ショーグン・ハウスホールド——将軍一門1

 面高が目を覚ましたら、生足に踏まれていた。

 少年は寝ぼけた頭でなんとか現状を把握する。リビングのソファでマンガ雑誌を読んでいたはずが、どうやらいつの間にか寝てしまい、床に転げ落ちてしまったようだ。寝起き直後の気だるさで、起き上がるほどの気力がない。


 まず腹部を踏んでいる素足。その上に白く長い脚。見覚えのある高校の、短く巻き取られたスカート。制服であるセーラー服。そしてほぼ真下から見ると、角度的に豊かな胸が邪魔をして顔がほとんど見えない少女。


 手末たなすえりゅーりが文句を言ってきた。

「あんたさー床で寝るのやめてよね。弟がマネしちゃうでしょ」


「あれ……りゅーり帰ってたんだ。もうそんな時間?」

「あんた先生んとこ行かなくていいの? なんか新しい天女さまが来たんでしょ?」


 彼女は将軍庁の住人だ。将軍である面高と損得抜きで対等な話ができる、数少ない幼なじみでもある。フィンランド人である母親の影響で日本人離れした白い肌をもつ。亜麻色の髪をポニーテールでまとめ、人懐こい目の中にダークバイオレットの瞳が踊る。


 面高は起き上がることもなく、りゅーりの顔と長い脚とを交互に見る。

「おまえが踏んづけてるから起きらんねーんだろ」

「なんかさー、こうやって足の裏でお腹ふにふにしてるといいんだよねー、やらかくて」

 少女はゆるい表情で将軍の皮下脂肪を堪能している。


「知らねーよ」

 面高は寝そべったまま腕時計を確認した。

「——まだ少し時間あるな、マンガどこまで読んだっけ……」

 少年がどこかに転がっているはずのマンガ雑誌を求めて視線をさまよわせる。


 それに反応して、りゅーりはいたずらっぽい顔でスカートの前後を押さえた。

「不思議なんだけどさー、スカートの中とか見るのってなにが面白いの? 昔は一緒にお風呂入ったってのにさー」


「見てねーよ!」

 将軍は勢いよく上半身を起こした。女子の下着を狙って狸寝入りをしていたと思われてはたまらない。

「——そもそも寝てる人間を踏むな。そりゃ『どけよ』とか思って脚とか見るだろ」


「あーあーはいはい。男子っていつもそう言うよね。相手の視線がドコ向いてるのかって、女子ならだいたいわかってるんだけど」

 あはは、と明るく笑ってから、りゅーりは手にしたエプロンをセーラー服の上から着ける。幼少期から一緒に居るので、今さら色気のある話になど発展しないのだ。

「——そういえばさ、新しい天女さまってなんかずっと食べてないって話だし、お腹に優しいものの方がいいのかな」


「メシ? 魔人って普通の毒とか効かないし、そういうの考えなくていいんじゃねーの?」

 立ち上がりながら、話題の切り替え速度に面高はついていく。魔界の住人は基本的に食事を必要とはしない。しかし嗜好品としては口にする。


 不朽不滅といわれる魔人が地上の食料でお腹をこわしたなどという話は聞いたことがなかった。相手がそんな貧弱生物だったなら魔人案件に苦労をすることもないのだが。

「でもあんたこの前グラタン食べて『火傷したー』とか言ってたじゃん」


「あれはアレだよ……実際火傷したわけじゃないけどなんか感覚的にさ」

 これは魔人にも眷属にも共通する性質だ。いくら無敵に等しい肉体を得ても、その精神性は人間とさして変わらない。なので熱いものを口にしたのなら反射的に『火傷をした』と思い込む。ボールが顔面に当たれば『痛い』と口に出る。人類を超越しても人間の感覚までは捨てきれないのだ。

「じゃーやっぱ消化にいいものにしようかな」


 面高は床に転がっていた雑誌をソファの上に戻す。

「まだ時間あるし、手伝おうか?」

「あんたこのあとテレビでしょ?」


「テレビってなんだよ……記者会見だよ」

「そんな寝ぼけた頭でテレビに出たらさー、なんかヤバいでしょ。唱空しょうくうんところに行って頭シャキシャキにしてきなよ。キャベツの千切りだって氷水につけてシャキシャキにするんだし」


「意味わかんねーよ。人をキャベツと一緒にすんじゃねーよ」

「あんたこないださ『将軍、また原稿を読み間違える』ってニュースの見出し見てダメージ喰らってたじゃん」


「いやあれは……」

 面高はその時を思い出し、動きが止まる。

 りゅーりはその隙に素早く面高の背後に回って両肩をつかんできた。少女によって少年の体の向きは北の廊下に変えられる。

 それからりゅーりは大きく脚を上げて、少年の背中を蹴り押してきた。

「じゃーねー」


 ぞんざいな扱われようだが、しかし面高としてこれはこれで心地よい。もはや東京の将軍と昔のように損得抜きで親しく接してくれるのは、数少ない幼なじみだけなのだから。

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