第2話 ツノ無し(2/4)

轟音とともに晴れた視界には、自分の物とは思えない、外骨格のようなもので覆われた体があった。不気味な光を放つ黒い大きな鱗が、呼吸に合わせて動いている。腕も足も手も顔も全部、全身が変質しているようだ。

……本当にこれが、俺の体なのか?

「すご!!お兄さん騎士だったんだ!!魔獣なんてやっつけちゃえーー!!」

あまりの興奮からか少女が叫んでいる。不思議なことに、立ち上がっているのに砕けた腰は少しの痛みもなく、当たり前のように動く。

「騎士?!何の事だ??!」

「何言ってんの?!その格好で?!」

「戦うって、剣とか武器は?!」

「騎士なら拳で戦いなよ!ぶん殴るんだよ!」

あまりに戦いとして原始的じゃないか、と言う疑問を他所に、魔獣が今だとばかりに襲いかかって来る。

「危ない!」

魔獣の攻撃が、大きな音を立てて火花を散らす。しかし、攻撃された部分は少し痺れる程度で痛くも痒くもない。

これなら……本当に拳だけで行けるかもしれない。

「よし!やってやるか!!」

拳を握る。勢いよく突き出す。しかし相手も動きが早い。脇腹を掠めたと思ったら、すれ違って背後を取られる。

「後ろ!蹴っ飛ばしちゃって!!」

「おらァ!」

不安定な体勢の、した事もない後ろへのヘロヘロキック。しかし、足先は確かにその影を捉えた。

「そこだッ!」

何かが砕けるくぐもった音がする。軸足を中心に振り返ると、魔獣の腹が灰のように崩れ、風に舞って散っていく。すかさず顔を殴る。グニャリと首が曲がり、また灰のように崩れていく。

「肩の顔をやらないと復活するから!他は意味ないよ!」

「おう!」

顔に全神経を集中する。魔獣もそれを察知してか、肩を庇って後ろに下がる。しばし睨み合いが続いた後、先に踏み出したのは、俺だった。

「やっちゃえーーー!!」

「おおおおぉぉぉッ!」

狼の横ッ面を、下から思いっきりぶん殴る。顔が捻れ、苦痛に歪むと同時に空高く跳ね上げられる。音を立てて落ちたその身体から大量に灰のような粉が崩れ落ち、宙に舞って消えた。

「やったじゃん!!おめでとう〜〜〜!!!」

観衆が駆け寄ってくる。本当に終わったのか疑心暗鬼になる矢先、灰が崩れ落ちた魔獣の中から倒れた人間が露わになった。

「人……なのか?」

「そうだよ。こうなっちゃったら、もうどうしようも無いんだけどね」

観衆の中の一人が、静かに元魔獣だった人間に布を被せた。肩には十字の紋章をつけている。少女はその観衆に恭しく頭を下げると、俺の手を引っ張った。

「魔女はね、人の価値観に付け込んで魔獣を作るの。自分と違う考えの人を嫌う、人間の本能を利用してね」

悲しそうな横顔。魔女だの何だのはまだ判らないが、彼女の過去にも何かあったのだろう。しかしそれを今聞くのは、野暮この上ない事であるのは明白だった。


観衆が何かに気づいたようにざわめき出した。周囲が急に明るくなる。どうやら、魔獣発見時に呼んだ騎士が今になって到着したようだ。

「これは……どう言う状況だ?報告を」

白に青線のローブを纏った男が先陣を切って歩いてくる。その後ろに、照明や武器を持った取り巻きが整列して待機している。

「管理外の魔獣が一体発現、未確認の騎士が処理しました。損害二名、トリアージ黒」

「把握した。出所はお分かりか」

元魔獣の人間に布をかけた男が、円滑に解答する。どうやら男も、騎士の組織の構成員らしい。

「ムリエルの魔獣です。肩に狼の顔が」

少女が答える。不意を打たれたようにローブの男が振り返り、こちらを見る。

「それなら間違い無いな。学生さんかな?」

「はい。東統大一年、飛び級です」

「そうか」

ハキハキと答える少女に、ローブの優しそうな男は苦笑いをする。部下に一通り指示を出した後少女に向き直ると、トーンを落として囁いた。

「お嬢さん。復讐に労を費やすのは、あまりおすすめしないよ」

少女は黙って下を向く。ただ、その言葉の重みを、俺はこの数時間の事件から十分理解できた。この世界には、一般人が立ち向かえない程の理不尽が存在するのだ。聡明な彼女ですら、それが叶わないほどの。

