第5話 茶番(1/5)

「ライラ!!今日からイサム、私のベットに寝るから!」

朝。寝ぼけた頭を掻きながら食卓につくと、何だかキッチンが騒がしい。どうやらシファーが何かお怒りで、ライラに抗議しているようだ。

「イサムったら、ライラの枕に顔埋めて寝てたんだよ!信じらんない!変な趣味に目覚めちゃったかも知れないじゃん!!」

「イサムが私のベットが良いって言ったんだ。大人の魅力ってやつかな……お子ちゃまのシファーには分からないよ」

「分かんない!!分かりたくもない!!!」

シファーは心底お怒りのご様子だ。バタバタとわざと足音を立てて俺の隣にくると、むんずと俺の襟を掴んで耳を奪う。

「ライラに洗脳されちゃダメだよ、体臭に惹かれるなんて野生的過ぎて誰も好きになれなくなっちゃうよ!ちゃんと私の部屋で寝て、清潔で文明的な幸せを満喫しよ」

気迫の籠った、しかし甘く柔らかな囁き声。一瞬背筋がゾクっとするが、呆けている場合では無さそうだ。大きな誤解が俺の印象をぶち壊す前に、真実を露わにする必要がある。

「何か勘違いしてないか?!ライラ!何て説明したんだ?」

「昨日の通りさ。ソファーに寝れば良いと言ったけど、私のベットに寝たいって泣き付いて来たよね?」

「大嘘だ!騙されるなシファー!」

ライラはどうも冗談好きらしい。いかにも嬉しそうなその様子に責める気にもなれないが、責めるシファーも口元が笑っている。もしかしてシファーも、分かっていて悪ノリしているのかも知れない。

「分かったよシファー。俺の負けだ、今日は君のベットで寝るよ」

「それが良いよ!」

シファーは満足そうに俺の背中をバシバシ叩くと、台所に朝食を取りに行く。かく言う俺は昨日家事をするとは言ったものの、まだ腰の痛みが抜けずライラの厚意で座ったまま朝食を待っているのであった。

しかし……魔女がいるような世界で、さらに魔法という言葉もちらほら聞くような場所で、あまりそれらしきものを見かけないのは不思議な気分だ。もっとこう、みんなが魔法で飛んだり、杖ひとつで朝食が出てきても良いんじゃなかろうか。

牛乳を運んできたシファーにそう尋ねると、シファーはむず痒そうな笑みを浮かべた。

「本当ならそう出来れば良いんだけどね、魔法をたくさん使うのは魔女、ってイメージがどうしてもあって」

「人々が魔女を恐れるあまり、魔法も同じように恐れられてる……って事か?」

「ううん、それもまた違うの。魔女に間違えられるのを恐れてるんだと思う。ほとんどの人が魔女なんて見た事ないから、勘違いなんて簡単に起きる。だからみんな人前で魔法を使うのを敬遠するんだと思う」

「まぁそれが一番の理由だろうね」

料理を運んできたライラが口を挟む。香草と海鮮の香りがするクリームスープと、焼き目がついた薄切りのパン。いかにも美味しそうだ。ライラはこれみよがしに持っていたお盆から手を離すと、お盆は空中にとどまった。お皿が舞い出てテーブルに収まり、パンが数枚ずつお皿に着地する。

「他の理由に、こうして物を動かしたりエネルギーを与えるのは簡単だけど、物を作り出そうとすると相当体力を使うってのがあるかな。魔女みたいな無限のエネルギーが無いと、人間には命を削る行為になる」

「なるほど、そうなるとあまり魔法を進んで使うメリットも無いわけか……」

「これだって、普通に手で運んだのと同じだけ疲れるからね!」

シファーも乗じてスープの皿を浮かべ、パンを一枚飛ばしてつまみ食いをする。ここまでは誰もが一度は夢に見る魔法の世界そのものだ。あつあつのスープの染みたパンが、猫舌のシファーの口にすっ飛んで行かなければ。

「あっつ!!!!」

思わずシファーはパンを撥ね飛ばし、浮く皿を引ったくって腹立たしそうに机に置いた。シファーの魔法が下手だったばかりに、皿とパンからしたら酷いとばっちりだ。普段魔法を使い慣れていないというのは、火を見るより明らかだった。

