地味なクラスメイト(隠れ美女)がラノベ作家であることを知ったので師匠になってもらいました。

らいと

第0話『地味子はプロ作家』

 青葉修司は吐きそうだった。

 

 原因は彼の目の前にいる松島月まつしませいらという名のプロ作家のせいである。


「――ダメ、全くダメ。クッソつまらない。よくこんな文章を書いてこれたわね」


 彼女と出会ってから、いつもこの場所で顔を突き合わせていた。


 茜と紫、或いは瑠璃色が空を覆う中。

 学園の屋上に上がっていく踊り場に作られた秘密の空間で、今日も松島月まつしませいらは執筆講座という名の毒舌会を催していた。


「書き出しのインパクトもないし文章の構成もメチャクチャ。キャラが何を考えてるかわからない上に登場人物たちが今どんな場所にどんな状況でそこにいるのかが伝わってこない。場面転換するにしても唐突すぎて読者がおいてけぼりになってる。ただ適当に書くだけなら幼稚園児だってできるわよ」

 

 染めた気配など微塵もない真っ黒な艶のあるおさげ。制服に乱れは一切なく、しかしその着こなしは今風の女子高生というにはいささか芋っぽい。ハッキリ言って地味な装いである。


 しかし赤いフレームのダサい眼鏡の奥からは、こちらを射殺す様な鋭い眼光を光らせる二つの瞳が覗いていた。

 その手にはタブレット。表示されているのは短編小説。先日、松島が課題として青葉に書かせたものだ。


 提出してからほんのわずかな間にこれでもかとダメ出しの嵐。

 

 正直いまにも心折れそうである。が、松島はそんな青葉の心中など構いなしに作品への批判を痛烈に浴びせ掛ける。

 

「まぁいきなり文章が劇的にうまくなるとは私も思ってなかったけどこれはちょっとひどいわね。猿に絵を描かせた方がよほど芸術的になるんじゃないかしら」

「……そこまで言いますか」


 

 不意に松島は眼鏡を取る。度は入ってない伊達眼鏡。しかしオシャレアイテムとして使うには些かダサい代物。

 だが、眼鏡を取った松島の顔は愁いを帯びて、その顔つきは深窓の令嬢を思わせるほどに整ったものであった。

 

 だが眉間を揉みこみ、深いため息をつく彼女の姿からは、とてもじゃないが青葉に対する僅かな好意だって望めそうにない。

 

「『プロ』の端くれとして言わせてもらうわ。これで物書きを名乗るつもりなら小学生からやり直した方がいいレベルよ。評価点を付ける以前の問題だわ」

 

 彼女の名前は松島月……またの名を、WEB作家『ムーンライト』。

 書籍化もされ、累計発行部数50万部を超える人気作を生み出した、正真正銘のプロ作家である――

 

「評価、0点。もっと精進なさい、青葉修司君」

「……了解」

「よろしい。さて、それじゃこの作品でまず修正すべきところは……」

 

 ボロクソに批判され、それでも青葉はこの関係を続けている。

 まるで読まれない作品を製造していた青葉に挿した、プロ作家からの直接指導という光明。

 

 青葉は今日も、毒と悪態の坩堝がごとき講習会に参加し、心をベキベキにへし折られながらも……読まれる作品を書くために、松島の講義に耳を傾けた。

 

 ……なんか、色々と早まったかもしれん。

 

