第10話 制御不能(1/2)
ベルトが震える。とりあえずサナの剣を振り払おうとするも、腕が言うことを聞かない。腕だけじゃない。全身だ。あちこちが動けないほど痛むのに、サナの剣を持ち上げながらギリギリと音を立て立ち上がろうとしている。
「それでこそ俺が見込んだ騎士だ、イサム!!」
ナスルの叫び声。しかしそれどころの話ではない。俺の意志では、身体のどこも動かせないのだ。じゃあ、この身体は……誰が動かしているんだ?
『殺りますよ。彼女は敵にもならない』
ボトルだ。またボトルから、ベルトを介して声が聞こえてくる。そうだ。今俺の体を動かしてるのも、間違いなくこのボトルだ。生身で使えば命を蝕むほどの存在であり、人間を騎士に変え、多大なるパワーを行使させるエネルギーの根源。それが意思を持ち俺の身体を操るという事がどれだけ危険なのかは、俺にも一瞬で理解できた。
「……サ…ナ、闘いは……中止だ」
「何だ?それで勝ち誇ったつもりか?」
辛うじて動く唇を無理やり動かし、言葉を紡ぐ。俺を押さえ込むサナの腕が震えている。もう限界だ。身体中が痛みに反して動かされ、ギシギシと悲鳴を上げながらサナを押し退けようとする。
「……今す…ぐ、離れ……ろ」
「無理だな。騎士に後退という選択肢はない。あっていいのは勝利、ただ一つだ」
薄々感じてはいたが……騎士というのは救いがたく頑固な存在らしい。動かない口で今の状況を伝えるのは限りなく難しい上、相手が聞く耳を持たないとなると無駄な試みだ。仕方なく歯を食いしばり、可能な限り傷つける事なく遠ざけようと腕を前に出す。すると今まで言う事を聞かなかった腕が、想像の十倍素早く動いた。
「チッ!!」
アリーナに響く破裂音と、サナの大きな舌打ち。瞬時に避けたのだろう、あまり吹き飛ばされた様子は無かったがサナの腕から煙が吹き出ている。マズい。あのサナにこれだけ攻撃が通るなら、瓶の言う通り本当に殺せてしまうのかも知れない。
『……そうか……意思が重ならないと全力は出なさそうですね……』
またも瓶が脳内に囁く。コイツはサナを殺すつもりだ。サナとは出会って間もないが、騎士として働くなら上司になる存在だ。ここで殺してしまえば、この世界で路頭に迷う事になるかも知れない。それ以上に、俺はこの世界を既に気に入っている。無意味にそれを破壊する奴に、手を貸したくは無い。
――意思が重ならないと全力は出せない?
つまりコイツの逆張りをすれば良いわけだ。俺はどんな行動も阻止できるように、寝転ぼうと意識を向ける。
『はぁ〜〜〜〜。人間って思ったより馬鹿ですね。そんなの無意味無意味』
俺の体は依然構えを取ったまま、サナと対峙している。こんな浅知恵では何ともならないのは明白だ。対するサナは煙の出る腕をプラプラと振ると、短剣を投げ出した。投げ出された短剣は光の粒となり、サナの腕に吸着して腕を強化する。まだ闘うつもりだ。拳を構えるサナを嘲笑うかのように、さらに俺も馬鹿にするかのように、俺の体は俺の頭を殴ると、側面を引っ掴んで横に引っ張る。
剣だ。
掴んだ頭から柄が生成され、引き出される様に長身の刃が露わになっていく。
『やっぱこんくらい無いとね……』
身長より長さがありそうな、薄い刃の細長い剣。それを器用にどこにも当てずに振り回すと、キラキラと黒い残滓が空中で輝いた。
「良いぞイサム!!やっちまえ!」
状況が理解できていないナスルが大声ではやし、観衆も声援を上げる。違う。違うんだ。俺の体は今、お前らの目の前で、慕っているその英雄を亡き者にしようとしているんだ。助けを求めようにも何も伝えられない不甲斐なさに歯を食いしばり、瓶の力に抵抗しようとする。
「やめ……ろ」
『せいぜい抵抗してて下さいよ。十分の一の力だって、あんな騎士惨殺しちゃうから』
そんな祈りもむなしく、瓶が言い終わらぬうちに。
その剣は、サナの下腹部を貫いていた。
遅れて響く衝撃音。アリーナの誰もが息を呑む。足先が土を噛み、ジャキジャキと音を立て砂煙を吐く。一瞬で恐ろしい距離を移動した事に、足の感覚で気づかされる。
『まぁ……ただじゃ殺らせてくれない……と』
声と同時に、身体が大きく傾く。胸を見ると、何と俺の身体にサナの腕がめり込んでいる。当のサナは息を切らしながら、弱々しく鼻で笑う。さすがサナ、負けん気の強さは筋金入りのようだ。感心する暇なく時間差で急激な吐き気が俺を襲い、喉元を温かい血の塊が通過する。限界だ。とっくに限界なのだ。動くはずの無い屍が、無理やりここまで動かされている。意識が遠のく。しかしまだ、身体はしなやかにサナから距離を取り剣を構え直す。サナは膝を突いて立ち上がらない。お互い、もう闘えないところまで来ているのだ。
「おい……本気過ぎないか、二人とも……」
「もう良いよイサム、引き分けじゃダメなの……?」
ナスルやシファーだけでなく、観衆全体がどよめいている。しかし、誰一人異変には気づかない。気づける筈も無い。みんな俺がどんな性格かも知らないのだ。いきなり他の騎士を殺そうとする粗野な奴だと思うかもしれないし、ツノ無しの騎士は伝説通り騎士の敵だと思っているかもしれない。そうでないにせよ、恐らく瓶の声は俺以外には聞こえていない様子だ。八方塞がりも良いところだ。
『さて。決着は必要です』
