龍の住む池

@sugimotorikera

第1話

むかしむかし


 その小さな村には池があり、その池はむかしむかしの立派な方に作られたという話でした。そのころは生きていくのに作物が必要なで、みな食べ物を自分たちの手で作っていました。そのため、村人は田んぼに使う水をためておける大きな池が必要だったとのことです。その池には不思議な神様が住んでおられました。みなさんご存じの通りに、今でもその池には鳥居があります。そうです、あの公園は昔は農作業のためにつくられたものでした。鳥居は神様の通り道です、なぜ神様がいてくれなければ困るのか、それは田んぼには水が必要だからです、神様が用意してくださる恵みの雨が。

 

 その小さな村には池があり、小さな女の子が毎日その池のそばで泣いていました。池のそばでしゃがみこんで、朝から晩まで一人ぼっちでずーっと泣いていました。泣く理由は色々なものがありました、走っていて木の根につまづいて転んだこと、同い年の男の子にからかわれたこと、たまたま機嫌が悪かった母親に叱られたこと、、、、本当に様々な理由で泣いていましたが、最後に思うことはいつも一緒でした。”神様お願いします、どうかわたしを

 

 消してください”


 その小さな村には池があり、その池には一匹の龍が住んでいました。その龍は昔から池の底に住み着いていて毎日毎日のんびりのんびり暮らしていました。池の底の石をひっくり返してカメたちを驚かせたり、小さな魚たちを追いかけたり、困ったいたずらばかりをして暮らしていました。ある日、いたずらに飽きた龍が池の底から地上を見上げると見たことのない小さな生き物が泣いていました。黒い髪に黒い眼の不思議ないきものは、そう、あの女の子です。女の子の涙はすべて池にたまってしまいその悲しい色から池の魚はおびえてしまっていました。ほんとうは優しい龍は、なんとかしなければ、と思いました。このままでは自分の好きな池の中が暗くなってしまう。と。


 その小さな町には池があり、今日も女の子が泣いていました。池に来た理由はもう覚えていませんが、先ほどポケットに入れていた大事な小石を池に落としてしまい、今はそれが悲しくて泣いています。”自分はなんて間抜けなんだろう”それが今日のなきはじめの理由でした。”わたしは何をやってもダメなんだ” いつものように、ぐすぐすと最初はちいさな声で、そして、真夏のセミのようにだんだん声をあげて泣いていました。そこへ、あの龍が突然池の中から飛び出してきます。”もうなくなのはやめなさい” 龍はなるべく偉そうな声をだします。心の中でははじめてのにんげんに怯えていたのです。そんなことはおくびにも出さず、女の子を見下ろします。そして女の子のほうはというと、神様が現れたと思い、大はしゃぎです。願いが通じた思ったのでしょう ”かみさま、かみさま、ようやくあらわれてくれましたね、これからは泣きませんので、どうかわたしを消してください”

これを聞いた龍はひどく慌ててしまいました。龍は神様ではないからです。(神様だって!?、そんなの自分だってあったことないよ、、、でもいまさらそんなことも言えないし、、、人を消すなんてことできるのかな、、、)龍は正直に自分の話をできませんでした。見栄っ張りさんだったのです、威張り散らして姿をさらした以上、女の子の前では情けない姿を見せられません。”よかろう、ただしおぬしが泣かないという約束を守れたら、という話だ。わしにうそはつけないとおもえ、毎日ここへきて目の周りが涙にぬれてないことを証明せよ”そう精いっぱいの厳かな声をだすと、魔法を使って少女の指の一部を透明に変えました。そうです、龍はちょっとした魔法なら使えるのです。まずは左手の指先から女の子は透明になり始めました。


 本当に少しずつ少しずつ、女の子の体は透明になっていきました。ただしそのことに村人たちは誰も気づきません。気づいていてもみんな自分のことに忙しく女の子の存在など気にも留めませんでした。ですから、毎日女の子は薄くなっていく体を確認しては喜びました。この世とさようならをする日を夢見ては安らかに眠るのでした。”早く明日になりますように……” それはとても充実する毎日でした。今日も幸せな眠りにつきます。


 毎日毎日、女の子は池に通いました。もう泣くことはありません、龍との約束があるからというより、自分の体がきちんと終わる日が来ると信じているからです。毎日花が咲くように笑顔で来る女の子に龍は内心焦っていました。(……どうしよう、女の子になんて言えばいいんだろう?ただ透明になっているだけだって……)そんな悩みを思いつつも、少しずつ笑顔を取り戻していく女の子を見ていると龍の悩みも吹き飛びました。(まぁあんなに楽しそうなんだから構わないかな)龍は女の子とのちょっとしたおしゃべりを楽しんでいました。


