第18話 見習い(3/3)
反射で目を瞑り、思わず生身の腕で受け身を取る。しかし一向に、その腕が痛みや衝撃を感じる事は無い。うっすら目を開ける。まだ魔獣はそこに鎮座している。しかし、俺に攻撃を繰り出す様子は無い。
「攻撃して来ない?!」
「価値観か!!それは都合がいい!」
「価値観?何の事だ?!」
「話は後だ!ドレスアップしろ、イサム!」
真剣なナスルの叫びに応じるように、シリンジを手にする。中に入ったマルキダエルのボトルは、日陰にも関わらず不気味な光沢を放っている。本当に乗っ取られ無いのか。本当に俺はこの力を使いこなせるのか。不安はいくつもよぎるが、この状況に選択の余地は、無い。
《……away. Caution!! Stay away. Caution……》
トリガーを押す。警告音が響く。俺はこの魔獣から攻撃されない。それならナスルより俺が戦った方が有利なのは自明だ。少なからず逃げ遅れている人々もいる。嘆かわしい事に野次馬だってちらほら見受けられる。俺がここで戦わないと、それらの命が奪われる可能性があるのだ。たとえリスクが有れど、ライラが止めてくれる。やるしかない。ここでやるしか。
「ドレス・アップ!!」
《VISOR… FLIP DOWN!!》
ナスルに繰り出される斬撃が、蝶が飛ぶようにゆっくりと進んでいく。飛び上がったライラも宙に浮いたまま、なかなか地面に足がつかない。ベルトから出た黒い煙がゆっくりと俺を覆い、締め付け、一体化していく。
《Aries… Seraphim… MALAHIDAEL!!》
煙が晴れ、時間の流れが元に戻る。身体が軽い。人間の姿だったときは戦えるなんて状態では無かったが、この様子だとナスルの手助けくらいなら余裕でこなせそうだ。
「俺の前に立て!俺が引き付ける、挟み撃ちだ」
「了解した!」
ナスルの前に飛ぶ。一応剣を出そうとはしてみるが、ベルトは沈黙を守ったままだ。諦めて拳を構えると、ナスルも剣を構えなおす。俺の拳のパワーでは、きっとこいつを殴れても弱点まで捉えきれない。ここで俺が出来る最善の選択、攻撃は。
「こうだッ!!」
魔獣がナスルとの間に入った瞬間、進行方向に蹴りを入れて動きを止める。崩壊しない程度の力で首を掴むと腕を抑えこみ、完全に動きを止めた。攻撃されないからこそ出来る芸当だ。後はナスルに任せるだけで良い。
「いまだ、ナスル!」
「今度は横にぶった切るぞ!!」
再びナスルはシリンジを倒す。横から見ているとそこまで感じなかったが、物凄い気迫だ。圧倒されて手を離しては元も子もないので、より強く魔獣を掴む。振り払おうと暴れる魔獣。鋭い衝撃がその身体を通じて伝わってきたかと思うと、掴んでいた部位からサラサラと崩れ始めた。
「良いぞイサム。ナイス連携だ」
「……何で俺は攻撃されなかったんだ?」
「それは私が説明しようか」
屋根の上まで退避していたライラが、身軽な動きで着地する。本当に意外な運動神経だ。目を丸くしていると、「そう鈍い動きじゃデータ収集は務まらないよ」と笑う。
「そもそも、魔獣は暴走した人間の価値観がエネルギー源なんだ。魔女によって恣意的に狭められた視線で異端者を攻撃すると、それだけ欲が満たされて魔力が蓄積する。頃合いを見てそれを魔物ごと喰らう事で、魔女はエネルギーを調達しているって訳さ」
「そこで、暴走した価値観というのがネックになるんだよな。どれだけ自分の考えと違う人を嫌うように仕向けても、親族や親しい友人、同じ考えの人なんかは攻撃の対象にならない。そうなるとお前は、それのどれかに該当していたという事になるが……」
「まさか……!!!」
急に寒気がして魔獣の亡骸に駆け寄る。黒い灰が風に流されていき、徐々に元の人間の全貌が明らかになる。嫌な予感は形になり、意志を持って俺に襲い掛かる。
――昨日の婦人だ。昨日、大通りで俺が息子だと言い張った女性。その後もずっと俺と同じ姿の人を探していたらしい女性。見開いたまま閉じる事の無い瞼には、一筋の涙が伝っている。
「俺を攻撃しなかったって事は、この人は本当に俺の関係者……?」
「何だ、知り合いか?イサ……ム……」
ナスルもその亡骸を見るなり、言葉を失う。つい昨日まで人間として生きていたのだ。しかも、無関係だと切り捨てた人間が、実際魔獣になっても俺を攻撃する事は無かった。このショックは俺にとっても大きいが、ナスルにとっては計り知れない物だろう。
「サナを呼ぼう」
「それが賢明だろうね。すぐに今後の作戦を決めた方が良いよ」
「何だ、私の出番か」
