≪隼人≫1
九月になった。
この家に引っ越してきてから、半年が経ったことになる。
夕飯を食べてから、居間の座卓で、プラモデルを作っていた。
二階のプラモ部屋でも作れる。でも、俺がひきこもってしまうと、護がさびしがるんじゃないかと思って、居間で作業することにしていた。
のんびりした、穏やかな時間だった。
護は、俺の正面にいた。コンビニに置いてあるような、無料のバイト情報誌をめくっていた。
少し前から、バイト先を探しているらしい。
仕送りの額を増やしたいと言っていた。健気だなあ、と思った。
「隼人さまは、女性と恋愛はしないんですか」
「んー? なに。急に」
「この家に遊びにいらっしゃるのは、男性の方ばかり。まさか……」
「ごめん。期待を裏切るようで悪いけど、ゲイじゃない」
「あ、そうですか」
「今は、自分のことだけで手一杯だよ」
「なるほど」
「年下の許婚がいるって、聞いたような気もするけど……。よく分からない。
メイド長と執事長が話してるのを聞いた。お母さまたちから聞いたわけじゃない」
「そうなんですか! 許婚が……」
「護も知らなかったのか」
「ええ。もちろん」
「そうだよな。あっちには、一日、泊まっただけだったか」
「そうですよ。先輩から……草野さんから、てきとーな仕事の説明されて。てっきり、ブラック屋敷かと」
「なにそれ。新しいな。ブラック企業の、屋敷版か」
「です」
「許婚か。どんな人なんだろうな。……なあ、護」
「はい」
「お前は、自分が選んだ人と、ちゃんと恋愛をして、結婚して、幸せに暮らしてくれ。
俺には、たぶん、できないことだと思うから」
「はい……!」
「だから、うるうるするなって」
困惑してしまう。ずいぶん、俺にやさしくなったなあと思った。
「聞いても、いいですか」
「うん?」
「この家で暮らす、目的っていうか……。一番したかったことは、なんでしたか」
「うーん。自分探し」
「……は?」
「本当の自分はどこにいるのか、知りたかった。
あの家を離れて、なにも持っていない俺に、どんなことができるのか……。
俺は、どんな俺になりたいんだろうかって」
「答えは、見つかりましたか」
「うん。護のおかげで」
「はい? 嘘ですよね。それ」
「嘘じゃないよ。
先月に、護がひどい風邪を引いただろ。
会社を休んで、護を看病してる時に、分かったんだ。
俺は、たくさんの人から気づかわれながら、ひっきりなしに世話をされたいんじゃない。俺自身が、誰かを気づかったり、世話をしたりしたいんだよ。
人の役に立ちたいんだ。人から必要とされたい。ただ、それだけのことだった」
「ご立派です」
「嫌味に聞こえるな。それ」
「ちがいますよ!」
「分かってる。
ありふれた夢だよ。人から、『ありがとう』と言われたい、なんて。
あの家にいると、それだけのことが、とても難しくて……。
あとは、とにかく自由になりたいっていうのも、もちろんあった。
なにしろ、自転車にすら、乗れないから」
「それ、ずっと気になってたんですけど。なんで、なんですか」
「お母さまの妹が、三才の時に、補助輪つきの自転車に乗って、屋敷の外に出てしまった。屋敷に向かってくる、配達のトラックに轢かれて、亡くなったらしい。
だから……。俺には、乗らないでくれって。
俺に、そう言ってきたのは、メイド長だったけどな」
「はあ……。確かに、悲劇的ですけど。納得いかないですね」
「そうかな。俺は、お母さまの気持ちを尊重したいと思った。
だけどな、護。自分を殺し続けると、だんだん、本当に、死んでいくような感覚に襲われるようになるんだよ」
「ぜんぜん、納得してないじゃないですか」
「まあ、自転車だけじゃないよ。やりたいことの、ほぼ全部が禁止されてたから。
プラモデルが欲しくて泣く御曹司なんか、いないぞ。世界中、探しても。たぶん」
「泣く前に、買ってもらえるでしょうね。他の方々は。
なんで、だめなんですか?」
「アニメのロボのプラモデルは、低俗なんだってさ」
「それ、誰が言ったんですか?」
「メイド長と執事長が。
その頃は、メイド長と執事長じゃなかったけど。俺が十五才になるまで、あの二人が、俺の世話係だった」
「……なんか、へんですよ。旦那さまと奥さまの話じゃなくて、メイド長と執事長が悪いって話ですか? これ」
「まあ、そうなんだよな。
貧乏人の俺が気に入らなくて、いじめたかったのか。それとも、よかれと思って、そう育ててくれたのか。真相は、藪の中だ。実際はどうだったのか、知りたいとも思わない。あんまり、関わり合いにもなりたくないし」
「きーっ。にくたらしい。僕が、言いましょうか? 旦那さまに」
「いいよ。本当に言いたかったら、自分で言ったし。
それに、こっそり買って遊んでたから。自分がもらったお年玉で」
「そうなんですか?」
「うん。ミャーと飯田が協力してくれた」
「なんで、猫とメガネが?
それ、いつごろの話ですか?」
「そのあだ名、本人たちには言うなよ」
「あっ。すみません。うっかり」
「まあ、怒らないとは思うけどな。
ミャーは幼稚園の時の友達で、飯田は小学校の時の友達。
私立の難関校の中学で、ぐうぜん一緒になってさ。
名字が変わる前の俺のことを、覚えててくれて。俺の話を聞いて、同情してくれた。
あいつら、頭いいんだよ。俺はコネ入学かもしれないけど、あいつらは実力だよ」
「猫と、メガネがあー?」
「あんまり、バカにするなよ。本当なんだって。
俺のために、プラモデル部を作ってくれたんだよ。完成したやつは、飯田が、自分の家に持って帰ってくれてさ。大事に取っておいてくれてたのを、この家に引きとったってわけ」
「あー……」
「今は、もう売ってないやつばかりだからな。絶対、壊さないでくれ」
「はい。わかりました」
「触らなければ、そうそう壊れたりはしないから」
「プラモ部屋には、こんりんざい、入らないことを誓います」
「いいんだけどな。見るだけなら。べつに。
飯田は、アニメが好きでさ。録画したのを、まとめて見せてくれてた。
団地に住んでた頃に、隣りに住んでるおじさんが、そういうのが好きな人で。俺のために、録画してくれてた。それで、アニメが好きになったんだけど……。
施設にいた頃は、談話室にテレビがあったんだよ。そんなに広くもない部屋なんだけど、こたつがあって、みんなで、ぎゅうぎゅうに詰まった感じになって、テレビを見てた。楽しかったよ。
あっちの家には、個室にはテレビがなくて……。
テレビが置いてある部屋も、あるには、あるんだけど。1と2しか見られなかった。チャンネルが制限されてたんだよ」
「ほんとですか?」
「ほんと」
「うげー」
護は、すごく嫌そうな顔をした。
「朝ドラと、大河ドラマと、健康番組には詳しいよ。あと、園芸とクラシック音楽。
そのへんのことなら、何でも聞いて」
「聞く必要がないです。いらないですよ。そんなの」
「そうか」
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