「神戸牛食べ放題で手を打ちましょう」1

 フクロウの尊林は主の右肩ではなくテーブルの上に立っていた。ご機嫌斜めな雰囲気を察していたからだ。


 目白長官が首相官邸から将軍庁長官室の窓のない部屋に帰ってきて、会議は再開された。

 80代の長官に疲れは見えるが、気力はまだまだ旺盛と思えた。

 将軍庁教育部長・三船夏奈多は長官不在の隙を縫ってシャワーを浴び化粧直しを済ませていたが、やはり疲れは隠しきれない。


 尊林のあるじであるゼナリッタは退屈そうな顔で椅子に座る。

 ゼナリッタの貴族仲間であるセリはそんな皆を冷静に眺めていた。


 かつて僧侶であった尊林は、肩書きや言葉ではなく、その行いで人物を評価する。ゼナリッタ、セリ、目白長官、三船部長——将軍庁の実質的な舵取りをしているのはこの4人で間違いないと見抜いていた。


「さて、総理との面会を終えてきたわけですが」

 目白長官は一同を見回した。

「——やはりタイムリミットをずらすのは無理との判断でした。私としては将軍が敵を撃滅する前に、少しでも人質を解放するのが先決だと思います」


 長官の宣言に、ゼナリッタが気だるげに手を上げる。

「人質がいたら戦えないなんてずいぶん甘い考えだけれど——今まで将軍にどんな教育をしてきたの?」


 それには三船部長が答えた。

「現代人にとって人間を殺すというのは大変に抵抗感がありますので」


 セリが長官に視線を合わせる。

「長官さまや、人質の解放は進んでおりますかの?」


「芳しくありませんな」

 目白長官は小さくため息をついた。

「——そもそも相手は97人を人質ではなく患者だと言い張っています。最初に解放された3人もあくまで本人が自主的に帰宅を望んだのだと。そもそも相手の要求は面高くんと将軍兵装のみ。受け渡せるはずもなく、金銭での解決も不可能——交渉になりません」


「セリが敵を吹き飛ばしてやろう」

 セリは大したことではないように宣言した。しかしその空色の目は真剣そのものだ。

「——人質ごと殺せというのはご亭主さまへの心理的負担が大きすぎる。今回ばかりは力の温存などと言ってはおれぬゆえ。この将軍庁から浦賀水道の敵を撃ち抜けばそれで終わりじゃ」


 目白長官はのけぞった。その言葉の意味を理解できるのは、機密情報にアクセスできるごく限られた人物だけだ。


 セリの父は魔界の大公にして最強の打撃力を誇る。親から才能を受け継いだ娘は危険人物としてその成長を封印された。しかしその幼い状態でも魔界有数の戦闘能力は健在だ。今回の敵である子爵の日輪卿などたやすく撃退できるだろう。だが、もしその攻撃のコントロールが狂い、国土に降りそそいでしまったら——。


 目白長官はその恐ろしさの一端を知っている数少ない人間だ。

「総理からもそれは勘弁願いたいといわれています。狙いが少しズレただけで東京湾一帯が壊滅してしまいますので」


「ご亭主さまの心苦しさを思えば、安いものじゃろう」

「申し訳ありません。どうかご容赦を」

 目白長官は座ったまま頭を下げる。


 実際のところは、日本政府としてもあまり魔界の令嬢に力を借りたくないのだろう。人類にとってまだまだ魔界の住人というのは得体の知れない存在だ。そんな相手に国内での武力行使を認めるなどもってのほか。身内である将軍にすら厳しい制限を課しているのだ。ならばそれ以上の怪物である選帝侯の娘たちについては、それ以上に警戒しているのだろう。


「……ままならぬものじゃのう、人の世は」

 セリは椅子の背に寄りかかり、両足をぷらぷらと揺らす。


 そんな同輩を見て、ゼナリッタが椅子から立ち上がった。

「ねえ。わたしは最近リューリの動画に出演しているのだけれど」


 すぐさま三船部長が遠慮がちに手を上げた。

「すみませんゼナ姫さま。できれば今は作戦に関しての話を……」


 だがそんな部長の進言を、ゼナリッタは微笑で制した。

「まあ聞きなさい。ちゃんと作戦に関係があります……さて」

 ゼナリッタは一同を見回してから、豊かな胸元を強調するように腕を組んだ。

「——動画に出演と言っても、わたしが特に何かをするのではなく、彼女が暇を見つけては将軍庁内を撮影して回るって形式なのだけれど」


「知っていたかね?」

「少しは……」

 長官と部長が短く言葉を交わした。それに構わずゼナリッタは続ける。


「わたしは今まで人生のほとんどを眠って過ごしてきました。なのでこの将軍庁でも大半は眠っているわけです。個室でも、リビングでも、屋上のヘリポートでも、もちろんたまには外の公園でも。まあわたしの美しさを求めて人間が群がっては社会に混乱を巻き起こしてしまいますので、外出は控えめなのですが」


 ゼナリッタの尖った耳先が上下に揺れる。これは機嫌がよくなった証拠だと尊林は察知し、机の上から主の右肩へ飛び乗った。肩のフクロウへわずかに視線をよこしてから、少女は話を再会する。

「——当然リューリがわたしを撮影する時は、眠っている姿がほとんど。自然、わたしに対する人間の評判は『毎日何もせずただ眠っているだけ』となります。そしてそれは人間にとって大変不名誉な称号であると気づきました」


 携帯端末で動画をチェックしていた三船部長は、焦って顔を上げた。

「申し訳ありません。お気に障ったのならすぐに撮影を中止させます」


「まあ待ちなさい」

 ゼナリッタの美しい顔立ちは喜びに染まっていた。これは精神的に幼い姫君が何か悪ふざけを考えついた時の兆候だ、と気づいたのは付き合いの長い尊林だけだ。もっとも、それを悪ふざけだと思っているのは尊林だけで、姫はいたって真面目に立案している可能性もある。


 だが長々と話しているわりに、本題が見えない。

「——撮影はわたしが許可しました、勝手な中止は許しません。それにわたしはこの国にとって『よそ者』です。少しでも民に知ってもらうためには広報活動が欠かせないでしょう?」

「公式チャンネルでの露出をもう少し増やしましょうか?」


 部長の提案を姫君はすぐに却下した。

「結構です。演出された姿よりも、何気ない日常をこそ民は求めているようですので」

「はあ……」


「わたしはこの国の新参者ですので、民の批判も容赦がありません」

 ゼナリッタはわずかばかりの不名誉をシャットダウンするように、そっとまぶたを閉じた。

「——ぐうたらな方の天女、お前もコーヒー一杯200円で売れ……と痛烈な言葉の数々。さすがにわたしもそろそろ働きぶりを見せようかなと思っていたところなのです」


「……売店で働きたいということでしょうか?」

 三船部長の控えめな質問は、姫によって即座に否定される。


「言ったでしょう? これは今回の作戦に関係あると——わたしが人質の代わりになってあげると言っているのです」

 ようやく本題が見えてきて、部長は安堵の色を見せた。しかしそう簡単に物事が運ぶとは思っていないようだ。

「つまり、人質交換ということでしょうか?」


「そうです」

 ゼナリッタは自信満々に返答した。

「——人質問題はこれで解決です。将軍の心理的障害はもはやない。あとは攻撃だけに集中すればいい」

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