 ふと思い出す。自分と松島が、今の関係になったあの日の出来事を――

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 私立三鷹学園本校舎の二階西側には図書館がある。


 5月下旬。背中を丸めた青葉修司は小説執筆のための資料を求めて放課後の図書館を訪れた。

 執筆と言っても、趣味で書いているようなアマチュア作家の創作活動だが。


 最低限の清潔感だけを保った黒髪の隙間から室内を見渡す。

 図書館の利用者は少なく、全体を見渡しても5人もいやしない。カウンターで暇そうにスマホを弄っている女生徒は図書委員だろうか。職務放棄も甚だしい。


 しかしこの利用者の数では真面目に委員の仕事をしようなどと思えないのも頷ける。カウンターに座っているだけまだマシな部類か。

 だがそれなら本でも読めばいいだろうに。真面目な現代っ子よろしくスマホを弄る彼女はまぁ等身大の女子高生ということなんだろう。


 経年劣化により黄ばんだ白の壁、角が錆び付いたスチール製の無機質な本棚に、所々がシミのようになっているタイル張りの床。

 外から差し込む西日を浴びてなお幻想的な光景には程遠い、年季だけは感じられる室内。

 あまり熱心に清掃されていなのか、本の一部はうっすらと埃を被っていた。


「え~と」と、薄暗い本棚の隙間を縫って青葉は目当ての本を探す。


「うん……?」


 ふと、目の前に如何にも図書館という空間にお似合いな黒髪おさげの少女を見かける。


 非常にダサい真っ赤なフレームの眼鏡を着用。学園指定のブレザーをきっちりと模範解答的に着こなし、一切の乱れはない。よく言えば真面目な、悪く言えば非常に地味な印象の少女であった。


 ……どこかで見たような。


 青葉は本を探す合間に記憶を辿る。が、どうにも輪郭が曖昧でハッキリと思い出せない。


 彼女は文庫本を物色していた。既にその手には抱えるほどの文庫タワーが形成されている。


 ……あれ全部読むのか?


 青葉は内心で驚愕を覚えながら、彼女の脇をすり抜けようと声を掛ける。


「悪い。そこ、通っていい?」

「あ、ごめんなさい……これでいいかしら?」


 彼女は青葉の存在に気付き道を譲ろうと本棚に体を寄せてくれた。

 しかし、彼女が抱えている大量の本のせいであまり本棚に密着できず、成人男性一人分が通り抜けるには少し狭いスペースができあがる。


 青葉は少し強引に通り抜けようとしたのだが、その時に彼女の持つ文庫が傾いてタワーが崩れてしまう。


「あっ!」


 少女が小さく声を上げた。


 しかしお互い気付いた時には既に遅く、文庫本は床に向けて落下していく。

 少女は少し慌てた様子で持っていた文庫を床に置いて前かがみになる。


 すると、今度は彼女の制服の胸ポケットから別の何かが落下した。


 小さなアルミのケース。名刺入れだ。しかも不運なことに、落下の衝撃で蓋が開いて中身をぶちまけてしまう。


「っ!?」

「悪い、大丈夫か?」


 青葉はすぐに腰を屈めて床に落ちた文庫本や名刺を拾おうとする。


「いえ大丈夫ですからほっといてください自分で拾いますから」


 息継ぎなしでまくし立てるように話す彼女からは明らかに焦りの色が見て取れた。


 しかし青葉は「(いやまぁ、俺のせいもあるしな)」と、落ちた名刺入れとその中身に手を伸ばす。


「ちょっと私はいいって言ってるのだから聞きなさい!」


 名刺を拾い上げようとする青葉に、少女は制止の声を掛ける。


 しかし名刺は既に青葉の手に拾いあげられてしまい、更にはそこに書かれた内容も自然と目に入ってしまった。


「――『ライトノベル作家』……【月ライト】?」

「…………」


 直後、少女はピシッと動きを止めた。青葉が目線を合わせて「これ、君のこと?」と問い掛けた途端、ガクリと力なく床に手を付いて四つん這いの姿勢となる。


 しかも口からは「あぁぁ~~」という、引き攣ったような小さい悲鳴を図書館という空間で不気味に反響させて。


「終わった……私の、静かな学園生活……」

「え、え~と」


 少女の様子に青葉は困惑する。


 騒ぎを聞きつけて「なんだなんだ」と本棚に顔を見せる他の利用者。

 青葉はそちらに顔を向け「あ、騒がしくてすみません」と頭を下げた。

 野次馬は床に散らばった文庫本を前にどこか納得した表情を浮かべ、興味を失って顔を引っ込めた。


 青葉はホッと息をつき、少女と手にした名刺を交互に見比べ、「?」と頭上に疑問符を躍らせて首を捻ってしまう。


 ライトノベル作家【月ライト】。


 記憶が正しければ、ライトノベルを執筆している作家でこのペンネームを愛用しているのは一人だけだ。


 WEB発の異世界転生系小説、


『加護まみれ転生~神様に愛されすぎた彼女は異世界を無自覚に無双する~』


 で鮮烈にデビューを飾り、総累計発行部数50万部を超えるヒット作を生み出した人気作家である。青葉もこの作品、ひいては【月ライト】のファンであり、ツイッターの呟きも日常的に追いかけている口だ。


