ふたりの天女1
将軍庁内が魔人の眷属ミツマタ襲撃に関する後処理で慌ただしくなり始めたころ——面高はゼナリッタと尊林を庁舎の31階居住区に案内した。本来なら入庁前に各種の調査や検査が必要なのだが、その前に合わせたい人物がいるのだ。
31階には、特にセンシティブで機密性の高い人物が住んでいる。エレベーターを降りてすぐに『将軍・孤児・難民居住区』の素っ気ない案内板と、二重のドアロック。そこを超えたら日本式の広々とした玄関だ。
「どうぞ上がってください」
面高がそう言いつつ玄関を上がっても、ゼナリッタはサンダルを脱ごうとすらしていない。
「——あの、どうかしましたか?」
ゼナリッタは顔を赤くし、俯いている。
「これ、いえ、でも、他人に素足をさらすなんて……」
——いや……あんたさっきスカートのまま思いっきり脚を蹴り上げてたじゃねーか……。
面高としてもそれを口にしない程度のデリカシーはある。
だがゼナリッタはますます恥じ入るばかりだ。
尊林はそんな主の右肩に留まり、初々しいさまを至近距離で眺めていた。
「姫、郷に入っては郷に従う、ですぞ」
少女の恨めしげな横目が従者をとらえた。
「あなたは脱ぐものなんてないから……まあ、仕方ありません」
ゼナリッタは右手を後ろに回し、サンダルの紐に指をかけ、足を抜く。その所作のひとつひとつに妙な色気がある。当然のように面高はそこから視線を外せなかった。
「——で、セリはどこなの?」
面高は彼女の顔をまともに見られなかった。照れを隠しながらそのまま先導する。
「えーと、おれがドアロックを外しても出てこないってことは、多分シャワーだと思うんですけど」
面高は端末のアプリで確認をした。将軍庁の住人が居住区内にいるかいないかはいつでも確認できるのだ。
短い廊下の先にドアがあり、それを開けてすぐが広々としたリビングだ。正面の東側は全面が窓になっていて、部屋の隅まで昼下がりの陽光を取り入れている。新宿西口の町並みを高所から一望できる好立地だ。
リビングから左右——南北方向に、居住区を分断するように廊下が延びていた。窓のある東側に各人の個室。西側には台所や風呂・トイレなど共用スペースが配置されている。
庁舎の1フロアを丸々居住区にしていながら、表札に名前があったのは5人。これは家として非常に贅沢といえるだろう。
面高は浴室ではなく、それとは別のシャワー室前に近づいた。
「あ、やっぱりここですね。ちょっと待っててください」
面高がノックしようとした瞬間、ドアが薄く開けられ、小さな女の子が上半身をちらりと出した。湯気の立ちこめるシャワー室から出てきたので、当然服は着ていない。
魔界の選帝侯の娘にしてひとりめの天女、セリだ。
限りなく黒に近い
10歳児程度の外見だが、愛らしさと思慮深さを見る者に与える不思議な雰囲気の童女。おそらく多くの人々がイメージする『日本の姫君』というものをこれほど体現した人物はいないだろう。
セリは目線で来客を確認してから、面高にほほえみを向けてきた。
「ご亭主さま、思ったより早かったの」
「うん、なんか今回の相手は妙に話が早くてさ」
ふたりがそんな日常会話をしている後ろで、ゼナリッタはわなないていた。
「あなた! 一体どういうつもりなの!?」
「おや、ゼナ姫や。久しぶりじゃのう」
セリはおっとりと会話を運ぶも、ゼナリッタは怒りを込めて尊林の頭部を鷲づかみにしてきた。助平心のある眷属から乙女の柔肌を隠しているのだろうか。
面高としてはその慌てぶりが少し面白かった。
そもそも10歳女児の裸など『女体』としては認識していない。面高もセリの裸を何度見ようと全くエロティックな雰囲気には浸れないのだから。アイアンクローを喰らっているフクロウが可哀想に思えてきた。
もっとも、それは庶民の感覚だ。
昔の貴族や武家の娘たちは、その素肌を絶対に秘匿しなければならなかったという。それらの事情は魔界の貴族も変わりないのだろうか。ゼナリッタは憤慨していた。
「なんてはしたない! 選帝侯の娘ともあろう者が、人前で肌を晒すなんて!」