「ところで……見知らぬ騎士さん。我々の事はご存知か?」

ローブの男がこちらを振り返る。俺に聞いているのだ。さっき少女も、俺のこの姿を見て騎士と呼んだ。

「いや……ついさっき、こちらに来たばかりでして」

頭を掻く。知らないどころか何もわからない、なんせ元の身体に戻れるのかすら判らない。ローブの男は俺の体を隅々まで眺めた後で、「そりゃそうか」と呟いた。

「今まで何回されたか解らないが、そのドレスアップ方法は危険だ。直接体内に取り込めば、命を直に削ることになる」

ローブの男が歩み寄ってくる。と、男の胸にも青い宝石のような小瓶が掛かっているのが目に入った。それと同時に、胸に奇妙なベルトをつけている。

「傷が癒えたら、ぜひ我が社にお越し頂きたい。きっとお連れの少女が詳しいだろう……」

言いかけて男は首を捻る。

「初めてのドレスアップだったりするのか?元に戻る方法はご存知で?」

「それが何とも……」

「ドレスアップする時に、特定の部位に瓶を当てた筈だ。そこに意識を集中して瓶を取り出してみろ。……ライトを」

照明が俺に集中する。意識を?どうやって?と思案に暮れている間もなく、闇に溶け込んでいた俺の黒い外骨格が露わになる。と、外野のざわつきが大きくなり始めた。

「嘘だろ……」

「おい、見ろよ……お伽噺じゃ無かったのかよ」

その声に、体を観察していたローブの男も顔を上げ、目を見開いた。

「……ツノ無しの、騎士!!」

その場の空気の冷たさは、魔獣が現れた時とは比べ物にならないくらい、冷ややかな物だった。


「騎士にはね、ツノがあるんだよ」

ソファに腰掛ける俺に、少女が温かい飲み物を運んでくる。結局元の姿には戻れたものの、怪我を無視できるのは騎士になっている間だけらしい。フードの男……ナスルと名乗った騎士の専属救命士に腰の骨を治癒してもらったものの、プロでも限界はあるようだ。痛みを感じなくなるまでには、一週間ほどかかるとの事だった。

「たとえばさっき会った騎士、メディル・ナスルは一本のツノ。その妹で、この辺を統べてる騎士会社、ACCCのトップ騎士メディル・サナは二本のツノ、とか」

「ツノの本数が何か示してるのか?」

「いや、別にそうじゃ無いんだけどね。ツノ無しだけは特別なんだ」

少女は自分のコップを俺のコップの隣に置くと、大丈夫?とだけ聞いて俺の隣に座る。俺の腰を気遣っているようだが、痛みだけで特に支障はない。すごい技術だ。

「狭い家でごめんね〜〜、先生と私だけで暮らしてたから、二人以上のスペースは無いんだよ」

「むしろ申し訳ないよ。それより名前、聞いてなかったな」

「そうだよ!私も聞きそびれたって思った!私はシファーだよ。アリリア・シファー。東統大魔法学部、魔術師専攻の一年生。よろしくね」

大学生か。さっきも思ったが、こんな世界にも大学があって学問がある。自分のいた世界と、あまり違いは無いのかも知れない。

「俺は勇武(いさむ)って言うんだ。幕安(まくあ)勇武(いさむ)、名前以外は忘れてて思い出せない。こちらこそ宜しく、世話になってすまないな」

「イサムね!いいのいいの。私魔術師専攻だし、騎士には興味があるからね」

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