第14話 肌色(3/4)
「これが……一般家庭の風呂かよ……」
大き目のタオル一枚。そんなあられもない姿で、意図せず俺は立ち尽くしてしまった。広さこそ普通の庭くらいだが、高い木の壁で囲まれた屋外には屋根続きの東屋があり、配管から流れ出たお湯がもくもくと湯気をあげている。二人分の流し場には瓶に入った石鹸がそれぞれ置かれ、枝分かれした配管から引かれたシャワーも十分な水圧だ。お湯になるのに二秒もかからない。なんだ。理想の温泉がここにあるじゃないか!!
「一応言っとくけど、これがこの世界の普通って訳じゃないよ?ライラが都市の主機を点検するために、廃熱管がここまで引かれてたんだ。それをちょっとお借りしてるだけ」
「すごい良いセンスだな……」
「でしょ?!昔ライラに、西の方の温泉街に連れて行ってもらったんだ。そこの丸パクリなんだけどね。全部私とライラでやったから、三年もかかったんだよ……」
「お陰で私も、風呂が無意味だとは思わなくなったよ」
声に驚いて後ろを向くと、ライラも髪と体、それぞれタオル一枚巻いただけの姿でそこに立っていた。しかし問題なのが、小柄なシファーと違い、長身のライラは色々と隠しきれていない。シファーもスタイルに対する胸の大きさでは負けていないが……ライラの質量には敵わないだろう。シファーのむちむちしていそうな太ももも良いが、ライラのはすべすべしていてきっと寝心地が良さそうだ。
「……何か野暮な事、」
「考えてない!!考えてないぞ」
「どうだろうね」
俺は首を横にぶんぶん振ると、誘惑に抗おうと一人で洗い場に腰を掛け、身体を洗い始めようとする。しかし、想像以上に腕の可動域が狭く、しかも手に上手く力が入らない。情けないことに、両手を洗った所で万策尽きてしまった。
「あれあれ~~~?イサム君は責任感あるオトナの癖して、意外とシャイだったりするんだ?」
悪戯そうな笑みを浮かべるシファー。手を広げると指を立て、不穏な構えを取る。
……これには見覚えがある。こちょこちょの構えだ。
「やめろシファー!!落ち着け、話せばわかる」
「やめろって?やめないよ!!こちょこちょ~~~!!!」
シファーの指が俺の肌を蹂躙する。こそばゆくて思わず笑ってしまうが、イメージに反して恣意的な手つきだ。腰から背中、背中から脇、脇からうなじ、首筋をくすぐるうちに自然に体を密着させ、耳元に息を吹きかけてくる。シファーのはだけたタオルが背中で擦れ、柔らかい肌が当たる感触に変わる。
「ちょ、ちょっと待て!ライラも見てないで止めてくれ!気まずく無いのか?!」
「おっと、イサムは一夫一婦制の出身だったりするのかな?それなら初めは驚くだろうけど、一人目の妻も決まっていない状況では同性間に遠慮は無いからね」
「一人目の妻……?」
「そう。一夫多妻と言っても、魔女戦争で夫を失った女性を保護するのが目的で始まった習慣だから、妻の権利が尊重されているんだよ」
「一人目の妻が拒否したら、もうその人に手は出せないんだよ!!逆にそれまでは、遠慮は要らないんだ……っていうか、今のくすぐりはそんな深い意味は無いよ?!嫌だった?ごめんね」
「いや別に……びっくりしただけだ……」
一夫多妻制。夢のハーレム生活を思い浮かべる奴も居るだろうが、無駄に公民選択だった俺が知る限り、重い制度だ。多妻を得るためには、平等な愛と資産の分配が必須となる。少なくとももう遊びの恋愛をする体力がない俺にとっては、あまり魅力的に映る事は無い。
「ライラも!変な意味に捉えないでよ!!」
「私は捉えてないよ。イサムはくすぐりを性的だと捉えるらしい」
「また変な誤解を植え付けるのは止めてくれ!」
