第21話 共闘(3/3)

『マジですか。お前』

 見覚えのある天井。小学校の理科準備室だ。普通の教室の半分しか無い部屋に、沢山の棚と器具が置かれている。反射型天体望遠鏡。骨格は本物の人体模型。振り子を固定する台。バナナクリップとワニ口クリップのリード線。発芽するインゲン豆のポスター。天球儀にソーラーパネル、採点前のテストが積まれた先生の机。

『呆れた。ほんとに死ぬ気だなんて言葉も出ない。馬鹿じゃないんですか』

 制服を着たマルキダエルが、横たわる俺の頭を容赦なく蹴り飛ばす。ローファーの角が刺さる。揺れるスカートが、顔に優しい風を送る。

「なぁ…………何て呼べば怒らないんだ?」

『今更そんな事を!!何とでも呼べ、全部怒りますから』

「じゃあ、マッキーでも良いか?」

 マルキダエル……ことマッキーは、黙って再び俺の頭を蹴る。

「マルとか」

 強い蹴りだ。

「マルルとか?」

 より強い蹴りだ。

「マキマキ」

 二発蹴りが入った。

「マルエル」

 顔が踏まれる。

「マルキル」

 もう顔の上に立っている。

「マルキエル」

『もうそこまで行ったら略す意味が無いじゃないですか……』

 マッキーはスカートを折り込んで、俺の頭に座る。驚くほど軽い。まるで、綿菓子で出来ているかのような。

『マッキーの方がよっぽどマシです、お前のはセンスが無い』

「わかった。なぁマッキー、俺は死んだのか?」

『どうしますか?死んだ方が良いなら殺すけど』

「まだ死ねない。これじゃタダ飯喰らいみたいな物だ」

『そうですか』

 マッキーは立ち上がると、棚に寄りかかってこちらをまじまじと見つめる。何か言いたげな様子だ。じっと彼女の言葉を待っていると、少したっておもむろに口を開いた。

『……どうしてそんなに、私を信じられるんですか。魔女なのに』

「信じてる?俺が?」

『そうです。人類の敵の言う事を、完膚なきまでに信じ込んでいる。私ずっと聞いていたんです。お前まるで私と契約が成立したみたいに、きっちり私の言いつけを履行するじゃないですか。私がそんなの守る確証も無いのに』

「ああ…………」

 思わず頭を掻く。考えてもみなかった。俺は初めからこの魔女を信頼していたというのか?いや、無意識に信頼に値すると判断した……?思い当たる節は無い。あるとすれば、

「疑う要素が無かった、って事かな……」

『人間は嫌いなんです。大っ嫌い』

 大股で歩いてきて、再び俺の頭を蹴る。今までで一番強い蹴りだ。思わず反対向きまで首が曲がり、したたかに頬を打つ。

『だが信じていたうえで破り、私に声をかけた。これって人間流に行けば最も罪が重い筈です。不快だったので償ってもらうが、まずはやるべきことがある』

「やるべき事……?」

『お前を生かす事にしました』

 そうだ。俺はこれまでハナエルと決死の戦いを繰り広げていたのだ。この教室に入ってからすっかり忘れていた自分に戦慄し、焦燥感が肩を縮ませる。

『絆されてはいません。決して。ただ、利用価値を認めただけです』

 マッキーはゆっくりと引き戸を開く。教室の外には眩い光が広がっている。戻ってきて俺の襟首をむんずと掴むと、引きずりながら扉の外に出る。

『殺りますよ。あんな奴障壁にもならない』


 鎧の軋む音に意識が戻る。巨大な杭のようになったハナエルの羽根は、俺の腕によってゆっくりと持ち上げられていく。全身が痛む。しかし流石のマッキーでも、もうぼろきれのようになってしまった左腕は動かせない。

「済まない、戦況を悪戯に悪化させてしまった」

『何で謝るんですか!!お前が負けたら私が悲しむとでも?まったく』

「えぇ……まだ動けるのぉ?!おかしいなぁ!」

 一気に杭がばらけ、再び素早く細い羽根に戻る。隙を見て立ち上がり、腕を構えなおす。マッキーは俺の右手で左腕を引っ張ると、黒く煌めく長剣を取り出し、構えを取ってハナエルに向け一気に間合いを詰める。

『そこです』

 硬いものがぶつかりあう激しい音。飛び散る火花が俺たちを照らし、その真剣な表情を露にする。手に軽い震えがする。黒い塊が高い音を立てて転がる。マッキーの舌打ちが聞こえる。顔を上げると、あの長剣がなんとバラバラに折れていた。