声に驚いて振り返ると、路地裏の壁にサナが寄りかかってこちらを見ていた。どうやら少し前からそこにいたらしい。きっとライラが一瞬出した救難信号に気づいたのだろうが、並外れた注意力には変わりない。
「さっき一度私を呼んだだろう。それから駆け付けたが、既に勝てそうだったので様子を見ていた」
サナは咥えていた飴の棒を街灯の下の錆びついたゴミ箱に吐き捨てると、怪訝な顔をしてこちらに歩み寄って来る。
「二人ともどうしたんだ?人間にも戻らずに」
「それがね、魔獣の正体が……」
「何だと?!」
「口封じだとしたら、本当にイサムの何かを知っていたに違いない」
「サナ、それは……?」
サナは顎に手を当てて悩ましげに腕を組む。が、その胸に下がる瓶が眩い程の桃色の光を放っている。気づけば俺のベルトもシリンジが激しく振動し、光を放ちながら熱を帯びている。
「サナ!!ボトル・レリックは、魔女に反応するんだったよな!」
「そうだ!近いぞ!!」
激しく地面が唸る。空が一瞬で夕焼けのように染まったかと思うと、どす黒い赤になり吹き荒れた風が凪のように鎮まる。只事ではない。今までのどんな敵よりも純粋で濃く、粘質な悪意を感じる。背筋が冷える。手が震える。みなの注意が重なり、静まりかえった場に自分の吐息だけが響く。
「――――――、――。―――――――」
ハミングのようにハスキーで、メロディーチックな声。声と共に周囲の店たちが連鎖爆発のように破壊され、破片が宙に浮いたまま静止する。吹き飛ばされた人々が力なく地面に落ち、
やがてうめき声も静かになる。
「クソッ!!」
剣を構えなおすナスル。魔獣と戦うときでさえ傷つけないようにしていた者たちが、魔女の一撃にかかればジェンガのように脆く崩れていく。防戦一方というのはあまりにも不自由が過ぎる。そして守るものがあるというのは、あまりにも弱すぎる。
《VISOR… FLIP DOWN!!》
「ドレスアップ!!」
サナもシリンジをベルトに突き立てる。動かぬ瓦礫を押しのけるように光の粒が舞い、サナに引き付いて装甲をかたどっていく。
《Virgo… Powers…HAMALIEL!!》
再びの静寂。騎士三人とライラで示し合わせたように背中を合わせると、それぞれ構えを取って魔女の本体を探す。まるで災害だ。人間が無力すぎる。もし魔女が現れて互角に戦えたとしても、戦う前にここまで破壊が行えるなら、果たして本当に互角と言っていい物だろうか。
「――、――――――――」
再び風を切るような斬撃。激しい火花が散り、とてつもない衝撃にあらぬ方向に曲がろうとする足を必死に踏ん張る。腕が痺れる。頭が揺れ、視界がぐらつく。ライラは裂けた白衣で腕を縛り、出血を止めている。持つのか。みんなここで死ぬんじゃないか。そんな弱気な考えが、頭を埋め尽くしている。
「……来るぞ!!」
サナの叫び声が聞こえ始めたかというタイミングで、黒い何かが飛んで来た事に気づいた。庇った腕に鋭い痛みが走る。やられた。腕の装甲を砕いて突き抜けた鋭い何かが、俺の血を纏って赤黒くぬめっている。
「先生!しっかりしろ、耐えるんだ!!」
「私は平気だよ。死にはしないさ」
驚くべき事にライラは黒い何かを見切り、手で受け止めたようだ。しかし人間の生身だ、耐えられる筈も無い。受け止めた手からは折れた骨が飛び出し、肘の先まで赤い液体で染めている。
「ク……ソ……」
黒い何かは即座に引き抜かれ、放射状に大通りの中央にいる何かに引き戻されていく。ナスルの胸から鮮血が噴き出す。ナスルは剣を手放すと、光の破片を胸に集めて応急処置を行う。
「本体が見えた!!一撃を入れる!」
「早まるな、サナ!!」
ナスルの制止を無視し、サナは一気に距離を詰める。けたたましい音と共に、桃色の粒子が飛び散って魔女を明るく照らす。微動だにしていない。魔女は動きもせず、背中から伸びた黒い羽根だけで戦っているようだ。それなのにこの強さだ。羽根を一本、二本と切り捨て、善戦していたように見えたサナも、吹き飛ばされてナスルの横に音を立てて落ちる。装甲はボロボロだ。もう持ちそうにない。
「来るッ……!!」
今度は魔女が距離を詰める。背中から伸びる無数の羽が剣山のように俺たちを突き刺し、その場に固定する。呻くライラ。騎士である俺やナスルにも、容赦なく羽は貫通する。魔女の足音が聞こえる。掠れた息の音が背筋を凍らせる。無力感と焦燥感の最中、突如魔女は俺たちに向け、信じられない言葉を発した。
「イサム……だっけぇ!私とおいでよぉ、魔女の造りし騎士さん!!」
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