第13話 肌色(2/4)
意外と早く眼は冷めたらしい。サナと出会ったのが十時ごろだから、負けるまで二時間あったとして寝ていたのは五時間程度だろう。うっすら目を開いて窓の外を見ると、そろそろ沈み切る夕日が西の空をグラデーションに染めていた。
「魔女……マルキダエルの魂……瓶の中に……?」
寝起きの混乱ももちろんある。だが、根本的に理解できない原因は、俺のこの世界に対する無知によるものだ。戦闘中の声や操られた状況、夢で有ったことまでひっくるめて話してライラに意見を仰ごう。うん、それがベストプラクティスだ。
ふと天井を見上げていると、倦怠感の他にもう一つお腹に重さを感じる。枕を引き寄せて顔を上げると、俺のお腹に伏せる形でシファーが寝てしまっていた。
「悪い、そこは痛むんだ、シファー……」
シファーは聞こえているのかいないのか、唸り声を上げて少し動く。すると、露(あらわ)になった手は俺の血で赤く染まっていた。辺りを見回すと、金属のボールには血を拭った布巾が重なり、俺の腕には点滴のような管がつながれている。枕パットには吐血痕があり、シファーに掛けさせてしまった負担の大きさを物語っていた。
――起こすのは申し訳ないな。
俺は布団ごとシファーを横にずらそうと画策するが、半ば抱きかかえられているようでびくともしない。試行錯誤するうちに、息が漏れるような笑い声が聞こえた。驚いて、声の方向を向く。すると、少し離れた部屋の端で、ライラが本を読みながらこちらを窺っていた。
「ごめんね、どうにも微笑ましくってね。どけられなかったんだ」
ライラは読んでいた本を棚にしまうと、椅子を持って来てシファーの横に座り、シファーを自分の膝に寄りかからせる。
「助かった……丁度痛むところだったんだ」
「良いんだよ、というかそのままにしといて悪かったね。調子はどうかな?」
「前回よりだいぶ酷いな」
「そりゃあね」
シファーの手を探ると、ライラは器用に手袋を取る。それを内向きに丸めると、汚れないようにボールに放り込んだ。
「輸液は足りているかな?まだクラクラするなら、もういくつかあるけど」
「輸液……?輸血の事か?大丈夫だと思うが……」
「今時輸血なんてしないよ。抗体やら感染症やら問題が大きいからね。血球だけ入った汎用輸液を使って応急処置をするんだ、大学一年で習わなかった?」
――この世界の学問は幅広く高度らしい。スポーツとか歴史とか、下らない単位を取るくらいなら、そういう実用性の高い授業を取りたかったものだ。ただ、軽傷でも診てくれる病院があった元の世界では、必要無かっただけかもしれない。
「……俺がいた世界では、ここまで傷を負うと専門の人しか手に負えなかったんだ」
「なるほどね。それは、便利なのか不便なのか分かんないね」
神妙な顔をして首を傾げると、簡単に脈を取って温度を測る。「問題ないね」と頷いて、ライラはシファーの背中を撫でる。
「そういえば、君、うなされてたんだよ。確かこう言っていたな……マルキダエルの魂が、どうとかって。魔女の一人だよね、どうしたの?」
「夢で会ったんだ。マルキダエルに」
「へぇ!!それは面白いね」
丁度いい機会だ。俺は昼の戦いから今まであったことを、かいつまんでライラに話すことにした。ライラは時折目を輝かせながら話を聞き終わると、数分腕を組んで悩み、結論を口にした。
「うーーーん、だいぶマズいけど打つ手は無さそうだよね。君のボトルを手放すと死ぬ、って呪いは本当なのかな?だとしたら八方塞がりだ、特別に何か出来ることは無いだろうね」
「やっぱりそうなのか……」
「試してみる?引っぺがして」
「頼むから止めてくれ」
「冗談だよ」
ライラは苦笑いを浮かべると、「じゃーん」と言って懐から一枚の書類とバッチを取り出した。美麗なその装飾を見るに、恐らく騎士の公式な書類だろう。それを広げて見せつけた後、どこからともなく額縁を出し、飾り棚の上に掛ける。
