≪護≫2

 控え室を探して、隼人さまをつれていった。

 顔が青ざめていた。もう、帰った方がいいじゃないかと思うくらいだった。

 革張りの椅子に座ってもらった。


「大丈夫ですか?」

「うん。ごめん。気を使わせて」

「それは、いいんですけど……」

 パーティー会場での隼人さまは、御曹司だった。

 それは、一度会場から出ていって、たぶん、なにかがあって、へこんで戻ってきた後でも、そうだったと思う。

「聞いても、いいですか」

「いいよ」

「戻ってきた時から、様子が、へんだと思ったんですけど……。

 なにか、あったんですか?」

「ロビーに、会社の人がいた」

「はあ……?」

 それで、へこんでたのか。どうして?

 会社の人に会ったら、こんなふうに、具合が悪くなるのか?

 考えてみたけど、さっぱりわからなかった。

「会社で、つらい思いをされてる、とか?」

「違う。そういうことじゃない」

 思わず、といった感じで、笑われてしまった。

「ブラック企業だと思った?」

「……思いますよ。すごい、様子がおかしくなったから」

「俺が言わなくても、察してくれたんだな。それは、ありがたいし、嬉しい」

 とっさに、言葉を返せなかった。おせじとかじゃ、ないんだと思ったから。

 僕がだまりこむと、隼人さまもだまった。



 三十分くらい休んでから、会場に戻ることになった。

 立食の料理のテーブルまで、僕をつれていってくれた。

「食べて。お腹、すいてるだろ」

「食欲、ないです」

「少しだけでも」

「いいですけど。隼人さまも、食べてくださいよ」

「分かった」


 二人で、ホテルの料理を食べた。おいしいんだろうけど、あんまり、味がしない。

 隼人さまも、実は、僕と同じような気持ちでいるんじゃないかなと思った。


 入れかわり、たちかわり、いろんな人が、隼人さまに声をかけてくる。

 圧倒的に女の人が多い。女の子も。

 よりどりみどりだな、と思った。同時に、この人は、この状況を、ちっともうれしいとは思ってないんだろうなってことも、わかった。

 プラモ部屋で、ロボットの配置をえんえんと直してる時の方が、ずっと、ずっと、うれしそうだった。


「ところで、旦那さまや奥さまは、いらっしゃらないんですか?」

「分からない。俺は、お母さまたちの予定を、完璧に把握してるわけじゃない」

 小声で、答えが返ってきた。

 隼人さまが、すごく疲れたような顔をした。ほんの数秒だけ。


「隼人さまっ」

 かわいらしい声が、後ろから聞こえた。次の瞬間、ものすごいイケメンが現れた。

 にこやかにほほえむ隼人さまが、そこにいた。

 みんな、だまされてるんだなと思った。

 この人、さっきまで、自分のことを「俺」って、言ってました。すごく自然に。

「琴子さん。こんにちは」

「こんにちはーっ。お食事、お持ちしましょうかっ?」

「いえ。お気持ちだけで」

 「お気持ちだけで」って、すごい言い回しだよな……。

 じっと見ていると、小さな声で、「見すぎ」と言われた。

「はわー。いつものことですけど、すてきですっ」

「いえ。そんな」

 笑顔は、くずれない。それでも、僕には、わかってしまった。

 この人は、自分の感情と反対の表情を作ることができるんだって。

 本当に、笑っているように見えた。

 だけど、心は笑ってない。そのことが、痛いほど伝わってきた。


 琴子さんは、一方的に隼人さまに話しかけ続けてから、とうとつに離れていった。

「すごいですね。お話が、ぜんぜん、頭に入ってこなかったです」

 隼人さまの返事はなかった。



 隼人さまが言っていたとおり、芸能人の人もいた。一人じゃなくて、五、六人は見た。

 うわー、すごいなと思った。でも、それだけだ。

 僕とは関係のない世界の人だなと思うだけだった。

 テレビに出てる政治家の人も、何人か見かけた。

「有名人ばっかりですね」

「そうだな」

「まひしてきます。なんか」

「うん?」

「ありがたさが、なくなるっていうか……」

「うん。分かるよ」

 わかるんだ……と思った。そのことに、びっくりした。

「人あたり、しますね」

「休憩しよう」

 僕を口実にして、逃げるつもりだなと思った。


 ロビーの、はしっこの方のソファーで、きちんと座ってる隼人さまの前に立っていた。

 僕の体で、この人を隠してやろうと思って。

「途中で帰ったり、できないんですか?」

「してもいいけど。後から、つっこまれるのが面倒くさい」

「つっこまれるんですか」

「どうかな。俺が、そう思いこんでるだけかも。

 君をつれてきたのは、失敗だったな」

「……なんでですか」

「うまく、仮面を被れない。ひっぱられる」

「ひっぱられる?」

「そう。君と普通に接してる時の、俺に」

 それって、どういうことなんだろうか。

「よく、わからないですよ。それ」

「いいよ。分からなくて」

 僕なりに、わかろうとしたのに。勝手に、あきらめられてるみたいだった。


「君も、座って」

「え」

「顔色が悪いのは、君もだよ」

「そうですか?」

「うん」

 少し迷ってから、隼人さまの横に座った。

 隼人さまの顔を、横から見つめた。

 きれいな顔は、苦しんでいるように見えた。

「なにか、僕にできることって、ありますか?」

「うん? うん……。

 あると思う。だけど、話すのが……」

「話す?」

「ごめん。大丈夫」

 ぜんぜん、大丈夫じゃなさそうだった。

 もっと、頼ってくれてもいいのに。そう思ってから、無理なんだろうなと思った。

 僕みたいな、高卒の、フリーターくずれみたいなやつじゃ、この人を助けてあげられない……。

 自分で思ったことに、自分でびっくりした。

 お金持ちの御曹司を、なんで、僕が助けなきゃいけないんだ。

 でも、僕の横に座っている人には、助けが必要そうに見えた。そのことだけは、たしかだった。

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