第2話:私の恋の始まりは──。



 ──回避性パーソナリティー障害。


 これは私──日野ひの水葉みなはが小さな頃からずっと患っていた精神病の名称だ。


 傷付くことが恐ろしくて、それを回避していくための行動が、いつしか無意識のうちに自分の生きる上でのベースとなってしまう病気。


 本当はやりたいことがあったとしても、自己防衛が働き、それを押し殺してしまう。


 今の高校二年の私が、こんな可愛げのない性格になってしまったのも、きっとこのせいだ。


 ──友達を作りたいけど、あの時みたいにまた、裏切られるのが怖くてそれが出来ない。


 ──行きたいと思える進路があるけど、夢に少しでも近づけるための道草でさえ、今よりもさらに不幸になった自分が見えてしまって躊躇してしまう。


 そんな私だから、当然自分のことがこの世で一番大嫌いで、どうしようもないけど、そんな自分を変えることは、一ミリでも動かすことは、やっぱり怖くて、恐ろしくて出来ない。


 ──もう私は死ぬまでずっと、こんなんなのかな。


 ──ならばいっそのこと……。


 私は金曜日の放課後、掃除当番を終えて教室の鍵を職員室に返すのと同時に、こっそり屋上の鍵を盗んだのだ。


 私は教師の目を盗んで、屋上への扉を開く。


 ゆっくりと開かれる扉の隙間から、夕陽のオレンジが射し込む。


 最期に綺麗な夕焼けの景色が見えたのは、良かった。


 何故だか、少しだけ景色が歪んで見えるような気がするけど、どうせこれから私の中身は全て空っぽになるのだから、もうどうでも良い。


 私はフェンスを乗り越えると目を瞑った。


 そして、片足を空へと投げ出し、それに続いてもう片方を──。


「きゃっ!」


 投げ出すことは出来なかった。代わりに両足は屋上の地に戻ってきた。でも、それは自分の中の恐怖によるものではない。それは──、


「ハァハァハァハァ……ぜぇひぃぜぇひぃ、日野、何処も怪我していないよな」


「……くも、ざど、くん……?!」


 同じクラス(二年三組)の男子生徒──雲里くもざど葉瀬はせ君によって、後ろから両腕で包み込まれた後、私の首と足の関節部分に彼の手が回り、そのまま抱き寄せられた状態のままで、フェンスの内側へと戻された。


 彼は私の安否を確認すると、ほっとした様子で、ただ「良かったぁ~」と柔らかい声で、そう言ったのだった。


 私は当然、しばらくの間、固まっていた。


 沈黙の時間──それがどれくらい続いたかわからない。


 でも、そんな重い空気すらをかき消した彼の言葉は今でもしっかりと憶えている。


「俺のラノベ主人公的なお姫様抱っこ、どうだった?点数付けるとしたら何点?」


 ──そう、彼は私の自殺未遂については触れずに、ただそんな可笑しなことをいったのだ。


 本当は「ぷぷっ」と笑いたかった。でも、そんなことは、今の私にとって人前で出来ることではない。


 だから、ただいつものように冷たく返してしまう。


「先ず始めに、後ろから抱きついてゲス豚のようにンゴンゴと私の脇汗を嗅いでたところで、マイナス五億点。そして、私をお姫様抱っこしている時に歯を食い縛って、重いから痩せろよみたいな顔でこっち見たからさらに減点。と、言うかあのお爺さんの腰の曲がり方で持ち上げて来るのはお姫様抱っこですらないからツンツン」


「ンゴンゴと嗅いでねぇよ!単純に走ってきただけだから、荒い息してただけだし、俺は体力測定最下位のヒョロモヤシ男だから、力なくてお姫様抱っこするの結構キツくてだな!あと、ツンツンを語尾に表示するな!」


 雲里君とはそんなやり取りをしばらくした。


 きっと、今は無理にシリアスな話を自分からするより、彼の私への思いやりによる冗談に乗った方が良いと思ったから。


 きっと、向こうもそんな話を聞かされたくないから、そうしているのもあるのだろうけど。


 そうして、この日は結局、私は命を終えることが出来ずに、雲里君と屋上で解散することとなった。


「じゃあな、日野」


「……ええ。今日は一応、ありがとう」


「……ああ」


 私は彼に背を向けると、扉の方へと歩き出した。


 すると、私の背に向けて、彼が一言こう言った。


「日野は優しい子だよ。だから、明日もこの世界に、どうか居てくれないか……」


 彼のそんな言葉の語尾は、とても細くて小さくて、自信無さげで、でも、とても力強かった。


 私はその言葉にしっかりと救われてしまっていた。

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