第3話 ツノ無し(3/4)
少女……ことシファーは嬉しそうに頷いた。こんな適当な挨拶で良いのか。思案に暮れるも、聡明なこの子に何か嘘を言っても通じる気はしないし、隠し通す事でも無いような気もする。
「その事なんだが……」
「お客さんかな?珍しいね」
突如床板が開くと、ドアを押し上げるようにして地下室から銀髪の女性が出てきた。
全てを「美しい」という言葉で形容できてしまうほど、完璧な容姿だ。滑らかな銀髪に白く長い睫毛、グレーの瞳には淡い紫の光が宿り、どこか物憂げに見える。しなやかな指で髪を掻き上げると、彼女は持っていたファイルをテーブルに置き、椅子を引っ張ってきて腰掛けた。
「紹介するね。私の先生、ミンセル・ライラだよ。育ての親でもあるけど、大学で教鞭を取る教授でもあるんだ!」
「全部言われてしまったね」
長身の彼女……ライラはふふっ、と笑うと丁寧なお辞儀をした。営業の時の反射で、つい立ち上がってお辞儀を返す。
「えっ!腰をやってるのになんでわざわざ立ち上がってお辞儀をするのさ!」
「いいんだよ。そう言う習慣の国もあるんだ」
「変なの……」
痛む腰を抱えて席につく。ライラを見つめる俺の視線に気づいたシファーが、肘で突いてくる。
「そんなに珍しい?銀髪の人」
「違う。綺麗な人だなぁ……と思って」
「きれい?!先生が?!!寧ろ不潔だって!白衣だってほら、きっと半年は洗濯してないよ」
そう言われてよく見ると、白衣にはところどころ食べ物をこぼした後があった。爪も伸ばしっぱなしだし、断じて清潔とは言えなそうだ。しかし当のライラは、照れ臭そうに笑う。
「ありがとう。そう言われたのは初めてだから、ハグをしてあげよう」
「ちょっと!どーせまた長らくお風呂にも入って無いんだ!絶対くっさいよ」
「三日前に入ったばかりだよ」
「毎日入って!お願いだから!」
「ハグは冗談だよ」
しかし、シファーとライラは同じ一つ屋根の下で暮らしていると言うのに、容姿から態度まで正反対だ。ライラのお淑やかな印象と比べ、シファーはザ・元気!と言う感じ。シファーも改めて見つめるとくりくりとした可愛らしい目をしていて、柔らかそうなほっぺをしている。これもこれで……
「何か野暮なこと、考えてたりしないかな」
「いや!何も!断じて!!」
「シファーは自慢の娘だからね、易々とはあげないよ」
「何の話なの?!ねぇ!」
ライラはまたふふっ、と笑う。シファーはなんだかずっと考え事をしている様子だ。しばし唸った後、どうにも納得ができないという様子でつぶやいた。
「ねぇ先生、『そう言う習慣の国もある』って、どう言う意味で言ったの?」
「鋭いね」
そういえば意識していなかったが、俺はライラには何も話していない。シファーの中では田舎から来た事になっている様だが、ライラはどう思っているのだろうか。
「私はね、この客人は只者ではないと思っているんだ」
唐突にライラは言い、席を立って積み重ねた書類の束から一枚の朱色の小紙を取り出した。試験紙の、類だろうか。どうにも元の世界で見たものに類似性を感じる。
「私の理論によれば、世界は時間軸上に多数存在する」
「折り畳み次元論だね」
「そう、その通り」
ライラは紙をピラピラと振ると、満足そうに頷く。大学の教授をやっているとだけあって、博識な様子だが……俺の知らない世界の理を説かれても、俺には理解できそうにない。
「知っての通り生命は、魂と肉体に分離される。現界に質量を持つ肉体は並行世界を移動することは出来ないけど、エネルギーとして振る舞う魂は、環境からエネルギーを借りる事で世界の壁を越えることが出来る」
「最近やった!トンネル効果だ。粒子が自分より高いエネルギー障壁を超えれる、ってやつだよね」
――待て。トンネル効果は俺も習った。量子力学だ。こんな魔獣だの魔女だのと言う世界で、大学レベルの量子力学の話を聞く事になるとは思ってもいなかった。
「なぁ、まさか魂だけなら並行世界をトンネリングして移動できる、って言いたいのか?」
「ご名答だね。君もそれなりの知識人の訳だ」
俺は死んだ。前の世界で電車に轢かれて死んだ。それでも今ここで生きている。死んで肉体から離れた魂が、量子力学的な確率でこの世界に移ったと言うのか。
