≪護≫2

 いつも、誰かがいる。

 いらいらする……。


 隼人さまと二人だけの時には、こうじゃなかった。

 僕は、ひとみしりをする方なんだろう。初対面の人が、ひんぱんに遊びにきたり、泊まっていったりするのが、すごくつらい。

 旅館に就職したつもりは、なかった。



 七月になった。次の月曜日が海の日で、三連休になる週末に、猫が泊まりにきた。

 食事は作ったけど、洗濯は、さぼりがちだった。

 なんで、僕が、猫の服とか下着を洗わなきゃいけないんだよ。

 隼人さまが、僕に文句を言うことはなかった。そのことも、とっくに、あきらめられてるような感じがして、いやな感じだった。


 夕方になって、猫に呼びだされた。

 なんだ?と思った。

 玄関をとおって、庭までつれていかれた。


「話って、なんですか」

「君、いる?」

「……えっ」

「隼人は自炊できるし、なんならDIYで家までリフォームしちゃうし、掃除洗濯もできるし。そもそも、自分で働いてるじゃん!

 誰かに手伝ってもらわなくても、一人で生活できるんだよ」

 そんなことは、猫なんかに言われなくても、わかっていた。

「君、なんかできることあるの? そうやって、不機嫌そうな顔してる以外に」

「お食事は作ってます……」

「うん。あの、まずいやつね」

「まずいですか?」

「まずいよ」

 三宅さんは、ようしゃがなかった。なんなんだ? 猫のくせに。

「ちょっと、考えた方がいいよ。

 隼人は、なにも言わないだろうけど。

 掃除とか、してるようには見えないけど。してる?」

「してま……せん」

「甘いなー。隼人は」

 ため息まじりに、言われた。


 けっこう、落ちこんだのに。

 それだけで、終わりじゃなかった。

 夕ごはんの時間に、メガネがきた。缶ビールの箱を持ってきていた。

 冷蔵庫で冷やしてから、夕ごはんの後でビールを出した。僕は飲めないので、三人分だけ。

 三人で、楽しそうに話していた。

 なんだよ。


 つまらなくなって、庭に出た。

 畑のそばに座りこんで、まだ固いところがある土を、スコップで、がしがしとほぐした。

 なにか、しないといけない……。

 本当は、本当のことを言ってしまえば、僕は、こんなところにいないで、大学に行きたかった。

 奨学金をとってでも、行くべきだったんだろうか。


「護くん」

 メガネがきた。よりによって、泣きそうな時に、なんでくるんだよと思った。

「つまらなそうだったな。ビール、飲みたかった?」

「ちがいます。未成年だし」

「それは、知ってるけど。

 ひま? 昼間とか」

「ひま、ですね。すること、ないんで」

 嘘だった。掃除とか、畑の手入れとか。僕がしなくちゃいけないことは、いくらでもあるはずだった。

「ひまなんだったら、なにかしたら」

 忠告されてしまった。なんなんだよ。メガネのくせに。

 痛いところをついてくるんじゃないよ、と思った。



 夜に、実家に電話した。

 今までも、たまに電話はしていた。

 たいてい紗恵が出て、なんということもない会話をする。

 今日は、母さんが出た。

「護。おつかれさま」

 やさしい声に、まじで、泣くかと思った。

「疲れてないよ。僕、仕事してないし」

「そうなの?」

「うん……。こんなんじゃ、クビになると思う」

「そうなったら、帰ってきたらいいじゃないの」

「……いいの?」

「いいよ。大学、行きたかったよね」

 なんだよ。そう思った。

 わかってたのか、って。

「大学に行って、ちゃんと就職した方が、よかったかなあ」

 声がふるえてしまった。母さんが、「そうねえ。どうかなあ」と返してきた。

「でも、もう、遅いし。ここで、しっかりやらないと……」

「ねえ、護? 一度きりの人生だからね。妹たちとか、母さんとか、父さんのことよりも、あなたが一番したいことを、しようと思って、いいんだからね」

 思いやりにみちた声だった。わかっていた。母さんがこういう人だから、僕は、高卒で就職することを負けだとは思わなかった。

 でも、今の考えは、就職すると決めた時とは、だいぶちがっていた。

 隼人さまも、猫も、メガネも、ふつうに働いていた。

 会話の中で、たまに、仕事のぐちをぼやいたりもする。

 だけど、みんな、自分の仕事が好きみたいだった。

 まぶしかった。

 僕も、大学に行って、勉強したら。卒論を書いたりしたら。

 自分がやりたい仕事を、ちゃんと選べたんだろうか。

 僕がいても、いなくても、なにも変わらなそうな、仕事のようで仕事じゃないみたいな、こんな仕事じゃなくて。

「ちょっと、考えてみる……」

 そう答えたけど、無理だなとも思っていた。

 たぶん、無理だ。

 高校の勉強も、途中で投げだしてしまった。

 僕には、なにかをやりとげる力は、もうない。

 というか、もともとない。そんなふうにしか、思えなかった。

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