ライラはふふ、と笑うと、「冗談だよ」と付け足して自分の身体を洗い始めた。シファーも俺をからかうのは一旦やめて、手にシャンプーを取る。さっきの身体は私が洗う、というのは本当に冗談ではないらしい。
「髪の毛からでいいかな?本当は水洗いからした方が良いんだけど、今日はすごく汚れてるから、初めからシャンプーつけちゃうよ!」
もう一つ椅子を出してきて後ろに座り、器用に指を立てて俺の髪を洗い始める。優しく触れる指の腹が、柔らかく頭皮を揉んで何とも言えない心地よさだ。「慣れてるんだな」と聞くと、どうやらいつもはライラの身体も洗っているらしい。
「ライラはああ見えて本当に面倒臭がりなんだ、本人は合理主義だ、って言ってるけど。絶対やりたくない事から理由をつけて逃げてるだけなんだ」
「だからシファーが洗ってる、って事か」
「だって髪の毛まで石鹸で洗ってバッサバサにするんだよ?それで『これだから洗わない方が良い』とか言うんだ」
「それは確かに勿体ないな」
「私には時間の方が勿体なく感じるんだけどね」
ライラは長い髪を流し終えると、コンディショナーを髪に漉き込みながら答える。これだけ髪が長いと手入れも大変そうだ。確かにこれを毎日洗っているのでは、風呂が億劫になる気持ちも分からないでも無いな……。
「それにイサムなら分かると思うけど、女子の風呂にはケチをつける人が多いんだ。シャンプーの話は理解したけど、非科学的な事が多すぎる。暇なんだろうね、オカルトに嵌るのは」
「ほら!こう言って何を勧めてもやってくれないんだ……」
「……例えば何を勧めてるんだ?」
「私はやってみたいって言ってるだけなんだけどね、友達から半身浴とか、お風呂に入ってから身体を洗った方が良いとか、色々勧められるんだ。ライラは全部それを端から否定するんだ」
「順番なんて科学的に根拠が無いよ。風呂に汚れを出すなんて次入る人への配慮が無いし、そもそも老廃物を出すのは腎臓の仕事だ。尿から出ても、肌から出ることは無いよ。もし友達が肌から老廃物を出す亜人だったら、バッチいから縁を切った方が良いね」
「ほら!!全てに理屈を求めようとする!気持ちだけで良いんだよ、そういうのは……自己満足なんだから……」
「もっと言わせてもらうと、その友達と私の背中を比べてみれば一目瞭然だね。結局は体質なんだよ、体質。DNAが全てだから来世に期待すべきだね」
「救いは無いのかな!!!絶対学生時代友達いなかったよね、ライラ……」
ライラはタオルで前だけ隠すと、その美しい背中を露にする。日に当たっていない透き通るほど白い肌が、シャワーの温度に淡く血色づいている。それさえ無ければ作り物のようにすら思える整いようだ。普段は少々猫背気味ではあるが、こうして見ると軽く猫背の方が、肩からお尻までの曲線が美しく出るのかも知れない。思わず指を這わすと、髪から滴った水滴がついてきてお尻の谷間まで滑り落ちる。
「……何のつもりかな」
「……深い意味は、無い」
シファーの受け売りだが、こんなに万能な使い方をして良い物だろうか。
しかしその手の美容詐欺みたいなものは、元の世界にもあったから親近感は持てる。欠かさず青汁を飲んでいた先輩もいたし、泥パック信者の後輩もいた。ただ共通しているのは、不景気になり共働きが当たり前になるにつれ、その手の詐欺は下火になって行ったと言う事だ。美容詐欺の多さが女性の時間的豊かさの指標になっていたなんて、実に皮肉らしい。
――と言う事は。この世界は、まだ経済指標が上向きなのかも知れないな。投資に興味が沸くが、自分がため込んできた原資が通用しないことを思い出し、気分が下がる。
「ほら、もう髪は良いから流しちゃうよ!目をつむってね」
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