 そんなある日、村に一人の男の子がやってきました。どこから来たのかわからない、とても不思議な子でした、男の子はすぐに村になじみ、みんなと打ち解けました。ここでいうみんなとは女の子を除いた村の人全員です。女の子は気にも留めません、だってわたしはもうすぐこの世から消えるのだから関係ないのよ、そう女の子は言い聞かせました。男の子はなぜか、本当になぜか、池にやってきました。女の子に言います。”ここにきて、お昼寝しててもいい?” それは絡まり合った水草のような複雑な気分でした。いままで女の子の周りの大人は池なんて気味悪いと言って寄り付きませんでした。だから、女の子はここに来ていたのです、一人になれるから。そして同時に誰かに話したいこともたくさんありました。池の周りの素敵な水仙たち、歌うようにさえずるきれいな小鳥たち、そして、そして、だんだん透き通っていく自分の体。女の子は言います。

”私ね、もうすぐ消えるの”

男の子は聞いていません、眠っています。そんなことにもかまわず女の子はしゃべり続けました。男の子が起きている間はちっともしゃべれないのです。男の子のすやすや眠る顔を見ながら、女の子は夢見るように熱にうなされながら語り続けました。


そんな様子を龍はずっと見ていました。水仙や小鳥になってずっと見ていました。龍はそんなこともできたのです。だからその日もた白い雲になって2人の様子を見ていました。いつものように眠っている男の子の隣で女の子が、しゃべりかけていたときでした。興が乗ってきたのでしょう、女の子は透明になった腕を見せます。もうそこに腕があることは誰の目にも見えません。男の子の顔の目の前まで持ってきて自慢をしていました。その時です、男の子が羽虫を追い払うように、手を振りました。その手が女の子の腕に当たると、男の子はそのまま女の子の腕をつかんですやすや眠ってしまいました。女の子はパニックです。ほんとうはなくなっているはずの腕をつかまれたこと、男の子が全く起きないこと、男の子の掌の熱が思っていたより、ずっと、ずっと


 柔らかくて、温かかったこと


を女の子は初めて知りました。結局その日はしばらくして男の子が手を放してくれるまで女の子の小さな心臓は大きく大きく鳴りっぱなしでした。そのドキドキの大きさに、池の表面に波紋が生まれているのでしょうか。雲がちぎれていくのでしょうか。そして、生きるって思っていたよりもずっと。もしかしたら


 柔らかくて、温かいこと


なのかもしれない。と、女の子は透明になった腕のその表面の葉っぱのように残った体温を名残惜しそうに見つめながら、そんなことをかんがえていました。男の子は目を覚まし、いつものように”じゃあね”といって帰っていきました。いつものように遠ざかる背中を見つめながらぽつり、女の子はつぶやきます。”じゃあね” 水仙が揺れて、それにあわせて木々も揺れて、水面に風紋ができて、池の全体がオーケストラみたいになにかひとつのことを女の子に伝えたがっているような気がして、女の子はついに消え始めた胴体の一部分をずっと見ていました。日が暮れるまでずっと。


 本当は体が消えたわけではなく、見えなくなっただけだということに女の子は気づいてしまいました。それは恐怖でした。女の子が望んでいたのは消滅です。舞い散る花のように、消えて忘れられていなくなりたかった、、、。でもこれでは違います、見えなくなるだけ。誰からも見えなくなって、かえりみられなくなって、そして忘れられて悲しい毎日が続いて行ってしまう。それだけは避けなければなりません、女の子はふたたび、龍に向かって問いかけます。”かみさま、どういうことですか?わたしは消えているのではありません。薄くなっているだけなのです” たずねられた龍は困ってしまいました。龍は透明にする魔法は使えても、人をなくす魔法は使えません。悩んで悩んで悩みましたが、女の子はあきらめずにすっと池のほとりにいます。(なにか、なにかないかな……口から出まかせでもいいから女の子が分かってくれるだけの理由が……)


 そしてついに思いつきます。

”われの声を聞け、にんげんよ。お主が望んだものは消滅ではないからだ。もちろんお主はそれを望んでいると口にはするだろう。だが人には心というものがある。わしは知っておる。たとえるならお主の頭の中はこの池の表面近くを漂う水草のようなものに過ぎない、この池のように、深い深い根っこの場所に、深い森のようなそこに、お主の心がある。その心が言っておるのじゃよ、


