第6話 茶番(2/5)
「お待たせ」
二人の予想に反してライラが持ってきたのは、真っ黒の中に不規則な煌めきのある夜空のような美しい服だった。本当に冬の星空のように、微細な星が瞬いているように見える。ライラが雑に振って広げると、それはローブだった。
「今日はこれを羽織って行くといいよ。他の服は帰りに買おう」
「すごいじゃんライラ!こんな綺麗な服を持ってるなんて知らなかったよ!」
「私のお古だけどね。気に入ったなら、君のものにしていいよ」
シファーは「ちょっと貸して」と言うとローブを受け取り、顔を埋めて不満そうに頬を赤らめる。
「ライラの匂いがする!」
「そりゃあ私のお古だからね」
シファーはローブを纏うと、ほっぺをすりすりしたり肩を抱いてもじもじしたり挙動不審な様子だ。一通り全身をさすると、脱いで暖かくなったローブを渡してくる。
「はい!私の匂いで上書きしたから。もう大丈夫だよ」
「??……ありが……とう?」
どういう意味だ?この世界では匂いが何か重要な意味を持ったりするのだろうか。ローブを抱えて立ち尽くしていると、ライラも吹き出しそうな勢いでほっぺを膨らませ、笑いを必死に堪えている。どうにも、この世界の文化では無さそうだった。
「わたっ!……私もACCCには用事があるんだ。一緒に行こうか」
「そうなんだ!ちょうどいいね。行こうイサム、早くローブを纏って」
「ああ、助かるよ」
ローブを纏う。肩に回すと風を受けて波打ち、きらきらと輝きを放つ。本当に美しい素材だ。煌めいていない部分は真の漆黒で、光を少しも跳ね返さず吸収しているようだった。
ふわりと、ライラの甘ったるい香りとシファーの柔らかな花の香りが混ざった匂いが鼻腔を満たす。
解っていたことだが、上書きなど少したりとも成功してはいなかった。
昼間の街は夜とは打って変わり、大賑わいで足の運びにも困るほどだった。大通りに出ると様々な店が立ち並び、店の無い区画には所狭しと露店も並んでいる。目を引くほど美しく精細な工芸品や、ハーブの香りが食欲を唆る串物の屋台。見た事が無くても、違和感より好奇心が勝る。思わずガン見していると、視線に気づいたライラが得意そうに笑った。
「昼の街は活気があって楽しいよね。何か買ってあげようか」
「そうだよ!私のお勧めは東統府名物、東地焼きかな」
シファーは二人の手を引っ張る。人混みの先には、煙を細くたなびかせる大盛況の屋台があった。周りでは様々な格好をした人が、等しく幸せそうな顔をして串物を頬張っている。
「東地焼きは、もともとこの土地を開拓する人たちのための労働者食だったんだ!安くて美味しいから、東地焼きの前に人類は皆平等、って言うくらいなんだよ」
「いらっしゃい!」
「おじちゃん、スパイスを三本ね」
「はいよ」
屋台のおじさんはシファーから硬貨を受け取ると、炭火に焼かれていた脂の乗った肉の串を三本取ってスープに潜らす。それをシート状の餅のような物で手早く包むと、スパイスの粉を振りかけてこちらに手渡した。
「ありがとう!」
シファーはお礼を言って受け取ると、ライラと俺に一本ずつ配る。似たような物は食べた事がないが、絶対美味しいのは見た目だけでわかる。思わずかぶりつこうとすると、「待って!」とシファーに止められた。
「そんな食べ方したら火傷しちゃうよ!」
「初めて食べた人は二回火傷する、と言われているくらいだからね」
ライラは串をふーふーしながら、茶化すように言う。
「一回目は熱々のおもちが舌に引っ付く。二回目は、飛び出たスープを咄嗟に啜る」
「どっちも、気づいた時にはもう遅いんだよね……」
アドバイス通り、落ち着いて冷ますことにした。ふりかかっている七味のようなスパイスが、息を吹きかけるたびに良い匂いを放っている。冷めたことを確認して齧り付く。うん、文句無しの美味さだ。野菜の旨みが詰まったスープが餅の皮を柔らかくし、肉の脂を上手く包み込んでいる。更に炭火で焼いた肉の香ばしさが堪らない。極上の逸品だった。
「ほんほは甘じょっぱいタレ味の方が好きなんだけど、絶対口の周りがベタベタになっちゃうからね」
「わはしはこれが一番好きだな」
二人とも口をもぐもぐさせながら幸せそうに話す。確かにこれは人に勧めたくなるのも分かる中毒性だ。多くの人もそう思っているようで、入れ替わり立ち替わり何人もの人がその串物を買い求めていた。
