「たかが総理大臣なんぞの命令は聞けないね」4

「え、たかが?」

 面高は耳を疑った。総理大臣が日本の最高権力者であるとは学んだことがある。自衛隊の最高指揮官でもある総理は、同時に将軍庁の——面高の最高指揮官でもあるのだ。


「総理など所詮数ある大臣のひとりに過ぎん。戦艦を動かしたいのなら、軍令部総長のサインがなければな」

 艦長は何を思ってそんなことを言うのか、表情のない頭蓋骨からは読み取れない。


 ◆ ◆ ◆


 しかし大日本帝国海軍としては、それは当然の考えだった。現代人の知る自衛隊とは違い、かつての軍は強い権限を持っていた。日清日露から第一次大戦に至るまでを勝ち続けてきたという自負と実績。それは政府の制御をなかば外れていた。

 そのように統制を外れた軍隊で勝ち抜くなどもはや不可能だったのが、第二次大戦時だ。何しろ当時の最重要物資である石油の備蓄量すら、当時の軍は政府に教えていなかったのだから。どの部隊をどのくらい動かせるのかを知らなければ、大局的な政策決定などできるはずもない。政府が陸海軍の正確な石油備蓄量を知ったのは、もはや第二次大戦の趨勢が決してからだったという。

 それほど当時の軍隊は政府を——総理を軽んじていた。海軍のトップは選挙次第でころころ変わる総理ではなく、どっしり構えた海軍軍令部総長だったのだ。


 ◆ ◆ ◆


「おもくん、段ボール箱の中だ。運んできた段ボール箱の中に古い封筒あるだろう?」

 安養院係長は命令書を胸ポケットに収めながら教え子に指示をする。

「——海軍とかって書いてある……そうそれだ」


 面高が手にしたそれは、すっかり変色してしまった封筒だ。色あせやシミが酷く、もはや元が何色だったのかもわからない。紙が乾燥しすぎてパリパリと音を立てるほどだ。

 面高は損壊しないよう慎重に、中の紙を取り出した。


「艦長さん、どうか受け取ってください。軍令部総長からの命令書です」

 安養院係長は自慢げな表情を骸骨に向けた。面高もそれに釣られて書面を手渡した。


 骸骨艦長は受け取った紙に顔を近づけ、丹念に目を通していた。

「なるほど……確かに知った名前だ。しかしね」

 艦長は安養院係長の顔と手にした書面を交互に見た。

「——命令書を語りながら、日付も捺印もないとはな。こんな文章では何の効力もない。だが、この書面は誰が持っていた? ずいぶん古びた紙だが」


「武蔵の元乗組員です」

 安養院係長の言葉を聞いて、艦長の雰囲気が変わった。もし皮膚やまぶたがあったのならとても鋭い目つきになっていたのでは、と面高は思った。


「その彼はいま何歳かな?」


「105歳だと聞いています。名前は大淀おおよど源二郎げんじろう


「大淀……ああ、コックの大淀くんか? あの若者が105歳……もうそんなに時が流れたか」

 艦長はひとつ、ふたつとゆっくりうなずいてから、戦艦の船底の金属肌を愛おしそうに撫でた。

「——いいだろう。乗組員が武蔵に関しての命令書を偽造するはずもない。この戦艦武蔵、黄昏作戦とやらに参加しよう。できれば彼をここに連れてきてほしいがね」


 安養院係長は安堵のため息をついた後、艦長へ握手を求めた。


 だが、面高はそう素直に喜べなかった。そもそも人間大の相手にこんな巨大戦艦を持ち出すべきものなのか。そして世界最強の主砲に神気を込めて撃ち出したら、魔人の日輪卿はともかく、眷属であるニナはたやすく死んでしまうのではないか、と。

「あのー、この武蔵の主砲が人間に命中したらどうなっちゃうんでしょうか……」


 それを子供っぽいジョークと感じたのか、艦長は大いに笑った。

「ははは! そりゃ肉片すら残らんよ。たとえ命中しなくても、砲弾がすぐそばを通り過ぎただけでも風圧で即死だろうね」


「……」

 軍人の率直な物言いに、面高は顔をゆがめた。


 それを見て艦長はふむ、と息をつく。

「まあ、魔人という相手が本当に超弩級戦艦以上の質量を持つのであれば、重症を負わせる程度にとどまるだろうね。そしてその眷属とやらが話に聞く通り少し頑丈なだけの人間であるならば、よほど運が悪くなければ死にはしないだろう」


「本当ですか?」

 面高は表情がほころんだ。それこそが唯一の心配事だったからだ。


「ああ。眷属とやらに徹甲弾が命中しても起爆せずにそのまま弾き飛ばしてしまうだろう。飛んでいるハエや蚊を平手で叩こうとしても、空気抵抗でうまく叩き殺せないのと同じようにね」 

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