「びっっっっくりしたぁ!!!!本気出さなきゃ殺られるところだった!!」

『こちとら片腕に満身創痍、これで武器無しと来た。さらに十分の一の力です、現状勝てっこない。覚えてます?昨日の戦い』

「ああ、全力を出すには動きを合わせれば良いんだったよな」

『そう。一、二でステップを踏んで三で殴ります。足は合わなくても良いから、拳は絶対に合わせて』

「了解した」

『ちょっと口も借りますよ』

 そう言うなりマッキーが口の主導権まで奪い、声すら出せなくなる。息を吸い込むなり、サナに向けて手を向け低い声で叫ぶ。

「『その力寄越せ、ハマリエル』」

 桃色の瓶が激しく発光し、光の粒が出てきて俺の手に集まる。短剣だ。サナの短剣が二本、指の間に形成されていく。それを拳から出るように強く握ると、マッキーはステップを踏んだ。

『一、二』

 激しく襲い掛かる羽根がゆっくりに見える。行き交う羽根の上に足を掛け、飛び上がったハナエルへの踏み台に利用する。

「『三!!』」

 拳を思い切り突き出す。鈍い衝撃。桃色の刃がハナエルの横腹に刺さり、肉をゆっくりと横に裂く。飛び散る鮮血。効いている。確実に効いている。これなら本当に殺れそうだ。ハナエルは事態が飲み込めない様子で、血の噴き出す腹を抑えてあたふたしている。

『一、二』

 再びのカウント。回復のために地に降りたハナエルに向け、深く地面を蹴る。息が合いスピードが上がる。勢いが拳と刃に乗る。ハナエルは再び羽根を撚って一本の巨大な杭にするが、恐れることなく拳を構える。

「『三!!!!』」

 バキバキと何かが連鎖して裂ける音。拳を打った中心から巨大な杭にひびが入っていき、やがて解けて細い羽根の破片が地面に散らばる。青ざめるハナエルが見える。もう、彼女の羽根は殆ど残っちゃいない。

『いい気分です。お前とは相性がいい。従順なのが原因だろうけど』

「……良い匂いがするかな」

『……殺りますよ。あの痴女と同じだなどど思うな』

 マッキーは傷ついた左腕を思いっきり引っ張る。激しい痛みが吐き気を伴って襲い掛かる。この状況で冗談を振るのは命知らずが過ぎた。拳を構えなおすと、ハナエルは短い羽根で必死にお腹を押さえながら盛大に血を吐いている。彼女は震えながら豪快に笑うと、歯を食いしばる。

「なるほどぉ!!!マッキーも一緒かぁ!!!!!」

 肩を震わせて両腕をお腹に回すハナエル。さっきまでの威勢はどこにもない。ただただ混乱し、恐怖し、戦慄している。こうなると魔女も恐ろしくは無い。さっさと倒して、三人の仇を取るだけだ。

「『だったら何です?協力なんか出来っこないから弱いと』」

「帰る!!!退散するぅ!!!!死にたくない、死にたくないよぉ」

『甘い。一、二』

再びマッキーはカウントを始める。容赦がない。合わせて足を踏み込むと、飛び立とうとするハナエルに勢いよく迫り、遂に背中に追いつく。

「『三!!!!!』」

背中に拳が振り下ろされる。関節がズレる鈍い音がする。ハナエルは自由落下して地に落ち、数回バウンドして草むらを転がる。

『奴は長い歴史で一度、騎士にも倒されているんです。ここでまた倒して、生意気な口をレリックに還してやる』

「そうだな!!」

 再び拳を構える。すると、よろよろと立ち上がったハナエルが、ニヤリと不気味な笑みを浮かべた。蹴りの構えを取り、何かの塊を物凄いスピードで蹴り上げたかと思うと、その場に力なく倒れる。

「何の攻撃だ?今のは……」

『マズいイサム、破片を追うんです!!!』

 しかしマッキーが叫んだ時にはもう時は遅く、塊は終える距離を超えていた。ため息をつくとハナエルが倒れた場所へ足を引きずる。空は赤さが失せ、青く優しい光に戻っていた。

『コアを飛ばして緊急脱出したんです。力を取り戻すには結構かかるが、死ぬよりマシなのは確か』

 少し歩いてたどり着くと、倒れた形のまま黒い灰が積もり、静かに風に舞っていった。勝った。勝ったのだ。次第に遠巻きに見ていた部下たちや民衆が集まり、状況確認や救護を始める。全身が痛む。俺もどうやら、ここが限界みたいだ。

『さて!!私は帰りますが、ここで償いを発表します』

 いきなり、折れた左腕が激しく痛み始める。ミシミシとひび割れが進行する音と共に、激しい痛覚が吐き気に変わっていく。全身から嫌な汗が流れる。全ての音が消え去った時、薄れゆく意識の中に、どす黒い悪意さえ感じさせる悪戯顔のマッキーが見えた。

『左腕は私が預かっておきます。ぜいぜい反省に励んで下さい』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る