にわかには信じられないが、今現実に起こっていることを考えるに、頭ごなしには否定できない。
「それで〜?!魂だけなら世界を移動できるって話はさておいて、イサムと何の関係があるのさ」
「そこでこの子の登場だ」
ライラは色紙を掲げると口元に運んだ。ニヤッと笑うと口を開け、舌を出す。唾液の滴る、妖艶な長い舌。まるで他の生き物のように、ランプの灯に煌いている。
ペロリ。
色紙を舐める。朱色は水を含んで深みを増したが、それ以外これといった変化はない。
「この通り、この試験紙には特殊な薬品が染み込ませてあるんだ。この通り私が舐めても変化は無いが、君が舐めると……どうなるかな?イサムくん」
不気味な笑みを浮かべると、ライラは自分が舐めた唾液の滴る試験紙をこちらに差し向ける。恐る恐る受け取ると、液体が指に糸を引いた。
「衛生観念!!やめときなよ、ばっちいよ!虫歯が移るよ」
「失礼な。私の唾液は綺麗だよ。虫歯一つ無いし」
あーっ、と指をほっぺに引っ掛け、舌を出して口の中を見せてくる。綺麗な口だ。虫歯ひとつないどころか、白い歯が透き通るようだ。
「なんたって若い男女は、間接キスとか言って喜ぶところじゃないかな」
「それとこれとは別だと思うよ!新品を渡すべきだよ」
「残念ながらこれ、一枚作るのにかなりの時間とお金がかかるんだ……洗っても良いから、それで試して欲しい」
「分かった。舐めるだけで良いんだな」
おもむろに色紙を口に含む。すると口いっぱいに、何とも言えない甘さが広がった。鼻腔に抜ける良い香りは、どこかで嗅いだことがあるような安心感がある。
どこかで……?
「げぇ〜〜っ、変態だぁ……味わうなよ……」
「それで?どうなったかな」
「ん」
色紙を口から出す。変わらず濃い朱色のままだ。シファーは首を傾げるが、ライラはニヤニヤしながらこちらを見ている。
「そろそろかな」
いきなり色紙から湯気が上がったと思うと、煙草の火が燃え広がるようにチリチリと音を立て、紙が青色に変わり始めた。時折青い火花が音を立てて煌めき、空気中に溶けていく。
「どう言う事だ?これは……」
「これには並行世界から移動した時に付随する、タウニュートリノに反応する物質が塗ってあるんだ。舐めて反応したから間違いないね」
「え、って事は……イサムは異世界から来た、って事?」
「そう言う事になるかな」
シファーは信じられない、とでも言うように目を丸くする。どうせ「この世界の出身じゃない」なんて言っても信じてもらえないだろう、そう高を括って忘れたと言っていた俺にとって強力な助け舟になった。
「じゃあ、来る途中で記憶を失っちゃったのかな」
「いや……それは嘘なんだ。どう言っても信じてもらえないと思って……」
「なんだ、そういうことね!騎士だから何か言えない事情があるのかなーって思ってた!」
さすがシファー、聡明だ。忘れたなんて言い訳は最初から信じておらず、話を合わせてくれていた訳だ。一連の会話を聞いていたライラが納得したように頷く。
「なるほど、君がツノなしの騎士だったんだね。じゃあ尚更、この事は隠しておいた方が良い。初めて来たのがうちで良かったね」
一息ついて飲み物を啜る。すっかり冷めてしまっているが、フルーティーで豊かな香りだ。美味しい。とりあえず、この世界の食べ物が口に合いそうで安心した。
「ごもっともだな。ありがとう」
「良いんだよ〜〜!異世界から来たんなら、居場所が必要だよね!うちに居れば良いよ」
「現状それしか手段はないね、イサムくん。騎士として仕事を受けれればお金に困ることは無いだろうが、立場は私たちが保証しよう」
「ツノ無しの騎士が身元不明じゃ、きっと他の騎士と戦う事になるよ!」
そういえば、先ほどからツノなしの騎士について話を聞く度に、はぐらかされている気がする。頭を抱える俺を見かねてか、ライラは本棚から厚い本を一冊取り出して椅子を寄せた。
「魔女とか騎士の話はこの世界では当たり前だから、話を省かれて理解に苦しんでいるかな。そんな君に、読み聞かせをしてあげよう」
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