第3話 チュートリアル
頭に響くアナウンス音と共に現れた空中のテキストボックスには、「第一回目のクエスト」と表示されていた。
空中に浮かぶ表示や、発生源の分からない音声がどんな技術なのかは知らないが、目下の事案は家に帰れるのかと言う事だけだ。
家に帰れるなら、どんな労働でも耐えてみようと思えた。服従しか選べない程、僕にはプライドというものが無かった。
「ピンポンパンポーン、第一回目のクエストは、〈チュートリアル〉です!達成条件は、1週間異世界人から教育を受けることで達成されます。報酬は〈アイテムイベントリ〉です。クリアしない手はありませんよネ!」
これには、驚きしかなかった。まさか神を自称したあれは、クエストと称してこの部屋の人たちを誘導するつもりなのか?それに、もしここが本当の異世界なのだとすれば、異世界人との接触は慎重になったほうが......
トントン、という音で、部屋中の人の視線が壁の一か所に集中した。
ノック音だ、と理解すると同時に、警戒心が強まる。もしかしたら、自らを異世界人と自称する誘拐組織だったとしてもおかしくないからだ。
白い壁しかなかった一角に、突如扉が現れる。
その扉を開いて部屋に入ってきたのは、先頭に居る還暦近くの年だと思われる男と、その背後に若い青年が2人。先頭の男は、いかにも経済的階級が高そうな、紫紺の豪奢な祭服を身に纏っている。
先頭の男は部屋の中に居る人の顔を1人1人見ると、何かを呟いた後、床に片膝をついた。
「ああ、今日はなんと素晴らしい日でございましょうか......神より遣わされた救世主の皆様、お初にお目にかかります。私はこのモルファス王国で宰相を務めております、ラーフ・ヴァイスと申します。ただいまより、救世主の皆様方をご案内させていただくものでございます。」
この男は今にも泣き出しそうな程、目を充血させている。何か悲しい事でもあったのだろうか。それに救世主?
先程神を名乗る人型へ果敢に挑んだ男が、また前に歩み出た。
「そんなに畏まるのはやめてください。かえって居心地が悪いです。」
そう言った彼の声は、元の穏やかなものに戻っていた。
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます。」
「あのー......」
恐る恐るといった様子で、ひとつ手が上がると、そこに視線が集まった。
手を挙げたのは、ヒスパニック系の少年だった。だいたい僕と同い年くらいに見える。
「さっき部屋に入ってきて、いきなり俺らの事を救世主って言ったけど、なんで俺たちがここに連れてこられたか知ってるの?」
「はい、勿論知っております。昨日、私たちが天上神様の御信託に従い、救世主召喚の儀を執り行いました。」
「ならさ、今すぐ返して欲しいんだよね。俺ら......少なくとも俺は救世主?じゃないみたいだからさ。」
少年の言葉に、数人が首肯した。
ラーフさんは、予想外の言葉でも聞いたかのように、驚いた表情になった。
「ですが......元の世界へ送り届ける技術などありませんし......それに、先代の救世主の方々も、前の世界では一般人だったと言っていたみたいですよ。」
「は?」
元の世界にまだ帰れるかもしれない。そんな淡い希望さえも、抱くことは許されないようだ。
少年の顔は、みるみる蒼白になっていく。女の子が、床に崩れ落ちてすすり泣き始めた。
「いやいや、意味わっかんねー。だいたいなんで俺が見ず知らずの人に混ざって得体の知れないモンと戦えって言われてんだよ......」
少年は、頭を抱えてまた「いみわっかんねー」と呟いた。
「その......救世主の皆様には、神からの絶大な力を授けられ、さらに神から宝物が分け与えられると聞き及んでいたのですが......」
(なるほど、この宝物ってのがさっきの賞金ってことか)
この男は、こちらの事情をよく知っているようだが、先代はこの世界で何をしていたんだろうか。
部屋に残された沈黙に、時々女の子のか細いすすり泣きが混じる。
白人の男は、ずっと黙考していたが、「彼らの話を聞いてみるべきだと思う」と誰にともなしに言った。
特に誰も反対せず、全員の総意で賛成となった。
とりあえず城へ案内したいとの事だったので、ラーフさんの案内に従うことになった。
部屋を出てわかったが、今まで居た建物はやはり宗教関係の施設のようだった。
施設を出てしばらく歩いていると、どうやらこの区画は高級住宅街にあたる場所らしい。建ち並ぶ建物はどれもいえと言うよりは小さな城で、前に居た世界だったらいくつの住宅に分譲できるか......