「でもそのせいで魔法をみんな使いづらくなって、魔獣に対抗する手段も騎士に頼る以外無くなっちゃったんだよ」

「そうみたいだな……」

シファーは火傷でひりつく舌をベッと出して、悔しそうに目を伏せる。

「昔は騎士以外も魔法で対抗したんだよ?今魔女が一気に攻め込んできたら、人類は負けちゃいそう!」

「それでも魔女が潜伏しづらくしただけ、悪い政策でもないと思うけど」

そんなシファーを見て、ライラは可笑しそうに笑う。

そんな訳で、結局魔法を使う事のない平凡な朝食が始まったのだった。


「そういえばさ」

台所から水の流れる音が聞こえてくる。朝食は見た目の通り、シンプルだがそれ故に技の光る至高のものだった。きっと、ライラなりの飾り気を見せない歓迎の意図だったのだろう。その効果は抜群で、俺に居候の気まずさなど忘れさせ、もうここで一生過ごす意思を固めさせるほどの物だった。

「メディル家の人に会いに来い、って言われて無かった?昨日」

シファーの声に我に帰る。会社に来い。彼はそう言っていたが……この世界にも会社があるのか?現世での苦痛な日々が思い出され、少々しんどくなる。

「ああ、シファーが詳しいような事を言っていたけど、知り合いか何か?」

「私じゃ無くてもこの辺の人ならみんな詳しいよ!メディル・ナスル、誠実の騎士。騎士はみんな同じ組織に属してるから、そこに来いって事だと思う」

シファーは得意げにいうと、俺の背後に歩み寄って腰に手を当てる。すると、驚くほど早く痛みが引いていった。この暖かな手から治療を受けるのは二回目だが……何度目になったとしても、この感覚だけは慣れないだろうと思う。

「プロで無理な傷だから治せはしないけど、当てて数分は痛みくらい取れるから!今日は私も全休だし、良ければ案内してあげるよ」

「悪いがそうして貰えると助かるな。ありがとう」

「全然いいよ!」

そう言うなりシファーは自室に戻ると、可愛らしい羽織り物と帽子を掴んで駆け降りて来た。鏡を見て満足げに帽子を整えると、俺を一瞥して訝しげな目をする。

そういえばこの世界に来てから一回も着替えていない。まだ一日弱とはいえ、シファーは気になって仕方がない様子だ。

「なぁ……この家に男物の服とかって、無いよな」

「無いね」

「じゃあしょうがないか」

「それも無いね」

顎に手を当てて唸るシファー。とてつもなく嫌な予感がする。シファーの服のセンスを見るに、中性的な服はあまり持ち合わせていなさそうだ。第一、あってもサイズが合わないだろう。背の丈が近いのはライラの方だが……どちらにせよ、異性に服を貸してくれなんて言えるわけがない。

「通販は無いのか?Amazonとか楽天とか」

「何かは分からないけど、多分無いね!というか、何で騎士なのにそんな服なんだろ……線路沿いのバラックとかに住んでそう!」

この世界の線路沿いに住んでいる人は知らないが、ともかく褒められていないのだけは明確だ。現状を確認するために恐る恐る鏡の前に立つと、言われるだけある薄汚れたシャツと簡素なズボンを履いた俺が映っている。確かにこれは、この街で信頼を集める騎士に会う格好では無さそうだ。

しかし不思議なことに、容姿は俺に間違いないのに服には全く見覚えがない。事故にあった時も通勤中だからスーツを着ていた筈だ。持ち物も何一つ無くなっており、あるのはみすぼらしい服とポケットの中にあった小瓶だけ。その辺は、転生を巡るオカルト科学で何とかなっているのだろうか。

「おや、ACCCに行くところかな?」

洗い物を終えたライラが、玄関前で渋る俺たちの様子を見に来た。手には何やら小包を持っている。

「ACCC?」

「エー・トリプルシー、Anti-crisis chartered company。魔王の危機に対応すべくイギリス王室が設立した、世界初の株式会社だよ」

「騎士は一応、みんなそこに属すことになってるんだ!」

「もう何百年も前のことになるけどね」

ライラはそう言うなり白衣を脱いでソファーにぶん投げると、クローゼットから不釣り合いな安っぽいコートを取り出して羽織る。少しカビの匂いを含んだ湿った空気が顔に直撃し、シファーが顔をしかめる。

せっかく美人なのに、面倒臭がりが高じて不潔なのは勿体無い話かも知れない。しかし顔とスタイルが整っているだけで、不思議と清潔感があるように見えてしまう。人類とは皮肉なものだ。

「おっと!騎士がそんな格好では、みんなに勘繰られてしまうね」

「え!ライラもそう言うのは気にするんだ?!」

着替え終わったライラはそう言うなり、「ちょっと待ってて」と言い残して地下室に降りていった。シファーは俺の服を見た時より訝しげな顔をしている。

「ライラがどんな服を持ってきても、断る権利はあるからね?最悪私のコートを肩にかければ、それっぽく見えない事もないと思うし」

「何かあるだけでもありがたいよ」

「本当にそう言ったのを後悔するようなものが出てくるよ……」

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