5.貧乏性の御曹司、年下執事の逆襲に遭う

≪護≫1

 すっかり夏だ。

 蝉の声が、よく聞こえる。

 昨日は、隼人さまがスイカを買ってきたので、二人で食べた。



 隼人さまは、こまかい。

 ちょっとでも、部屋の灯りをつけっぱなしにしてると、すごく嫌がる。

 皿洗いの時の、水の出しっぱなしについては、気をつけるようにはしてる。でも、たまに、洗剤をつけてる時に、止めるのがおっくうで、出しっぱなしにしてしまったりする。

 どなられたりするわけじゃないけど、しぶい顔で、「気をつけて」って言われるのは、わりとこたえた。

 お金持ちのくせに、どうして、こんなに貧乏性なんだろうか。本物の貧乏人の僕より、ひどい。


 今日も、叱られてしまった。

 風呂の蛇口が、ちゃんと、しまりきってなかったらしい。

 昨日、後から入ったのは僕だったので、いいわけのしようがなかった。

 二人で居間にいる時に、注意された。「気をつけて」って。


「すみません……」

 謝ったけど、このていどのことで、なんで、いちいち叱られるんだろう、とも思った。

 うちでは、こんなことで叱られたことなんか、なかった。僕が、今よりも、もっと、しっかりしてただけかもしれないけど。それか、母さんが、僕に言わなかっただけかもしれない。

「うんざりしてるだろうけど。俺も、うんざりしてるから」

 かちーんときた。

 こっちこそ、うんざりだよ!


「もう、うんざりですよ。

 水のこととか、灯りのこととかで、いちいち、叱られて……。

 お金は、いっぱいあるじゃないですか。あなたは、いくらでも、持ってるじゃないですか。

 これだけ恵まれてるのに。どうして、自ら望んで、貧乏人みたいになろうとするんですか?」

「……」

「なんで、御曹司が貧乏性なんですか!

 貧乏がいやで、お金持ちの家に住もうと思った結果が、古い民家で貧乏ぐらしですよ。

 はずれの、大はずれのご主人さまです。がっかりですよ!」

 言ってから、あー……と思った。

 言ってはいけないことを、言ってしまった。

 すぐに、怒られると思った。でも、怒られなかった。

 なんで?


「どうして、俺が貧乏性だか、知りたいってこと?」

「……です」

 これ、クビになるやつだな……。わかってたけど、口から吐いた言葉は、とりかえしがつかない。

 どうせ辞めることになるんだったら、いっそのこと、貧乏性になった理由を知ってやろうと思った。ずっと、気になっていたし、知りたかった。

 隼人さまが、長いため息をついた。


「それはな、護。

 俺が、パン屋のおばちゃんからもらったパンの耳や、八百屋のおっちゃんからもらったキャベツの、外側の固いところで、どうにか食いつないできたからなんだよ」

「……はい?」

「水道もガスも止められて、公園のトイレで体を洗ったこともある。

 お前の貧乏自慢なんか……。しょせんは、給食費が用意できなくて、一人で泣いたこともない、いいところのお坊ちゃんのたわごとにしか聞こえねーよ!」

「えっ……。えっ?」

「俺は、御曹司なんかじゃない。

 団地生まれの団地育ちだよ。母さんはシングルマザーで、父さんは、はなからいない。

 施設で生活していた経験もある」

「えぇえー?」

 なんだ、それ!

「西園寺家に、養子としてもらわれただけだ。

 贅沢な暮らしに放りこまれた代わりに、俺は、全部失った……!

 友だちも、自由な暮らしも、なにもかも! 全部! 全部だ!

