ストラテジーシミュレーションゲーム——リアルにすればいいってもんじゃない1

 将軍庁教育部係長・安養院正雪は面高を帰した。まだ上の長官室では人質解放に関する対策会議が続いているだろう。武器として戦艦武蔵が使えるという朗報をいち早く知らせた方がいいとの判断からだ。


「さて、そちらに調子を合わせてきたが、これで良かったかね?」

 艦長の問いに、正雪は頭を下げた。


「お心遣い感謝します」

「しかし信じられないね……この戦艦武蔵を手動で、しかもひとりで動かそうなどとは」

 安養院係長はにやりと笑みを向ける。


「ぼくだって未だに信じられませんよ。しかしですね、天女さまができるというのならそれが嘘であるはずもないんです」

「天女……できれば一度お会いしたいものだ」


「ええ、明日お連れします。さて、主砲はともかく問題はこっちだな」

 正雪はそう言うと移動した。横倒しになった武蔵の船底部分から甲板が見える位置へと。今まで巨体の陰になって見えなかった甲板側の床に、飛行機が数機散らばっていた。カムヅミの神気によって復元・強化されているので機体は新品同様だ。


 それは観測機だった。横倒しになった甲板から滑り落ちてきたものだ。

「ああ、きみは最初から主砲よりもそっちを重視していたね」

 艦長はゆっくりと歩いてきた。安養院係長は広大な床に散らばる機体の状態を確認してから、艦長へと振り向く。


「そりゃぁそうですとも、戦艦の主砲が命中するのはおそらく最初だけ。相手はただの的じゃない、生き物なんですから。全力で防御や回避をするでしょう」

「そうだね。この武蔵の巨体ですら敵の攻撃を随分回避したものだ」


「人質を全員解放できたと仮定するなら、敵は100本の腕がフリーになる。そんなもんに全力で防がれたら、46センチ砲を命中させるのは困難だと思っています。だから主砲はあくまで目くらまし。轟音と爆煙で敵の注意を武蔵に引きつけて、本命は将軍による近接攻撃——そのための艦載機です」

 艦長はため息をついた。

「栄光の46サンチ砲が煙幕代わりとはね……」


「敵は身体の自由を奪います。しかもその射程距離は約30キロ。それをくぐり抜けて相手を討ち取るには、なんとしても目くらましと飛行機——このふたつが必要なんです」

「しかしねえ」

 艦長は斜めになった武蔵の甲板や艦橋を懐かしそうに眺めた。

「——現代社会にだって飛行機や軍艦はあるだろうに。なにも軍備が完全に禁止されているわけではないのだろう?」


「それがですね……どこも貸してくれないんですよ、飛行機とか」

「陸軍と海軍はまだ仲が悪いのかな?」

 骸骨の下顎部かがくぶがカタカタと音を鳴らす。日本の組織の宿痾しゅくあが数十年経っても解決されていないと思えば、もはや笑うしかないのだろう。


「その辺は問題ないと思うんですけどね……現代社会ってのは人命を特に重視しているんです。特に専門教育を受けた自衛隊員なんかは使い捨てにできないんですよ」

「ふうん……人質の生死は問わないと命令するくせにねえ。使い捨てにしていい人員は政府うえが決めるというわけか」

 その言葉には非常に重みがあった。戦艦武蔵が最後の戦いに赴いたとき、すでに日本海軍は事実上の壊滅状態にあったのだから。


「敵にとどめを刺せるのは将軍による直接攻撃。そのためには何としても接近しなけりゃいけません。敵の触手をかいくぐってこれを実現するには飛行機かヘリコプターが必要です。無人機じゃ速度が足りず、ミサイルじゃ機動力が足りません。でもこれを自衛隊機で行うってのは問題があるんですよ」

「パイロットはただの人間。それでは魔人とやらの攻撃を受けたら即死を免れない……か」

 専門家は理解が早くて安養院係長としても気が楽だった。


「そうです。一応、将軍を自衛隊機に乗せるという案も総理の側に伝わっているのですが……おそらく魔人相手の防衛出動は国会で承認されないでしょうね」

「ああそうか……現代では軍がいちいち政府の制御下にあるのか」


「政府としても自衛隊員を『使い捨てた』と国民に受け取られるのは避けたいでしょうね。世論を敵に回したら次の選挙でしっぺ返しが来ますから」

「政治というのは今も昔も息苦しいものだねえ……」

 武蔵の艦長は鼻——というよりは頭蓋骨中央に空いた穴から息を吹き出した。それは明らかにため息に類するものだ。

「——ふむ……では省庁が駄目なら民間企業は?」


「そっちもですね……将軍庁うちに味方したら、関係省庁から許認可きょにんかの取り消しを食らうんじゃないかとビクビクしてましてね。なかなか民間からも協力を得られないんですよ」

 安養院係長は苦笑いした。実際のところ笑ってなどいられないのだが、それは仕方ないだろう。係長という身分では社会を変えることなどできないのだから。

「なるほど。この将軍庁という組織は力を持ちすぎたがあまり、他の省庁から目の敵にされている……というわけか」


「話が早くて助かります」

 安養院係長は軽く頭を下げた。現場で汗を流した人間同士だからこそ、時代を超えてもその理不尽な苦労を共有できるのだろう。

「許認可の取り消しか……それはさしずめ、一般企業にとっては武蔵の主砲の直撃を喰らうに等しいんだろうね」


「そのようですね」

「しかし……人権とやらが幅をきかせる現代社会で、役人たちはそのような大鉈おおなたを振るえるのかな?」


「政官一体になる……って感じでしょうか。許認可の取り消しっていう強い処分は基本的に出せません。ですがお役所からの『要請おねがい』を聞いてくれない企業には、実質的な許認可の取り消しに等しい処分を下す……と」

「エゲつないねえ、現代人も!」

 武蔵の艦長はカラカラと笑うが、それにはどこか哀愁が感じられた。


「国益より省益しょうえき——これが霞ヶ関の悲しい現実でして」

 ——こんなことおもくんには聞かせられないよなぁ。

 役人として、大人として、安養院係長はため息を止められない。


 現実の社会組織は、戦略ストラテジーシミュレーションゲームのように命令がすぐさま、全て実行されることなどありえない。

 どんな大義のある命令でも、政界の派閥や省庁の力関係に揉まれ、現場からの反発を食らい、なにかと理由がつけられて実行までに時間がかかり、結局は手遅れになる。そんな例は日本の政治史に山積しているのだ。


 たとえ総理が航空機貸与の命令を下そうと、各省庁はのらりくらりとその命令実行を遅らせるだろう。今までがそうだったのだからこれからもそうだという感覚は、役所に身を置いていれば肌感覚で理解してしまう。


 その辺の事情を反映した“リアルな”ゲームを作った場合、それは非常にストレスのたまるプレイ体験となるだろう。命令伝達および実行の面では、限りなく“リアルではない”ように作らなければ快適なゲームにはならない。


【リアルにすればいいってもんじゃない】

 というのはゲーム業界の名言である。


 組織というのは、時に利益よりもメンツを優先するものだ。特に、利益の追求を至上命題としていない省庁などは。


 何で新参省庁なんぞの言うことを聞いてやらなきゃならねえんだ——という声なき声は安養院係長が役所周りをする度に感じてきた。上からの命令があれば省庁は一体となって動いてくれるに違いない、というのは実に子供っぽい考えだとこの10年で思い知らされてきたのだ。

 過去の苦い経験を振り返ると、正雪は自嘲せざるを得なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る