 しかしながら、【月ライト】はツイッターの呟きで自分の性別を明かしてはおらず、性別を特定できるようなものは写真を含めて全くツイートされてこない。


 だが多くの読者は、異世界転生という作品の傾向、また男性受けを狙った女性キャラクターの肌露出多めな演出から、この作者は男であるという説が有力だった。

 ツイッター上でもファンの大半は【月ライト】を男性として扱っている者がほとんどである。


 青葉もこれまでずっと男だと思っていた。


 青葉は再び名刺に視線を落とす。

 中央にはデカデカと【月ライト】と刻印され、上部には少し小さくライトノベル作家という肩書が記載されている。下には連絡用のメールアドレスに電話番号、更にはツイッターと小説投稿サイトのURLが綴られていた。


 本物……?


 真っ先に青葉が抱いた感想はそれだった。スマホを取り出し、【月ライト】のツイッターを開いてURLを確認。

 プロフに記載されている小説投稿サイトのURLも合わせて照らし合わせると、どちらも名刺の内容と合致。

 電話番号に掛けるのはさすがにやりすぎだと自制する。


「これ……いえ……かれ……おく……おどし…………」


 青葉は床でなにやらぶつぶつと呟いている少女に膝を折って声を掛ける。


「え~と……【月ライト】……先生……?」


 途端、少女がガバッと勢いよく顔を上げ、青葉のネクタイをグイっと引き寄せる。


「ぐえっ!」


 衝撃で首が仰け反って絞り出すような声が青葉の喉から漏れた。


「お、おい! いきなり何をっ、」

「忘れなさい……今ここで見たものは全部きれいさっぱり一切合切をその緩そうな脳に焼き付けることなく滅菌焼却なさい」

「いや、それ無理、ぐえっ!」


 もう一回ネクタイを引っ張られた。抗議の声を遮りながら、少女はだっさいメガネの奥からこちらを射殺さんばかりの鋭い眼光を光らせて、青葉を睨みつける。


 あまりの眼力に思わず青葉も二の句を告げずに押し黙ってしまった。


「……そう、できないの……なら今から屋上に行きましょうか。ショックできっと記憶が飛ぶはずよ」


 ……飛び降りろってか。


「俺の命まで飛んでっちゃうからやめて」

「なら金属バット? 前原くんばりのフルスイング決めてやるわ、ぼう『お持ち帰りヒロイン』みたいな目に遭わせてあげる」

「ひぐ〇しは大好きだけどリアルは遠慮させて。あと俺に竜宮ポジは無理」


 ちなみに園崎ポジションだからいいわけではない。どっちにしろ死ぬ。


「じゃあどうしろというの?」

「誰にもしゃべらないってことでいいんじゃないですか?」

「それをどう信用しろと?」

「お願いします信じて下さい俺先生の大ファンです」

「お世辞でもありがとう。でもそう。ファンならせっかくの金ヅ……読者様を亡き者するのはもったいないわね」


 ……今、絶対に金ヅル、って言おうとしたぞこいつ。


 青葉はさっそくファンをやめたくなった。


「でも今すぐに解放してあげることはできそうもないわ。悪いけど少し付き合ってもらうわよ」


 大人しそうな見た目からは想像できないほどに凄まじいギャップを感じさせる低温ボイス。


「いいわね……2年2組、出席番号2番……青葉修司くん……」


 ここにきて、青葉は彼女が誰であるかようやく思い出す。

 あまりにも印象が薄すぎるせいですっかり見落としていた。彼女は青葉のクラスメイト……


 名前は【松島月まつしませいら】。出席番号33番。クラスでは特に話したこともなく、あまりにも影が薄かったせいでその存在をほとんど忘れていた。


「返事は? はい? それともイエス?」


 肯定以外の選択肢は与えられなかった。有無を言わせない迫力で鋭い眼光を飛ばしてくる松島。


 しかし、青葉はそれでも興味の方が勝り、彼女に問い掛ける。


「え~と……松島って、小説、書いてたんだ?」

「……だったら、何だっていうのよ?」


 否定も肯定もない言葉。

 しかし彼女の態度からその答えは明確だった。


 5月ももうすぐ終わろうかという時期。

 青葉は思いもよらぬ形で、憧れの作家との邂逅を果たすこととなった――

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