マネタリーバリュー——将軍の金銭的価値1

 面高は金の延べ棒というものを初めて見た。金塊を持つ手がわずかに震えてしまうのも無理はないだろう。

「見た目以上に重いな……ゼナ姫も持ってみる?」

「ええ。金ってこんな塊にするものなのね」


 その展示室では監視員が目を光らせていた。金の延べ棒ゴールドインゴットの現物を展示していたからだ。金塊を収めている展示ケースには腕を入れるための穴が開いている。純金というものが実際はどれくらい重いのかを体験してもらおうという、体験型展示なのだ。


 そこへゼナリッタが金の延べ棒に触れようと手を入れた瞬間、待ち構えていたマスコミ陣が一斉にシャッターを切った。


 東京の将軍は公務の一環として、新潟県佐渡島の金山を訪れていた。

 面高が魔人の眷属ミツマタを撃退してから数日後、世間の人々の関心事は、新たな天女さまゼナリッタに集中していた。その美貌と無防備な仕草、女子アナの腕を蹴り折るという意外性で、とにかく『見出しにゼナ姫が出ていれば売れる』という状況なのだ。


 普段なら将軍の通常公務など大した取材はつかない。だが今回は初めてゼナリッタが同行するというので世界中から報道陣が押しかけてきていた。

 日本の法律では、魔人は『猛獣』という扱いだ。セリはすっかり日本社会へなじんでいるので良いものの、ゼナリッタはまだ新参者扱い。なので保護観察者である将軍が外出する先には必ずついていかなければならない、という将軍庁規則になっていた。


「……もうこの金塊を置いてもいいのかしら?」

 マスコミの撮影がまだ終わっていないようなのを見て、ゼナリッタは小声で面高に聞いてくる。彼女はマスコミに対する配慮というものを身につけていた。

 尊林はそんな主の肩にとまり、まるで保護者気分に浸っているかのようにうんうんとうなずいていた。


「いいんじゃないかな……」

「じゃあ、次はあれをやってみたい」

 ゼナリッタの指さす先は大型の体験コーナーだ。そのキャプションにはこうある。


【佐渡の金山この世の地獄 水替え人足体験アトラクション】

【佐渡の金山では通常の労働者のほかに、罪人も送られてきていました。その犯罪者ですら地獄と恐れたのが、この水替え人足の仕事です】


 水替え人足とは、坑道内に溜まった水をくみ上げる人をいう。

 まず湧き出してきた水を大きな水桶に集める。それを小さな水桶でくみ、滑車を使って上へと引き上げる。上で待ち構えていた人がその小さな水桶の中身を、上段の大きな水桶に入れる。この繰り返しで水を地上にまで持って行き、排出するのだ。


 展示室内は広く、天井も高く、空調も行き届いている。だが実際の坑道内はすれ違うにも苦労するほど狭く、頭がぶつかりそうなほど天井が低く、空気は薄く、時に有毒ガスなどが混じる——まさにこの世の地獄と呼ばれるにふさわしい環境だったという。

 他にも様々な体験施設がある中、彼女は桶と滑車に興味を示していた。


「これやりたいの? でもさ、いいの? これ」

 面高は説明文の、ある場所を指さした。【罪人】の文字を。

 しかしゼナリッタは平然とほほえんでいる。

「なにが? わたしはもう自由なんだから、そんなの気にしてもしょうがないでしょう? それにわたし『仕事』ってやったことないから楽しみ」


 体験設備は単純な作りだ。床にバスタブのようなものが置いてあり、短めの階段を上ったロフトのような空間にも同じものがある。その2つを繋ぐのが、天井の滑車によって吊り下げられた小さな水桶というわけだ。

「——わたしは上がいい」

 そう言うとゼナリッタは素早く階段を上ってしまい、水桶を引き上げるべくロープを手にした。


「え……おれが水くむの?」

「こっちの仕組みの方が面白そうでしょう?」

 彼女はまだ水の入っていない桶を引き上げては喜んでいた。


 ゼナリッタは混じりけのない笑顔で遊びに興じ、それはマスコミの撮影意欲を刺激し、面高は単純に疲れた。


 ◆ ◆ ◆


 尊林はゼナリッタの肩の上で羽を伸ばしていた。薄暗い展示室の中から、陽光まぶしい川辺へと出てこられたのが快適なのだろうか。

「やれやれ、ようやく日の下に出てきたわい。姫、楽しまれましたかな?」

 ——本来のフクロウって夜行性じゃなかったか?