全ての屋敷は石やレンガや木材で建てられており、やはりというか、コンクリートの建物は見つからなかった。
歩いている間、終始無言で、何となく緊張感に包まれていた。
どうやらこの世界に連れてこられたのは全員で12人らしく、男女の比率はピッタリ半々だった。
小一時間程は歩いただろうか。城は間近という所まで来た。
運動不足の僕の足にはかなり応えたが、その幻想的な光景には息を飲んだ。
見上げるほど巨大な、荘厳で、実用的な造りに見える。もっと精神的に余裕があれば、この景観だけでどれほど幸せになれただろうか。
城門前で直立不動を貫いている衛兵に、ラーフさんが2、3言何かを言うと、すぐに開門された。
城では、鉄の鎧を着た兵士たちが、稽古をしていたが、やがてこちらを見つけると動きを止めた。
城の敷地を歩くだけで感じる視線、視線、視線......
城内の貴賓室に入ると、すぐに紅茶とお菓子が運ばれてきた。床に敷かれた絨毯は、土足で踏むのが躊躇われるほどふかふかしていて、革張りのソファーは体が何処までも沈んでいきそうな座り心地だ。
「では、皆様も全く知らない場所に来まして、不安に思われていると存じますので、私めが誠心誠意疑問にお答え致します事を、天上神様にお誓いさせていただきます。」
ラーフさんの言葉で、剣呑な空気は僅かになりを潜めたようだった。彼の真剣な面持ちは、彼にとっての「神に誓う」という事の重みを感じさせてくれた。
最初に話を切り出したのは、やはり白人の男だった。
「あー、一応自己紹介をしておきますが、俺の事はグレンと呼んで欲しいです。質問ですが、俺たちが何故この世界に連れてこられたのか、1から説明してください。」
「分かりました。」
そうしてラーフさんが話し始めたのは、この世界に住む人々の惨憺たる歴史だった。
過去、この大陸は北半分が魔物の領域である通称〈魔領〉、南半分がマルファス王国の領土を占めていた。
しかし、今から約300年前に突如現界した魔王のによって、マルファス王国は領土争いに尽く敗北する事になった。
相次ぐ戦による兵の消耗に、農地を放棄したことによる慢性的な食糧難と死の恐怖で、人々の間に救世主を求める思想が広がっていった。
そんな中、天上神の信託によって行われた儀式で呼び出された6人の異世界人と6人の特異な力を持った戦士達は、〈救世主〉として人々に希望を与えた。
救世主は、魔王を滅ぼすには至らなかったが、領土を次々と取り戻し、魔王の配下でも特筆すべき強さを持っていた「魔十将」を討ち取り、魔王にも深手を負わせた。
救世主は去り、そこからは一進一退、泥沼の殺し合いが絶えず続いた。
それから300年経った今、魔王が力を取り戻そうとする動きがあるのと同時に、再度の天上神による信託により、救世主を召喚した。
「これが、救世主召喚の経緯でございます。」
あまりにもあまりな酷い現状に、誰もかける言葉が浮かばないようだった。
僕は、この部屋に来る時に集まっていた視線を思い出した。誰もがこちらを見ていた。道行く人も、剣を持っていた人も、城内で掃除をしていた人も、皆こちらを見ていた。皆、ずっと救世主を見ていたーー
「じゃあ、今度は俺が質問してもいい?」
さっきの少年は、まだ顔色は良くなかったが、居てもたってもいられないという様子だ。
「もちろんです。」
「あ、俺はリオっていうんだ、よろしく......さっき、先代の救世主の話が出てきたけど、そんな強いヤツと先代はどう戦ったのかなーって......」
これは、僕も疑問に思っていた事だ。
救世主なんて言っても、特に僕の場合は戦闘力など皆無に等しい。兵士はおろか、過去にいじめられた経験があるほど僕は「弱虫」だ。
先代や、僕以外の面々が特別だという可能性も考えられるが、人間である以上限界はある。と思う。
「それは、もう既に知っておられると思いますが、皆さんの心から生まれた、救世主を救世主たらしめる......特別な能力を持った戦士と共に戦ったのです。皆様の隣に、もう居られますよ。」
これは本当に不思議なのだが、気づけば、机を取り囲んだ6つの2人がけのソファーには、全てが男女のペアで座られていた。しかし、何故かそれが当たり前であるかのように、今まで違和感を感じていなかった。
隣を見ればやはり、そこには白髪の少女の横顔があった。
リオは、隣を見たり、ラーフさんを見たりと視線を彷徨わせた後、悲鳴のようにも聞こえる、上ずった声を漏らした。
「......え?」
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