、現実とフィクションの違いというヤツである。


「全然読まれねぇ……」


 ベッドに思いっ切り身を投げ出し、スプリングがギシギシと音を立てて主に抗議する。


 青葉は足を振り上げ勢いを付けて起き上がり、いまだ立ちっぱなしのモニターに視線を戻すとベッドの上で胡坐をかいた。


 ……大人気小説投稿サイト『文豪の卵』。


 今から十年以上も前に立ちあがったこのサイトは、既に多くの著名な作家を世に排出し、今も年間何十冊というペースで新たな書籍が生まれている。


 元を辿ればただの二次創作サイトに過ぎなかったものが、今では『ネット小説』という一ジャンルを築くまでに発展を遂げた。


 昨今は類似サイトが立て続けに生まれ、世はまさにネットから小説家を目指す時代になったと言っても過言ではないだろう。


 サイトへの利用者は年々増え続け、今では登録者数も200万人に届く勢いで、投稿されている作品数も100万弱とかなりの数だ。


 ……が、どんなものにも光があれば影が存在しているのが世の常というもの。


 サイトには既に100万近い作品が投稿されている。

 そこから、自分に合った作品を地道に探す者がはたしてどのくらい存在しているのか……

 

 答えは単純明快。

 

 そんな奇特な奴はほぼいない、である。

 皆無ではないにしても、よほどのモノ好きでなければ数十万という大海から名作を探り当ててやるぜ、なんて気概のある人間はごく稀だ。


 それゆえに、ああ悲しきかな。

 

 ここに投稿されている実に80%以上の作品群は『まるで読まれない作品』というヤツなのである。


「はぁ~……」


 だからこそ、そんなサイト内における読まれない有象無象の一人に青葉修司という人間が紛れてしまうことなど、まるで珍しくもないことなのだ。


「ブックマークも0……マジで萎えるなぁ……」


 小説を投稿し始めて約一年、ブックマークは不動の『0』。

 鳴かず飛ばずの音沙汰なし。まるでステータスがカッチリと固定でもされてしまったかのように、一切上下する気配がない。


 ……そもそも数字が0なので上下という表現も正しくはないのだが。


「なんでうまくいかねぇかなぁ……」


 最初こそ好きに書いてみればいいか、程度の軽い気持ちで始めた執筆活動ではあったが、サイトの中身を少しずつ理解していくうちに、徐々に誰かに読まれたいという欲が生まれてきてしまったのだ。


 そうでなくとも、ほぼ同時期に投稿された小説が、サイトトップのランキングにその名を飾る。

 それだけではなく、先日にその作品の作者が、活動報告や投稿された最新話のあとがきに――


『書籍化が決定しました!』


 という文字を躍らせていたのを目にしては、青葉は胸中を苦々しく染めて、自分とその作者の違いはなんなんだよ、と、半ば苛立ちを募らせる。


 それでも、彼は物語を書いては投稿するのを繰り返していた。自分が見てきた作品の中には、後発的に人気が爆発した作品も何作か存在する。


 つまり、自分も今から更に面白い物語を投稿できればあるいは、という期待が、彼を先日の夜もPCの前に座らせ、キーボードをタイプさせたのである。


 朝のわずかな時間に最新話を投稿。家に帰ってくるまでにどれだけの閲覧者がいるだろうか、と期待を膨らませて帰宅してきたのがつい先ほどのこと。


 しかしながら結果は見事に惨敗。


 青葉が口にしたアクセス数3という数字は、彼が小説を投稿した直後の一時間のみのカウントであり、それ以降は全くと言っていいほどに誰からも見向きもされていなかったのである。


「はぁ~……しんどい……」


 己の人生に魅力が感じられず、退屈していた日常に変化を付けようと始めたはずの執筆活動が、ここにきてまさかの事態に陥っていた。


 これは自分が楽しむために書き始めたんだから、別に閲覧者やブックマークや評価が増えなくたって関係ないんだ、なんて割り切れる思考ができるほど、青葉は悟りを開いてなどいない。


 人並みに、いや、こんな場所サイトを選んできた以上、彼の中には確かな承認欲求が存在している。


 誰かに認めてもらいたい。しかしそれが叶わないとき、人は心にストレスを生じさせていく。


 好きで始めた執筆活動のはずなのに、それが原因で精神的な負荷を抱えてしまうとは、皮肉なものである。


 それでも青葉は、


「新しい話、書くか」


 諦めきれずに、今日も読まれない小説の執筆に明け暮れる。誰かが自分の小説に興味を持ってくれることを信じて。

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