最弱の巫女1

 翌朝、面高は都立中央図書館の入り口前で待っていた。

 図書館を内包している公園は、新宿の騒々しさとは全く違う。高級住宅街の中にあるそこは幼児が遊んでいてもどこか静かで上品だった。


 ニナは開館時間に合わせて図書館にやってきた。浮かない顔のまま歩いてきた少女が、少年の姿を確認した途端、笑顔を浮かべ小走りになる。昨日後味の悪い別れ方をした面高ががまた顔を見せたので嬉しかったのだろう。


「おもだか、来てくれたのか」

 だが、近づくに連れて少年の沈んだ表情が目に入ったのか、少女は気遣いを見せる。

「——どうしたんだ? どこか具合が悪いのか?」


「いや……別に」

 面高は苦悩していた。極秘である黄昏作戦についてを敵であるニナに教えるわけにはいかない。しかしなんとしても戦いが始まる前に撤退してほしい。神気を込めた戦艦武蔵の主砲が直撃してしまったら、眷属の肉体など原形を留めないだろう。

「何か酷い命令でも下ったのか? 97人の患者もろとも日輪卿を攻撃しろとでも言われたのか?」


「……」

 少女の鋭い指摘に、少年は黙るしかなかった。ニナはしばらく面高の顔を見上げ、観察していた。


「言えないことを無理に言う必要はない。そうだ、パンを買って公園の中で食べながらおしゃべりしようじゃないか。ほら」

 ニナはそう言うと、閉じていた肩掛けの正面を開く。

「——このTシャツ短パンという服を譲ってくれたのも、そこのパン屋のおばちゃんなんだ」


 ◆ ◆ ◆


 公園外のパン工房で買い物を済ませたふたりは、公園内のベンチに腰を下ろした。池を正面に眺めれば木々と青空が水面に映る。子供たちが亀を見つけては喜び、池の周りを元気に走っていた。


 しばらくは無言で食事が進む。

 やがて最初に口を開いたのは面高だ。その声に恨みがましさを込めて。


「どうして帰ってくれないんだよ」

 不思議そうな顔をしたニナはあんパンを手に答えた。

「私の仕事は日輪卿の手助け。そしてお前の保護。それがまだ終わっていないからだ」


「だからそれ要らないんだよ。おれ毎日平和に暮らしてるんだしさ」

「今ではない。将来起こる悲劇からお前を助けようとしているんだ」


「未来のことがわかるとかそんなのありえねえよ」

「それはたぶん、未来予知に近いくらいの予測なんだろう。魔人の持っている技術力は人類の遙か上を行くんだからな」


「ああもう……わかってくれよ」

 面高は非常に気まずい表情で告げた。

「——ニナと最初に出会った時さ、おれ峰打ちでぶっ叩いただろ? あれだって全然本気の攻撃じゃないのに、でもニナは2発でぶっ倒れた。もし国から攻撃命令が出たらあんなもんじゃ済まないんだよ。おれ年下とか攻撃したくねーよ」


 ニナは俯いて、寂しそうに笑った。

「そうだな、何しろ私は日輪卿の眷属の中で一番弱い。だからこそ今回、私ひとりだけが地上へのお供に選ばれたんだ」


「……なんで非戦闘員が前に出てくるんだよ」

「人間を怖がらせないようにだ。見るからに弱そうな眷属がたったひとりしか付き従っていない——それなら日輪卿の意図が攻撃ではないとわかってもらえるだろうとな」


「でもいきなり100人の自由が奪われたらさ、そりゃもう立派な攻撃だよ」

「それは治療だと、国民へも説明してもらえたんだろう?」


「説明されたらハイそうですかって、そんな物わかり良くないよ。みんな怖がってんだよ」

 医者が患者を治療しているのに、部外者がそれを怖れるというのは少女にとって理解できなかったのだろう。ニナは少しだけ気分を害したようだ。

「私としては、毎年万単位の人々が自ら命を絶つことの方がずっと恐ろしいと思うぞ」


「そりゃそうだけどさ……」

「第一、日輪卿の目的はお前の保護だけ。他の人間たちをどうしろという依頼は受けていない。でも今にも死にそうな人々が目に入ったら、医者として何もせずにはいられないんだ。そういう考えはこの国では特殊なのか?」

 近い将来に行われる攻撃で真っ先に死にそうな少女——ニナのことを面高はまっすぐ見られなかった。


「おれだって目の前に死にそうな人がいたら助けたいと思うよ」

「そうだろう?」


「ああ……どうすりゃわかってもらえんのかな」

 そこで会話は途切れた。

 面高は話術をあまり得意としない。攻撃という本能的な行動ならば、状況判断やとっさの切り返しなども問題なくできる。しかし頭を使う会話などでは、どうしても適切な一手が出てこないのだ。


 ニナは時折面高の表情をうかがいながら、あんパンをちびちびと食べていた。

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