「神戸牛食べ放題で手を打ちましょう」2

「相手が果たしてそれに応じてくれるでしょうか」

 長官の疑問に令嬢は少しだけプライドを傷つけられたようだ。


「残念ながらわたしはあちらにとって今でも罪人のまま。そしてわたしの母は大公で、相手はたかが子爵。その力の差は歴然。それが大公の娘——そして何より武力を司る選帝侯の娘であるわたしを捕獲できるとなったら、これは二度と無い僥倖。必ず食いつくでしょう」


 だが長官の心配どころはそれではなかった。

「もしもですが、ゼナ姫さまが敵に精神支配を受けてしまったらどうなってしまうのでしょうか……」


 魔人の中でも別格と恐れられる選帝侯の一族が敵に操られたら、それは日本にとってどれほどの損害を与えるのか、計算のしようもない。


「長官さまや、その点は安心しておくれ。我らは勝手に精神支配を受けることなどない」

 セリは両手で口元を押さえ、ほほえみを隠していた。

「——なぜなら我らの全ては契約に基づいておるからじゃ」


 美しき童女の微笑を受けて、80代の目白長官は赤面してたじろいでしまう。

「はあ……それは以前にも聞いたことがございます」


「うむ。先生さまが攻撃を受けたときも、動きは止められたが精神支配まではされなかったじゃろう? これは先生さまが満ち足りていたので支配を拒否——契約不成立だったからじゃ。他の人質についても『患者は治療を受け入れている』と眷属の娘が言っておったろう。なので同意なしに支配されることはあり得ぬ。もっとも、動きを封じた上で二人羽織のようにするなら、ステップくらいは踏めるかのう」

 セリは口元を押さえたままコロコロと笑った。


「そういうことです」

 ゼナリッタは胸を張って勝ち誇っていた。

「——わたしは報酬さえいただけるのなら、きちんと仕事をこなしてみせましょう」

 そのままゼナリッタは長官と部長へチラチラと視線を送る。その意味を察したのか、長官は身をこわばらせた。


 魔人は敬意と契約を重んずる。働きにはしかるべき報酬を与えるべきだという考えが非常に強い。では果たして97人分の人命にふさわしい報酬とは、一体どれだけふっかけられるのか……それを危惧しているのが尊林には透けて見えたので、苦笑するほかなかった。


 尊林はくちばしを開いた。

「長官どの、そう身構えんでよろしい。姫は慎みを知るお方であれば。まあもっとも、ゼナ姫さまも最近は食へ関する欲求が日に日に強まっておるようだが」


 フクロウの頭にゼナリッタのげんこつが直撃した。それから彼女は宣言する。

「神戸牛食べ放題で手を打ちましょう」


 その意味するところをすぐには理解しかねたのか、長官は言葉を返せなかった。代わりに部長が冷や汗などをかきつつ質問する。

「……それはあの、何かの隠語ではなく、ただの牛肉という意味でしょうか?」


「わたしとしては人質交換なんてちょっとしたお使いみたいなもの。なら報酬はこの程度で充分でしょう」

 ゼナリッタは長官にそう言うと、続けて眷属へ疑問を投げてきた。

「——それに、囚われのお姫さまというのは人間の大好物なのでしょう? ねえ尊林」


 フクロウは主から少しだけ視線を外した。

「……そうですな、少々その価値観も古くなりつつあると言えなくもありませんが」


 それを聞くや尊林の主人は満面の笑顔となり、両の手のひらを合わせた。

「なら民は大いに同情して、わたしの献身的な仕事ぶりに尊敬の念が湧き上がるでしょう。もう二度と『ぐうたらな方』とは言わせません!」

 上機嫌のまま、ゼナリッタは伸びをした。普段は寝てばかりの彼女にとって椅子に座るというのは重労働で、身体が堅くなるものなのだ。

「——さて、人質問題については終わりとしましょう。もう眠いので日輪卿の所へ向かうのは明日の朝にします」


「うまくいくんでしょうか……」

 不安を抱えた部長へ、長官はほほえみかける。

「我らでは交渉にならない以上、任せてみるしかない」


「さて、あとは武器じゃが」

 セリは椅子から飛び降りた。138センチの彼女にとって、一般的なパイプ椅子は少々大きすぎるのだ。

「——そう都合よくいくかのう。ご亭主さまを危険にさらすくらいなら、やはりひと思いに遠距離砲撃で……」


 そこでドアが勢いよく開けられた。立っていたのは息を切らせた面高だ。少年は一同を見回し、息と表情を整えてから喜びと共に告げてきた。

「セリさま、あったよいい武器が。あとは人質さえなんとかなるんなら勝ったも同然なんだけど」

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