「まあそう言うでない。セリとご亭主さまは一心同体。何を恥じる必要があろう」
セリの言葉を聞いて、ゼナリッタは少し落ち着いたようだ。
「……夫婦ということ?」
「正式には違うが、似たようなものじゃ」
「まあそれなら……いえ、でも」
「このまま立ち話もなんじゃ。ご亭主さま」
「はいはい」
セリからバスタオルを受け取り、面高が丁寧に拭いてやる。それは至って日常的な光景だ。少年にとってセリは『女』ではなく『家族』なのだから。
小さな肉体をタオルに包まれながら、セリは提案する。
「ご亭主さまや、今後のことじゃが、まずは彼女とふたりきりで話がしたい。彼女も地上についてはあまり知らないじゃろうし、女同士の積もる話もある。長官さまの元へ連れて行くのはそれからでもいいかのう?」
「うん。そう言っておくよ」
親密な2人の会話に、ゼナリッタが割って入ってきた。
「ちょっと待って、その前にカムヅミを見せてちょうだい」
「ああそっか。ちょっと待っててください」
面高は答えながらセリの世話を続ける。水分を拭き終わってから浴衣を取り出し、幼い身体をくるむ。そしてマジックテープ式の帯を留める。
短い身支度が終わったセリは、面高の背中に飛び乗ってきた。天女セリが移動の
そうして3人と1羽は面高の部屋に入っていった。
◆ ◆ ◆
面高の部屋にある椅子は事務机のセットになった1つだけだ。そもそも将軍庁居住区には床やベッドに直接座っても問題ないほどの近しい人物しか住んでいないので、個室に来客用の家具を用意する必要がない。
なのでドアを閉めてから、立ったままカムヅミに関する説明が始まった。
面高は左袖のボタンを外し、二の腕の辺りまでめくり上げる。
少年の上腕内側に何かが張り付いていた。
濃緑色の平べったい四足獣がしがみついている——だいたいの人はそのような第一印象を抱く。だがそれは動物ではなく、植物だ。
人間の手の平大の植物が、4本の根で少年の腕をホールドしていた。植物が柱や金網の脇で成長していった場合、隣の物体に絡みつくというケースに似ている。
そしてまるで首のように1本の茎が伸び、少年の手首にまで達している。茎の先端ではサクランボ大の果実が1粒、実をつけていた。普段はそれらが制服の袖で隠されていたのだ。
面高はカムヅミの果実を指ではじいたが、もちろん植物は何の反応も返さない。
「これがカムヅミです。世間一般でカムヅミって言う場合は大体こっちの実の方なんですけど。これを食べれば大体のことはどうにかなっちゃうんです。肉体的にも、エネルギー的にも。さっきあなたが言ってたみたいに、特性は物体の復元です」
「本当に成長してる……これ、なんで実をつけているの? 魔界でも種の状態で封印されていたってお母さまが……」
ゼナリッタは興味深げにカムヅミを観察している。少女が前屈みになって植物を凝視しているので、自然と無防備な胸元が少年の視界に入ってしまう。当然のように面高の視線が釘付けになるのは男のサガだ。
「——今ここでさっきみたいな分身は出せるの?」
ゼナリッタが視線を合わせてきたので、面高は急いで目をそらした。
「あれはですね……なんというか自動の防衛システムっていうか……出そうと思って出せるものじゃないんで」
「自動?」
「ええ。おれとカムヅミは一心同体みたいな感じで、おれがピンチになると自動で反撃してくれるみたいで……」
「ゼナ姫や」
セリが会話に割って入った。童女は面高の背中から飛び降りる。
「——ご亭主さまは戦いを終えたばかりでお疲れじゃ。通り一遍の説明はセリがする。どうかご亭主さまを休ませておくれ」
「それもそうね……では東京の将軍へ最後にひとつ」
ゼナリッタは背筋を伸ばし、胸を張った。
「——わたしとセリはお互い大公閣下の娘という同格の立場にあります。彼女とわたしを同じように扱いなさい。特に、使い慣れてもいないその堅苦しい言葉遣いはやめるように。心に敬意が含まれていれば、表面的な言葉遣いはどうでもよろしい」
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