俺が片手を広げると、ベルトが激しく振動する。シリンジが勝手に立ち上がり、再び倒れてベルトに力を供給する。
《Aries… PHASE: DEICIDE!!》
長い刃が光を放ち始める。終わりだ。おそらくサナは、この一撃を耐えられないだろう。ここで俺に殺される。つい一時間前、兄妹で下らない喧嘩をしていたのを思い出す。回りくどすぎて喧嘩になってはいたが、彼女は兄に自分の好きな味を食べてみて欲しかっただけなのだ。強情だが健気なリーダーだ。この街で慕われるのも納得できる。そして、そんな彼女を、俺は今自分の不甲斐なさのせいで、殺す。
「ク……ソ……」
『悔しいですか?残念』
この街で愛される彼女を殺した俺は、全員に敵と見なされるだろう。せっかくこの世界で安定した仕事を得られると思ったのになんてザマだ。人間は一人じゃ生きて行けない。それを支えるために社会がある。この力があれば立ち向かう者全員を殺せるだろうが、敵を殺しつくしたその先にあるのは、虚無だ。
『……可哀そうに。泣いてます?』
そう瓶が呟いた瞬間。
俺の体は地面を蹴り、宙に浮いた。そして、長剣を振りかぶり。
全体重を乗せ、サナに向けて勢いよく振り下ろした。
白い雷が瞬き、鋭い轟音と砂煙が視界を奪う。会場が静まり返る。肉を打つ鈍い音がする。
……俺が地面に落ちる音だ。霞む視界の先には、脇腹を抱えたまま俯くサナが居た。
「なん……だ…………?」
言葉を発したのはサナだ。生きている。安心も束の間、急激に意識が遠のく。もう体のどこが痛むのかすら分からない。見渡す限りの地面が、俺から流れ出た赤い液体で染まっていく。少し遠方に、投げ出された俺のバックルとシリンジが落ちていた。
――元の体に戻った、のか?
それを裏付けるかのように、身体は自由に動かせるようだ。しかしあまりの激痛と朦朧とする意識に、騎士になっていた間はあれでも症状が大幅に緩和されていたことに気づかされる。ふとサナに意識を向けると、彼女もまた人間の姿に戻っていた。かなりの傷を負っているが命に別状は無さそうだ。
「さすがサナだ!!あんな隠し玉を持っていたなんてね」
静まり返ったアリーナに、ライラの声が響いた。その声に触発されたかのように、観客はみな立ち上がり、戦いの結末を賛辞する。終わったのだ。勝敗はついた、どう見てもサナの勝ちだ。全力で敵わず負けた後にとんだアクシデントに見舞われたが、結局はサナの目論見通りになった。
「大丈夫か、イサム……」
脇腹を抱えながら、サナが歩み寄ってくる。彼女も俺より軽傷とはいえ、人の姿ではかなりの重傷な筈だ。彼女の部下たちが治療のために制止するが、振り切ってこちらに来て屈みこむ。
「俺が……心配される義理は……無いよ」
「いや、戦いというのはそういうものだ。刺される覚悟がない上で人を刺そうとはしないさ」
彼女は治療を受けながら俺の手を取る。騎士の力を抑えきれず、そんな彼女を殺めかねなかった自分が不甲斐ない。戦って尚相手を認められるその寛大さは、騎士の精神そのものだと思う。少なくとも、逆の立場だったら出来た芸当ではない。
「イサム!!何でそんなにボロボロになるまで闘ったのさ?!」
シファーとライラも駆け寄ってくる。シファーに至っては目に薄く涙すら浮かべているようだ。感覚はすでに無くなって来ているので状況を把握できないが、かなりの傷には間違いない。人間がなかなか死なない理由は適度な諦めあってこそだ。とっくに限界になった体を不本意にこうも操られてしまえば、助かるものも助からない。
「律儀な奴め。死ぬ気で戦えとは言ったが、本当に死ねといったつもりはない」
ナスルが連れてきた部下たちが俺を介抱する。どうもナスルは自分の言いつけを守って俺がここまで闘ったと思っているらしい。おめでたい奴だが、そう思わせて置いたほうが都合がいいので黙って頷いておいた。
「うーーーん、これじゃあ完璧に治るまではだいぶ掛かりそうだね……とにかく死ななくてよかったよ!!途中から人が変わったみたいにがむしゃらになるんだもん」
「ああ……人が変わったみたいに……な」
「それ……なんだが……」
「今はいい。黙って休め。後で話はゆっくり聞こう」
サナは頃合いを見て自分の救命士を制すと、横腹をさすって頷き再びローブを纏う。あの傷にしては早すぎる。俺が腰骨を折った時は一週間かかると言われたくらいだ。残る痛みを意識で抑えているというのか。忍耐力が強いにも程がある。
「取り敢えず応急処置を施して家まで運ぼう。後はシファー、君に任せる。私はライラ教授と話がある」
「おや!何だろうね」
シファーは静かに、強くうなずいた。ライラはまた不気味な笑みを浮かべている。さっきの笑みだ。戦いを見ていた時、何か訳知り顔でほほ笑んでいたライラを思い出す。このベルトを作った張本人であり、壊れたベルト一つからシステムのすべてを紐解いた存在。きっと何か、瓶の声について知っているに違いない。
聞こうと思って声を出そうとするが、喉からあふれた液体が塞いで上手く喋れない。思っているよりかなり重症のようだ。今は諦めて治療に専念しよう。ゆっくり目を閉じると、意識は思ったより早く途絶えていった。
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