 好きな遊びもできなくなった。自転車すら、乗れなくなった。

 出歩くことも、電車に乗ることも、なにもかも禁止された。

 金で買われたのと同じだ。いくら、金があっても。多額の遺産がもらえるって言われても、俺は、ちっとも嬉しくない……。

 自分の好きなことを、自分の思ったとおりにできないなら……。なにもかも、人に決められたとおりにしか、生きられないとしたら。それは、奴隷と同じだ」

「はあ……」

「安定した暮らしとひきかえに、俺は、人生を奪われたんだ。

 あの家にいたら、お行儀のいい、礼儀正しい、笑みを絶やさない御曹司を演じ続けなきゃいけない……。

 俺は、自由が欲しかったんだ。それ以外は、なにもいらなかった。

 俺には、親はいない。本当の家族は、もう、ひとりもいない。

 実家に帰れば、かわいい妹たちと、やさしいご両親に会えるお前に、分かるのか。俺が抱えてる痛みが、本当に分かるのかよ!」

「……」

 よく考えてから、答えた。

「すみません。わかりません」

「……だろうな」

「あと、父さんは入院してるから、実家にはいません」

「そうだったな。ごめん」

 先に、謝られてしまった。うわっと思った。

 この人は、ひとがよすぎる。もはや、心配になるレベルだった。

「ごめんなさい。許してください」

「いいよ。べつに」

「許してください」

「もう、許した。怒ってもいない」

「好きでもなんでもないと言いましたが、あれは嘘です」

「分かってる。訂正しなくていいし、逆の言葉も言わなくていい」

「なぜですか」

「だって。『好きです』って言ったら、なんか、へんな感じになるだろ」

「……そうですね」

「俺を嫌いじゃないなら、それでいい。いつか、俺は……。きっと、あの家に戻らなきゃいけなくなる。

 その時に、護が嫌でなければ、俺の執事を続けてくれればいい。続けなくてもいい。

 好きにすればいい。たった一度の人生なのに、誰かや何かに縛られて生きるなんて、ばかげてる。

 自由でいてくれ。俺が護に望むのは、それだけだよ」

 泣きそうになった。

 母さんが言ったようなことを、なんで、この人が、僕に言ってくれるんだろうって、思って。


「隼人さま……!」

「やめろ。うるうるするな。こわい」


 はずれじゃなかった。大当たりだった。

 二重人格じゃなかったんだ。本当の自分を押し殺して、御曹司を演じていただけだったんだ。

 パーティーの前日に髪を切って、しょぼくれてた姿が頭に浮かんだ。

 プラモデル作りも、自転車いじりも、ぜんぶ、ずっと、やりたくてもできなかったことだったんだ。


「聞いても、いいですか?」

「いいよ」

「あちらのおうちから、援助とか、なかったんですか?」

「ない。断ったから」

「えぇええええー……」

「この家は、俺の給料を貯めて、俺が自分で買ったんだよ。

 家具も、家電も、なにひとつ、親に買ってもらったりはしてない。

 友達とか、これまでに知り合った人から、贈ってもらったものはあるけど」

「そう……だったんですか」


 ご両親に頼りたくないから、ぜんぶ、自分のお金だけで暮らそうとしてたんだ。

 食費も、光熱費も、なにもかも、自分のお給料から出してるのは、わかってた。

 でも、それとはべつに、援助されてるんだと思っていた。

 なかったんだ。なにも、なかった。

 自分の力だけで、生きようとしてたんだ……。


 水を出しっぱなしにしたら、怒られるのは、あたりまえだった。

 こまめに灯りを消すのも、あたりまえだ。

 高級牛肉とか買ってしまって、本当にごめんなさい……。


 はっきり言ってしまうと、そばでうろうろしてるだけの僕は、この人のお荷物だったんだろう。だけど、一度も、じゃけんにされたことはなかった。

 叱られることは、あっても。

 つかず離れずの距離から、見守っていてくれた。

 はじめて会った日から、ずっとそうだった。


 これまでの印象が、ぐるっと反転した。

 もう、僕の心の中のどこにも、嫌悪感とか、お金持ちが貧乏人のまねごとをしやがって、みたいな、バカにした気持ちはなかった。

 この人、やばい!

 まじ、はんぱない!

 かっこいい!


「隼人さまっ」

「……なに?」

「一生、ついていきます……!」

「だから、重いんだって」

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