「おじちゃん、タレ二本だ」
「いーや!スパイスが二本だ!」
その中で、一際大きな声が響く。見ると、小さな人だかりが出来ていた。さっきの屋台の前の二人の人物を中心に、観衆が集まっている。何かトラブルだろうか。俺たち三人も興味本位で、串をもぐもぐさせたながら野次馬に勤しむ事にした。
「馬鹿兄貴は舌も馬鹿だから、そんな初歩的な事も分からんのだ!スパイスが一番美味いに決まっている」
「美味しくない物が売れ続ける筈が無いだろう!タレが一番美味い、歴史がそれを証明している」
「良いからスパイスを喰ってみろ」
「いーやお前がタレを喰って立場を理解しろ」
店の前ではそれぞれ白いローブを着た男女が火花を散らしていた。片方は見覚えがある。昨日の夜駆けつけた騎士、メディル・ナスルだ。しかし店もいい迷惑だろうに、おじちゃんは苦笑いとも微笑ましいとも取れる笑顔で様子を眺めている。観衆もそうだ。店に並んでいた筈が、それナスルだサナだとヤジを飛ばして二人の喧嘩を盛り上げている。
「なんで誰も止めに入らないんだ……?」
「まぁ、平和の象徴みたいな物だからね……」
シファーは呆れた、とでも言いたげな様子で苦笑いしている。
「サナとナスル。この都市最強の騎士兄妹だけど、普段いっつもどっちの方が上かで揉めてるんだ。非常時には息ぴったりで戦うのにね」
「何で別々に好きなのを買わないんだ……」
「それでは意味が無いからだ!我々は共に戦う上で価値観を共有する……」
俺の声が聞こえたのか、ナスルが咄嗟に反論する。言いながら声のした方を振り返り……俺に視線を止める。二人ともこちらの存在に気がついたようだ。
「おやおや、手間が省けたじゃないか」
サナと呼ばれた桃線のローブの騎士が、ニヤッと不敵な笑みを浮かべる。
「こちらとしてもね」
ライラも負けじと笑みを返し、小包を少し掲げる。サナは恭しく頭を下げると「教授も来ていたのか」と赤面した。
「ツノ無し!丁度良い。ちょっとこっちに来い」
ナスルに引かれ、人集りの真ん中に立つ。何が始まるんだ?俺以外の人々も興味を抑えきれない様子で、息を呑んで二人の騎士を見つめている。ひりついた空気と、なんとも言えない緊張感。悪い事にならないと良いが……
「こいつの言い分で決着をつけようじゃ無いか!!!」
ナスルが俺の腕を掲げる。一気に解ける緊張感。歓声を上げる観衆。まだその議論を続けるのか?!と言う俺の疑問を他所に、「良いだろう」とサナも納得げな様子だ。
「私が見るに、この男はスパイス味を食べているな。論理的な理由を伺おうか」
サナが問う。論理的な理由?!シファーが買ってくれたからに他ないが、そんな理由では全く受け入れられないだろう。シファーを見る。緊張した面持ちだ。きっとこの回答次第で、今後の扱いも変わってくるのかも知れない。そう思うと、言葉に慎重に成らざるを得ない。
「これから人に会う事になっていたから、口周りを汚す訳には行かなかったんだ」
「そうか!」
結局さっきのシファーの受け売りだが、サナは満足そうに頷く。
「マナーを考えられる男の選択は違うな!兄貴はそうやって周囲を見れないから、人望に薄く組織を纏められない」
「勝手な事を!昨日の恩は忘れたのか?!」
ナスルの矛先がこちらに向かう。困った。想像以上にめんどくさそうだ。
「純粋に好みなら、タレの方が相性が良い……か?」
「優柔不断め!!」
次はサナの怒りがこちらに向く。
「騎士なら強い自分を持て!そして貫け!いつまで一般人のつもりだ?」
「もう何言っても詰みゲーじゃねーか!」
困り果てて叫ぶと、背後から男が近づいて来た。屋台のおじさんだ。俺の肩をぽんぽんと叩くと、二人の騎士に二種類づつ、それぞれの味を手渡した。
「なるほど、そう言う手もありか!」
「兄貴が馬鹿過ぎて気づかなかっただけだ」
サナは馬鹿にしたような顔をして両手の串を頬張る。素晴らしい助け船だ。観衆も拍手喝采を送り、おじちゃんは照れ臭そうに屋台に戻っていった。
一件落着だ。
辺りにほっこりした雰囲気が漂う。皆が今日の平和な事件に心安らいだ、その束の間。
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