「ついさっき、君をACCCの見習い騎士として認める事になったみたいだ。あれじゃあ実力は認めざるを得ないだろうね。君の話によれば、マルキダエルの力だろうけど」
「良いのか……?あんなにサナに危害を加えてしまったのに……」
「それが騎士になれない理由にはならないさ。戦いを吹っ掛けたのはサナだしね。危害を加えるつもりじゃ無かった事は、後で私が伝えておくよ」
いろいろ懸念は残るが、これで俺もこの世界に居場所を得たという訳だ。マルキダエルの言う事を信じるなら、普通に騎士として戦う分には危害を加えられずに済みそうだし、傷が治ればシファーやライラに恩返しができる。サナにも、詫びと一緒に菓子折りでも買おう。
……この世界に菓子折りを贈る文化があるかなんて、さておいて。
「騎士の仕事についてはナスルが教えてくれるらしい。明日から同行して、見習いとして騎士の仕事について学ぶと良いよ」
「ナスルは良いのか?マルキダエルはもう出てこないと言ったけど、信用に値するかは分からないし……」
そうだ。再び制御を失う可能性だってある。魔女に気まぐれが有るのかは分からないが、万が一でも起こったら大変な被害だ。しかしライラは余裕そうな表情で頷くと、棚から新品同然になったベルトとシリンジを取り出し、俺の枕元に置いた。
「それについては心配無いよ。私が止める。そのために私も同行するから」
「わざわざそんな、申し訳ないな……授業は平気なのか?」
「秋学期は授業を持っていないんだ。しかも君が申し訳なく感じる事は無いよ、監督責任の話だからね。私もシリンジシステムのためのデータを集められるし、一石二鳥だよ」
せっかく恩返しができると思ったのに、またもや迷惑を掛けてしまうとは……。多少不甲斐無い思いはあるが、彼女の研究の助けになると聞いて、少し気が楽になった。
話しているとやがて日も落ち、ガスランプの明かりが優しく部屋を満たす。昼間の喧騒が嘘のように感じるくらい、ここには温かい空間が広がっている。気が抜けたのか、俺のお腹がぐーっと間抜けな音を立てた。そういえば朝以来何も口にしていない。
「――すまん」
「謝ることはないよ。ご飯にしようか。私たちも食べていないからね」
そう言うとライラはシファーの背中を優しく叩く。
「シファー、起きて。ご飯にしようか」
「そうだよイサム!!お風呂に入ろう!」
食後。ライラが食器を片付けている隙に、シファーがとんでもない事を言い出した。
「気持ちは分かるけどな……まだ痛みが抜けないんだ」
確かに、丸一日風呂に入らないのは不快だ。今日なんて特にサナと全力で戦った訳だし、汗と血まみれの体を一刻も早く流したい。しかしこうも体がダメージを受けていると、風呂はとてつもなく重労働に化けるのだ。会社で初めて大きなプロジェクトを任された時も三日風呂に入れないなんてザラだったし、今日くらい良いんじゃなかろうか。
「そうだ、服も買ってない。風呂に入ったって汚い服をまた着るんじゃ……」
「買ってきたよ。下着とパジャマ、外出着いくつか」
「でも痛みが……」
「体は私が流してあげるよ!」
「入らない、って選択肢は無いのか?」
「それは無いね!」
困ったな。入らない道は残念ながらすべて塞がれているらしい。シファーは再び俺に痛み止め程度の回復魔法を施すと、次はライラを風呂に突っ込むべく説得しに行った。
――俺だけでも素直に入ってやった方が良いかもしれない。
重い腰をあげると、不意に力が抜けて椅子に尻もちをついてしまった。今回は痛みだけだった前回と違い、実際に可動域も狭まっているようだ。それを話し合いながら遠めに見ていたライラが、「もう一人手伝いは必要かもね」と渋々風呂に入るのを了承した。こうして、俺が風呂に入らない道は、完全に閉ざされてしまったのだった。
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