 面高はそんなことを思ったが、元人間である眷属ならその辺の事情は本物とは異なるのだろう。


「うん、次はあれをやってみたい」

 彼女の指さす先は川辺に立つ看板だ。そこにはこうある。


【砂金取り体験 絶対にとれます! 本日その場でお持ち帰りOK】


「え? まだやるの?」

 面高は少し遅れて展示室内から出た。少年は文化的なものに対する興味があまりないのだ。どうせいくら張り切っても、マスコミのレンズは全てゼナリッタに向いている。なら素のままでも構わないという判断だ。

「純金には少し思い入れがあるの。尊林もやる?」


 姫からの提案を、従者はやんわりと拒否した。

「いいえ、拙僧はもともと坊主だった身。贅沢品への執着などはありませんのでな。それよりも、姫を盗み撮りするような輩がいないかどうか、マスコミとかいう連中を見張っておりますれば」


 それは面高も心配するところだった。なにしろ押し寄せたカメラマンたちは、ゼナリッタの顔や胸元や太ももなど、繊細な部分をアップで撮ろうと苦心していたのだから。そのように破廉恥な視線から姫君を守るのも眷属の務めなのだろう。


 しかし彼女は魔界の最高位貴族の娘という絶対強者。この地上で少女の脅威になる存在など面高以外に居ない。なのでゼナリッタは周囲を全く警戒しないのだ。その無防備さがますますマスコミの撮影意欲を駆り立ててしまうというのに。

「ふうん。あんなの好きにさせておけばいいのに。ではオモダカ、あなたも砂金を集めなさい」


「まあ、こっちは結構楽しそうかな」

 そうして少年と少女は砂金取りをはじめた。


 このときの撮影陣は特に動きが激しかった。サンダルのまま川に入り、しゃがみ込んで川底の砂金を探す——その時ゼナリッタの脚を最も魅力的に撮るのはどの角度が良いか、余計な将軍が入り込まないアングルはどこか。グリーンゴールドの繊細な髪と川面のきらめきが最も映えるアングルはどこか。

 そのような場所取り合戦が繰り広げられていた。尊林はその逐一を邪魔していた。


 面高は制服が濡れないように中腰だが、ゼナリッタは尻が濡れるのもかまわずしゃがんでいた。魔界の住人にとっては体や服が濡れようと、万能の道具・拡張人体を使って一瞬で水分を吹き飛ばせるので、あまり気にしないのだという。


「ゼナ姫の着けてる金色のも、やっぱ純金なの?」

「そう。人間たちからもらったものを、わたしが溶かして加工したの。あの頃の人間たちは金属加工なんてできなかったから」

 アンダーバストとウエストを止めるベルトのバックルに、二の腕を彩るアームレット、サンダルの装飾部分など、彼女は多くの輝きに包まれている。


 ゼナリッタはしゃがみ込んでいるので胸元がゆるく、太ももがむき出しになっている。対して面高は中腰なので、彼女と会話するときは自然とそちらへ視線が行ってしまう。


 面高は目のやりどころに困りながら、言葉を探した。

「それってどれくらい昔のことなの?」

 彼女が4万年ほど封印刑を受けていたというのは、すでに少年も説明を受けている。


 ゼナリッタはふと寂しげに川面を眺めた。

「そうね。医療なんてなくて、ほとんどの子供が5歳まで生きられなかった時代。農業なんてなくて、食べるのに必死だった時代。そんな生きるだけで精一杯だった時代でも、人間たちはキラキラしたものを見つけるとわたしに見せに来た。わたしが受け取ってあげると、とても喜んでくれた」


 彼女のすくい上げた手のひらには砂が盛られ、その中にキラリと光るものがある。そんな砂金のように、少女の表情は明るくにこやかになっていた。

「——なので、あのマスコミという集団の扱いも心得ているつもりです」


 物寂しい雰囲気から一転して、世渡り上手な顔が出る。面高は拍子抜けしたように見とれてしまった。

「あ、そういう対応もオッケーなんだ」

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