ショーグン・ハウスホールド——将軍一門2
将軍庁31階居住区には一風変わった施設がある。
リビングから南北方向に伸びている廊下を、北側に進む。向かって右は個室が並び、向かって左はシャワー室やトイレそのほかの共用施設が並んでいる。
面高はその中の一室の前に立った。
座禅室だ。
ドアを開けると、殺風景な室内が目に入る。ドア以外の四方は一面の砂壁。足下には畳がきっちり6枚。天井に四角い空調設備。それ以外は座布団も何もない部屋だ。
その片隅で、黒い巨漢が座禅を組んでいた。
「あれ面高、なんかこのあと用があんじゃねーの?」
東京の将軍の数少ない友人のひとり、将軍庁の住人・
立てば2メートルを超す長身に、ややスマートなシルエット。頭はきれいに剃り上げられ、優しげな目の中にディープブルーの瞳が鎮座する。上下ともジャージの質素な格好だ。そして『コーヒーにミルクをスプーン一杯』と自称する色合いの黒い肌。
唱空はその見た目からよく外国人だと間違えられるのだが、祖先にアフリカ系がいるだけの、純然たる日本人だ。
「あーなんかさ、りゅーりがここに来て頭しゃっきりして来いってさ」
「新しい天女さまについてか」
唱空は自分の隣を大きな手のひらで叩く。
「——で、どうだった?」
「どうってなんだよ」
促された位置へ座り、ぎこちなく座禅を組みながら面高は聞き返した。
「そりゃアレだよ。なんか女子アナの腕を蹴り折ったらしいじゃん? 脚を上げた瞬間さ、見えたの?」
「アホか!」
面高は勢いよく友人の方を向いた。
「——そもそも緊急事態だしンな余裕ねーよ」
将軍は顔を真正面に戻し、座禅に集中する。ゼナリッタの白い内ももを思い出しながら。
「そうかあ……」
唱空は姿勢を崩さずため息をついた。
「お前なあ……禅の教えとかはどこいったんだよ。いつも座禅組んでるってのに
唱空はそろそろ終わるかと言わんばかりに両肩を回した。
「完全無欠な禅の教えとかねーし。座禅を組んだって煩悩なんざなくなりゃしねえよ」
「マジかよ……!」
それならいったい何のために、テレビも漫画もない部屋でただ脚を組んで座っていなければならないのか。まだスクワットでもしていた方が鍛えられるのではないか。面高は硬直し、唱空は後ろに手をついて天井を眺めた。
「そもそも欲望とか煩悩とかあったって別にいーんだよ。その分きっちり修行とかしてればな。まあアレだよ、ゲームとかで『
「あー、あるな。なんかよくわかんないアイテム」
「カネで免罪符を買ってさ。『あなたは素晴らしい人間です、死後は天国確定です』って社会的評価になるわけよ。じゃあそれでもうそいつが実際素晴らしい人間になったのかってーと、ンなわけないじゃん。勉強でも筋トレでも、己を高めるには地道に努力するしかねーんだから」
「まあ、だよなあ」
「で、だ。免罪符なんて買ったって意味ねえのと同じように、ただ座禅だけ組んだって自己満なんだよ。問題なのは修行をすること、その形の1つが座禅ってだけだからな」
「自分に嘘はつけないってやつ?」
「普段からどんな形であれ己を高めてりゃ、いざって時に煩悩に負けないで正しい選択肢が選べるってわけだ。例えば美人の魔人からお願いされてホイホイついていったら即死とかな」
面高の脳裏に凜々しいゼナリッタの表情が思い浮かぶ。
「いや……おれは即答しなかったし? にしても座禅って意味なかったんだなあ」
「まあ、形だけじゃ意味ねえってだけだからな。昔の有名な坊さんだって、肉食ったり酒飲んだり、お地蔵さんにしょんべんぶっかけたりしてたけど、それでも修行はきっちりしてたみたいだし」
唱空は脚をほぐしてから立ち上がった。
面高もつられて立ち上がる。
「……それさすがにフィクションなんじゃねーの?」
「どうなんだろうな実際……でもそれは『修行はきっちりしてるんだから、それ以外で何をしようが勝手だろ』ってメッセージなんだろ。だからお前も世間から何を言われよーと、気にしねえでいいよ」
「そんなもんかねえ」
「まあ、記者会見に遅刻とかはさすがにアレだけどな」
「あ、ヤベ」
面高は腕時計を見たあと、急いで靴を履き座禅室を出た。
廊下を急ぎ足で進む少年へ、唱空は雪駄に脚を引っかけつつ声をかけてきた。
「原稿にふりがな振ってあるかちゃんとチェックしろよ!」
◆ ◆ ◆
数字の面ではなにひとつ組織に貢献していないからと、ある人物を追放するのはよくあることだ。そして、実はその人こそが組織にとって必要不可欠な陰の功労者だったことが判明しても時すでに遅し——その組織は崩壊してしまった、というのもよくあることだ。
手末りゅーりと訓田唱空。このふたりは将軍庁にとってそのような人物だ。特に具体的な仕事を請け負っているわけではないが、面高にとって必要不可欠な相手である。
日本を代表する将軍ともなると、人前では必要以上に品行方正であることが求められる。しかし年頃の高校生にそんな完璧な振る舞いをしろというのは無理がある。
高校生ならば親しい友人と下世話な話もしたくなるものだ。
普段から堅苦しさを強いられる面高にとって、本当の意味で心安らげるのはふたりの幼なじみと居る時間だけである。セリとは家族同然の親しい仲だが、人類を超越した魔人の貴族とはどこか価値観のズレが生じてしまうのだ。
面高と友人との会話は、知的でも上品でもない。その会話内容が世間に知られたら、間違いなく非難を浴びるだろう。それは将軍という立場にふさわしくないからだ。
だが、気の知れた幼なじみと、とりとめのない馬鹿話ができる——それは金銭や権力では絶対に買えない、最上の精神安定剤となるのだ。
敵を倒すでもでもなく、政策決定をするでもなく、ただ共に暮らすだけで面高を支え続けるふたり——りゅーりと唱空こそ最初期の将軍一門と言えるだろう。
一門とは、血のつながりはないが家族同然の集団を言う。英語では
この同年代3人組は、間違いなく家族レベルの強い絆で結ばれていた。
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