 消さないで


 ってなぁ”

  我ながらよいことをいっているなぁと龍は自分に感心していましたが、女の子は納得していない表情でした。以前の女の子ならすぐにそんな話は信じられないときっぱり否定できていたでしょう。ただ、男の子に触れたあの日から、なにか得体のしれない細くて長い蛇みたいな感情が心の中の一部を占めるようになっていたのです。ちょうど水草の森の中をいく、龍のような、不思議な気持ちでした。むずがゆく、ざわざわしていて、それでいて、不愉快ではない感情が女の子をすこしだけ、ほんの少しだけ変えていました。そんな気持ちを抱えながら、ついに、ついに


女の子は誰にも見えなくなりました。


 誰の目にも映らなくなったのに、何も変わらないと女の子は気づいてしまいました。村の人たちは何も変わらず、田んぼに向かい、飯を食べ、眠っていました。最初からそうだったのです、女の子は透明でした。気づいたときに、何もかもが解決した気がしました。(初めから私は透明……だった。)くじいたことを隠して歩く子犬のようになんだか泣きそうになりながら、星空のした、水仙のそばを歩いて池まで来ました。


 透明な自分は水面にも映らなくなってしまった。何も考えなくてもいいように、何も悩まなくてもいいように、自分が消えてしまうことを夢見たけれど、だれの目からも映っていなかった。

 人といることが嫌で 人と同じことをするのが嫌いで たとえば、言われたとおりに

1ミリもずれないように歩こうとすることにあたまを使いすぎて なにも覚えてないことなんてざらにあった気がしました。水面に映る自分の姿を見ようとするあまり池に落ちてしまった青年のように、このまま終わらせてしまおうかなと女の子は考えていました。


 そこへ 男の子がやってきました。


 一人でさみしい女の子は1人でもさみしそうじゃない男の子を不思議に思っていました。透明になって誰からも見えなくなった今、女の子は優しい水仙のような声で話しかけます。


”男の子よ、あなたはなぜここに来るのですか?”

 それはかつて龍が神様をまねしたように、女の子も龍をまねしてみたようです。女の子の声は水面を揺らす優しい風のように男の子の耳に届きました。男の子は少し微笑んで言います。”女の子が寂しそうだった……から……”


沸騰した鍋の中の泡のような感情が、女の子の中に生まれました。それは熱く、そして、もうコントロールできないほどの思いでした。慌てて飛び立つ鳥たちのような。女の子は消えたいと、強く願いました。いつのまにか、本当にいつのまにか、どこか男の子に期待をしていました。……まさか、憐れまれているとは思いませんでした。2つ並んだ優しい水仙のように隣に座っていてくれていると思っていました。わたしを……


 ちゃぽん


と、悲しい音がしました。すべてを見ていた龍には見えていました。女の子が、だれにも見えなくなってしまった女の子が池のなかへ、まるで花束でも投げ込むかのように軽く落ちていきました。穏やかで冷たい、凪の日の船のような、女の子の心には”初めからこうすればよかった……” 悲しい安らぎが広がっていきました。割れそうなビー玉のような心の中。ただ1点、気づいたことがありました。花束のようにいつの間にか渡された言葉でした。


 ”女の子が寂しそうだったから”


男の子は女の子を見ていたのです。それは本当に小さな輝きだったのかもしれません。生きるということのざわめき。蛍のように夏の夜空をみたすざわめき。水仙になってしまった青年のような、青年を恋しく思う洞窟の中の反響のような、悲しくてやるせないけど、きちんと冷え切らない体温みたいなものがこの世にはあったのです。女の子の冷たくて穏やかな凪の日の船のような心にわずかな風が水面をなでるように湧きあがりました。


 じゃぽん


と、力強い音がしました。透明な女の子の透明な輝きを男の子は見逃しませんでした、飛び立つ前の小鳥のように真っ直ぐ輝きを目指して飛び込みました。空から見ていた龍は慌てて池の水を透明にします。雲の一部に穴をあけて日差しが女の子の体を包むように温めるように女の子の居場所を照らし出します。女の子は池の底で横たわるように眠りかけていました。呼吸がもう続かないことはわかっていました。天使が下りてくるように、光が空から降りてきました。 ”これでもう……” 最後に降りてきた天使に向かって手を伸ばしました。 その手を降りてきた男の子が迷いなくつかんで、生きることは


きっと暖かくて


やわらかいこと


 だと、気づきました。 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

龍の住む池 @sugimotorikera

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る